【怠惰の章】害獣
ユグドラシルの内部は静かだった。
静かすぎると言った方が正しい。
風がない。
虫もいない。
鳥の声もない。
ただ巨大な根が幾重にも絡み合い、どこまでも続いている。
まるで地下にもう一つの森が存在しているようだった。
灰崎は根へ手を置く。
温かい。
生きている温度だった。
その瞬間。
魂視が反応する。
「……あ」
思わず声が漏れる。
「どうした」
サミエムが振り返る。
灰崎は根を見つめたまま答えた。
「魂がある」
浮雲が頷く。
「あるだろうな」
当然のように。
「いや、お前な」
灰崎は思わず突っ込む。
「大地に魂があるって普通じゃねぇぞ」
「大地じゃないしな」
浮雲は根を軽く叩いた。
「ユグドラシルだ」
その一言で終わる。
相変わらず雑だった。
だが。
灰崎は再び魂視を集中させる。
確かに魂がある。
流れている。
根の中を。
血液のように。
光のように。
ゆっくりと。
膨大な生命力が。
「……」
そして気付いた。
途中で途切れている。
流れが。
何かに吸われている。
削られている。
喰われている。
「おい」
灰崎が眉をひそめる。
「これ」
「見えるか?」
サミエムが聞く。
「いや」
「魂の流れが変だ」
浮雲が少し真面目な顔になった。
「どんな感じだ」
「傷口から血が漏れてるみたいな感じ」
その例えに。
浮雲はため息を吐いた。
「やっぱりか」
状況は思ったより悪いらしい。
三人はさらに奥へ進む。
巨大な根の世界。
途中から根の状態が目に見えて変わり始めた。
色が悪い。
乾いている。
痩せている。
まるで長期間栄養を失った作物みたいだった。
「……」
サミエムが黙っている。
妖精の話からずっとだ。
灰崎は何も言わない。
今はまだ。
本人の中で整理する時間が必要だと思った。
その時だった。
サミエムが突然足を止める。
剣が抜かれる。
反射だった。
灰崎も同時に気付く。
何かいる。
前方。
根の影。
赤い光。
目だ。
そして。
ガサッ。
ゆっくりと現れた。
「……鼠?」
灰崎が呟く。
巨大だった。
狼ほどある。
黒い体毛。
異常に発達した前歯。
口元には根の欠片が付着している。
そして。
そいつは根を齧っていた。
バリ。
バリバリ。
嫌な音が響く。
まるで木の皮でも食べるように。
「おいおい」
灰崎が顔をしかめる。
「本当に食ってるぞ」
「本当に食ってるな」
浮雲も同意した。
その瞬間。
鼠がこちらを向いた。
赤い瞳。
獣の目ではない。
飢えた目だった。
次の瞬間。
飛ぶ。
速い。
だが。
サミエムの方が速かった。
銀閃。
一振り。
ザシュッ!!
鼠が真っ二つになる。
即死。
地面へ落ちる。
「弱いな」
サミエムが言う。
しかし。
灰崎は死体を見て違和感を覚えた。
「待て」
しゃがみ込む。
死骸を確認する。
腹部。
裂けた肉の中。
そこにあるはずの内臓がない。
「何だこれ」
肉じゃない。
根の繊維。
鉱石。
結晶。
土。
栄養そのものだった。
「うわ」
灰崎が顔をしかめる。
「気持ち悪ぃ」
浮雲も覗き込む。
そして。
「あー」
納得したように頷いた。
「害虫だな」
「害獣じゃなくて?」
「どっちでもいい」
浮雲は死骸を蹴る。
「こいつ自体は大したことない」
「問題は」
そこで言葉を切った。
灰崎も気付いていた。
魂だ。
魂視。
見れば分かる。
鼠の魂は弱い。
驚くほど弱い。
それなのに。
妙な繋がりがある。
糸。
見えない線。
それがどこかへ続いている。
「……」
灰崎は目を細める。
追う。
辿る。
さらに奥。
さらに先。
すると見えた。
無数。
何百。
何千。
同じ糸。
全部が一つの場所へ集まっている。
「おい」
灰崎が呟く。
「どうした」
浮雲が聞く。
「こいつら」
一拍。
「群れじゃない」
「何?」
「全部繋がってる」
サミエムも眉をひそめた。
灰崎はさらに見る。
魂視を限界まで使う。
頭痛が走る。
それでも見る。
そして。
見つけた。
「いる」
声が掠れる。
「親玉だ」
その瞬間。
浮雲の顔が変わった。
「親玉?」
「多分」
灰崎は奥を見る。
巨大な魂。
異常な魂。
四天王級。
いや。
質が違う。
大きさだけならそれ以上。
そして。
その周囲に集まる無数の魂。
まるで女王蜂。
蟻の王。
そんな構造だった。
「あー……」
浮雲が頭を掻く。
珍しく本気で嫌そうな顔。
「思い出した」
「何を」
灰崎が聞く。
「昔話」
静かな声だった。
「追放者の爺さんが言ってた」
浮雲は奥を見つめる。
「ユグドラシルには昔、害獣王がいたらしい」
嫌な予感。
「四天王が追い払った」
「倒せなかったのか」
「増えるからな」
その時だった。
ガサガサガサガサッ!!
周囲の根が一斉に揺れた。
上。
下。
左右。
全方向。
赤い目。
赤い目。
赤い目。
無数。
「……」
灰崎が黙る。
数えたくなかった。
数百。
いや。
千近い。
「多くね?」
「多いな」
浮雲も認めた。
そして。
黒鼠たちは動き出す。
だが。
ただ襲ってくる訳ではない。
一匹が死骸へ齧り付く。
肉を喰う。
栄養を喰う。
すると。
体が大きくなった。
「は?」
灰崎が目を見開く。
さらに別の個体も。
別の個体も。
死体を食う。
仲間を食う。
根を食う。
栄養を食う。
どんどん成長していく。
「最悪だな」
サミエムが低く呟く。
浮雲も頷く。
「ユグドラシルの栄養が全部こいつらに流れてる」
つまり。
世界の飯を盗んでいる。
それが害獣。
その時。
サミエムの視線が根へ向いた。
枯れた根。
削られた根。
失われた栄養。
そして。
妖精。
大樹。
世界を支える存在。
何も言わない。
だが。
剣を握る手に力が入る。
灰崎は見た。
その横顔を。
後悔。
罪悪感。
まだ言葉にならない感情。
それが確かにあった。
しかし。
感傷に浸る時間はない。
ガサガサガサガサッ!!
群れが迫る。
空洞を埋め尽くすほどの大群。
そして。
その奥。
魂視の先。
ついに見えた。
巨大空洞。
根が集まる中心部。
そこに。
山があった。
いや。
違う。
生物だ。
巨大な黒い肉塊。
王。
害獣王。
そいつは。
ユグドラシルの根を齧っていた。




