【怠惰の章】世界を喰らう王
それは、生き物というより災害だった。
巨大空洞の中央。
幾千もの根が一点へ集まり、まるで大樹の心臓を形作るように絡み合っている。
その中心で――そいつは眠るように身を丸めていた。
「……でかい」
灰崎は息を呑む。
山だった。
いや、山が呼吸をしているように見えた。
黒く濁った毛並み。
岩のように硬質な皮膚。
折り重なる肉塊の隙間からは、何本もの巨大な根が体内へ食い込んでいる。
まるで自ら絡み付いたのではない。
無理やり喰い付き、そのまま離さなくなった寄生虫のようだった。
そして。
ズズ……。
根が微かに脈打つ。
そのたびに光が薄れていく。
「栄養を……吸ってるのか」
灰崎の声は自然と小さくなった。
魂視にははっきり映っていた。
根の中を流れる生命力。
それが一本、また一本と害獣王へ流れ込んでいる。
まるで無数の点滴だ。
「だからユグドラシルが弱る」
浮雲が静かに呟く。
「こいつ一匹じゃない。群れ全部が栄養を集めて、最後は王に流してる」
灰崎は周囲を見る。
そこら中に黒鼠がいた。
根を齧る者。
栄養を運ぶ者。
王の周囲で身体を寄せ合う者。
ただ群れているだけではない。
役割がある。
一つの巨大な生き物のように機能している。
「蟻の巣か……」
「近いな」
浮雲は頷いた。
「だが、蟻より質が悪い」
その時だった。
害獣王がゆっくりと目を開いた。
赤黒い瞳。
濁った泥のような色。
灰崎は思わず魂視を向ける。
「っ!」
頭痛が走る。
思わず膝をついた。
「灰崎!」
サミエムが振り返る。
「見るな!」
灰崎は額を押さえながら叫んだ。
「魂が……おかしい!」
濁っている。
それだけではない。
何千もの魂が絡み合っている。
黒鼠。
喰われた生命。
ユグドラシルから奪われた生命力。
全部が混ざり合い、一つの巨大な魂を形成していた。
だが。
その中心。
ほんの僅かだけ。
優しい光が残っている。
「……え?」
灰崎は目を見開いた。
「どうした!」
「違う……!」
灰崎は害獣王を見つめた。
「こいつ……」
言葉が詰まる。
理解したくない事実だった。
「生まれつきじゃない」
浮雲が目を細める。
「何?」
「こいつ……ユグドラシルの生命力を取り込み過ぎて、こんな姿になったんだ」
害獣王の魂の中心。
そこだけは濁っていない。
純粋な生命。
まるでユグドラシルそのもののような輝き。
「病気だ」
灰崎は掠れた声で言った。
「こいつは外敵じゃない」
「……病巣だ」
空気が凍る。
浮雲もサミエムも何も言えない。
その直後だった。
ギィィィィィッ!!
耳障りな鳴き声が空洞中へ響く。
害獣王だった。
咆哮ではない。
命令。
その一声だけで。
ガサガサガサガサッ!!
無数の黒鼠が動いた。
津波だった。
壁から。
天井から。
根の隙間から。
一斉に三人へ襲い掛かる。
「来るぞ!」
灰崎が叫ぶ。
サミエムが前へ出る。
「下がれ!」
銀閃。
一歩踏み込む。
一閃。
二閃。
三閃。
黒鼠が次々と両断される。
鮮血が舞う。
肉片が飛び散る。
だが。
終わらない。
次が来る。
その次も。
さらに次も。
数が減らない。
「多すぎる!」
灰崎が叫ぶ。
「右!」
魂視が敵を捉える。
サミエムは振り向きもせず剣を振るう。
背後から飛び掛かった黒鼠が真っ二つになった。
「左上!」
再び一閃。
天井から落ちてきた個体を斬り伏せる。
二人の連携は完璧だった。
魂視で未来を読み。
最短で斬る。
しかし。
浮雲だけは戦っていなかった。
「おい!」
灰崎が叫ぶ。
「何やってる!」
浮雲は根へ手を当てていた。
崩れかけた根を支えている。
落石を受け止め。
折れた根を持ち上げ。
ひたすらユグドラシルを守っている。
「戦え!」
「いや」
浮雲は苦笑した。
「こっちの方が大事」
「はぁ!?」
「根が折れたら終わりだからな」
その一言で灰崎は理解した。
この男は帝王だ。
だが。
誰かを支配する帝王ではない。
支える帝王だ。
目の前に敵がいても。
まず守るべきものを守る。
それがアルヴ・レガリアだった。
その瞬間。
サミエムが害獣王へ駆けた。
「サミエム!」
止める間もない。
一瞬で間合いへ入る。
渾身の一撃。
白銀の軌跡が害獣王の首を斬り裂いた。
ズバァァァッ!!
確かな手応え。
巨体が大きく揺れる。
「やったか!」
灰崎が叫ぶ。
だが。
害獣王は倒れない。
裂けた肉が蠢く。
周囲の黒鼠が一斉に飛び込む。
自らその傷口へ。
まるで餌になることを当然とするように。
喰われる。
吸収される。
そして。
裂けた傷が瞬く間に塞がった。
「……嘘だろ」
灰崎の顔から血の気が引く。
サミエムも距離を取る。
初めて険しい表情を見せた。
「再生した」
「違う」
灰崎は首を振る。
魂視には見えていた。
「再生じゃない」
「栄養を補給してるだけだ!」
斬られる。
群れが栄養を運ぶ。
王が喰う。
傷が治る。
その循環。
「駄目だ!」
灰崎が叫ぶ。
「こいつはユグドラシルの栄養がある限り、何度でも立ち上がる!」
その時だった。
害獣王が大きく身体を起こした。
空洞全体が揺れる。
根が軋む。
天井から無数の岩が降り注ぐ。
ギャオオオオオオオオオオオオオッ!!
今度こそ咆哮だった。
世界そのものが震える。
そして。
ユグドラシルの根から、さらに大量の生命力が吸い上げられていく。
浮雲はその光景を見つめ、静かに息を吐いた。
「……やっぱりな」
諦めではない。
確信だった。
「先にユグドラシルへ飯を食わせるしかない」
敵を倒すことでは終わらない。
世界を救わなければ、この王は倒せない。
灰崎は改めて理解した。
この戦いは、魔物退治ではない。
一つの世界、その命を救う戦いなのだ。




