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【怠惰の章】奥へ

 森の奥へ向かうことが決まった。


 決まったのだが。


「その前に」


 浮雲が言った。


「諜報員をどうする?」


 一同の視線が集まる。


 当然の問題だった。


 諜報員は重傷。


 歩ける状態ではない。


 かといって置いていく訳にもいかない。


 地図係が口を開く。


「村へ戻すか?」


「戻してる時間はない」


 サミエムが即答する。


 珍しく迷いがない。


 諜報員本人も頷いた。


「俺も行く」


「無理だ」


 灰崎が言う。


「死ぬぞ」


「死んでも行く」


 諜報員は譲らない。


 それほどまでに見たものが重要なのだろう。


 だが。


 今の身体では途中で倒れる。


 誰の目にも明らかだった。


「んー」


 浮雲が考える。


 そして。


 突然空を見上げた。


「ガル坊」


 呟く。


 数秒。


 沈黙。


 その後。


 遥か上空から。


 ゴォォォォォォォォッ!!


 返事が返ってきた。


 灰崎は頭を抱えたくなった。


「聞こえるのかよ」


「聞こえるな」


 浮雲は当然のように頷く。


 そして。


「村まで運んでくれ」


 と空へ向かって言った。


 しばらくして。


 再び鳴き声。


 ゴロロロロロ……


「嫌らしい」


「何で分かる」


「長い付き合いだから」


 全然答えになっていなかった。


 しかし。


 浮雲は慣れた様子で続ける。


「後で畑手伝うから」


 沈黙。


 数秒。


 そして。


 ゴロロ。


「了承」


「交渉成立だ」


 地図係が遠い目をした。


 灰崎も気持ちは分かる。


 四天王との会話が軽すぎる。


 だが。


 しばらくすると本当にロックガルーダが現れた。


 巨大な影。


 圧倒的な翼。


 着地だけで森が揺れる。


 それでも。


 今は先ほどとは違った。


 近くで見ると分かる。


 警戒している。


 常に周囲を見ている。


 異変を感じている。


 四天王もまた。


 今の状況を異常だと認識していた。


 諜報員は運ばれていった。


 仮面の男も一緒だ。


 最初は反発したが。


 浮雲が一言。


「逃げてもいいけど」


 と言った瞬間。


 大人しくなった。


 何故かは分からない。


 聞かない方が良さそうだった。


 結果。


 森へ向かうのは三人。


 灰崎。


 サミエム。


 そして浮雲。


 妙な組み合わせだった。


「それで」


 灰崎が聞く。


「入口って何なんだ」


 歩きながら。


 浮雲は首を傾げた。


「知らん」


「知らんのかよ」


「知らん」


 即答だった。


「ただ」


 少し考える。


「見つかるはずのないものではある」


「どういう意味だ」


「そのまま」


 浮雲は森の奥を見る。


「見つかるならとっくに見つかってる」


 確かに。


 ここはユグドラシルだ。


 怠惰帝の領域。


 何十年。


 あるいはもっと長い時間。


 人が住んでいる。


 それなのに。


 今まで発見されなかった。


「だから変なんだ」


 浮雲が呟く。


「急に出てきた」


「急に?」


「多分な」


 曖昧だ。


 だが。


 それが逆に不気味だった。


 そして。


 一時間ほど進んだ頃。


 森が変わり始めた。


 まず。


 静かになった。


 虫がいない。


 鳥もいない。


 獣もいない。


 生き物の気配そのものが薄い。


 異常だった。


「……」


 サミエムも気付いている。


 剣の柄へ手を置く。


 灰崎も周囲を見る。


 嫌な感じがした。


 何かがいる。


 そういう気配ではない。


 逆だ。


 何もいない。


 だから気持ち悪い。


「近いな」


 浮雲が言った。


「入口か」


「多分」


 そして。


 さらに数分進む。


 木々の隙間を抜けた瞬間だった。


 三人は足を止める。


 言葉を失う。


 そこには。


 空間があった。


 巨大な円。


 森の中にぽっかりと。


 不自然に。


 完全な円形の空白地帯。


 草もない。


 木もない。


 石もない。


 土すらない。


 ただ。


 黒い。


 底の見えない闇だけが存在していた。


 穴。


 そう呼ぶべきかもしれない。


 だが。


 違う。


 灰崎には分かった。


 これは穴じゃない。


 入口だ。


 何かへ続く。


 何かへ繋がる。


 そういう存在だ。


 魂を見る。


 そして。


 凍り付いた。


「……おい」


 灰崎の声が震える。


「何だこれ」


 魂が見えない。


 正確には。


 闇の向こう側が見えない。


 魂視ですら届かない。


 初めてだった。


 そんなものは。


 浮雲も珍しく黙っている。


 サミエムも同じだった。


 数秒。


 誰も喋らない。


 やがて。


 浮雲がぽつりと呟く。


「なるほど」


 その声には。


 いつもの気楽さがなかった。


「確かにこれは」


 一拍。


 長い沈黙。


 そして。


「見つかったら困るな」


 初めて。


 灰崎は感じた。


 浮雲という男が。


 本気で警戒していることを。

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