【怠惰の章】動き出した世界
ズズズズズズズ……
地面が鳴っていた。
いや。
違う。
鳴いている。
そんな表現の方が近い。
灰崎は足元を見る。
土。
草。
木の根。
どれも変わらない。
しかし確かに動いていた。
ほんの僅かに。
だが間違いなく。
世界そのものが。
どこかへ向かって進み始めている。
「何だこれ……」
地図係の声が震える。
サミエムも言葉を失っていた。
先程までの戦闘態勢など消し飛んでいる。
それほど異常な光景だった。
ロックガルーダは空を睨んでいる。
岩塊を砕き終えた後も飛び立たない。
警戒している。
それが誰の目にも分かった。
そして。
遠方。
森の彼方から。
ゴォォォォォォォォッ!!
蒸気の柱が上がる。
スチームタイラントスネーク。
さらに。
別方向。
赤い光。
昼だというのに見えるほどの熱。
炎天虎。
三体が同時に動いている。
灰崎は魂を見る。
ぞっとした。
いつもと違う。
明らかに。
緊張している。
焦っている。
あの四天王たちが。
世界そのものを支える存在たちが。
警戒している。
「浮雲」
サミエムが低く言う。
「説明しろ」
珍しく命令に近い口調だった。
しかし浮雲は怒らない。
むしろ。
困ったように頭を掻いた。
「説明なぁ」
そして。
空を見る。
森を見る。
大地を見る。
何かを確認するように。
「面倒なことになった」
「だから何がだ」
「世界が起きた」
沈黙。
誰も意味が分からない。
「起きた?」
灰崎が聞き返す。
「寝てたのか?」
「寝てた」
即答だった。
「ずっと」
さらに意味が分からない。
しかし。
浮雲は本気だった。
「普段は大人しいんだよ」
「今は違う」
「起きた」
「だから何が」
灰崎は思わず言う。
浮雲は少し考える。
そして。
「お前ら」
と前置きした。
「村まで来る途中、幻の大地見ただろ」
灰崎は思い出す。
妖精の試練。
森。
巨大な幻影。
果ての見えない大地。
「見たな」
「あれ」
浮雲が言う。
「本物になるかもしれん」
空気が凍る。
「は?」
地図係が声を漏らした。
「いや待て」
「意味分からん」
「俺もそう思う」
浮雲は頷く。
お前が言うな。
全員が思った。
しかし本人は真面目だった。
「だから困ってる」
その時。
諜報員が咳き込んだ。
全員が振り向く。
忘れかけていた。
こっちも重要だった。
「おい」
サミエムがしゃがみ込む。
「話せるか」
諜報員は苦しそうに頷く。
そして。
震える指を森の奥へ向けた。
「見たんだ」
掠れた声。
「何を」
サミエムが聞く。
諜報員の顔色が変わる。
恐怖。
興奮。
焦燥。
色々な感情が混ざっていた。
「入口だ」
またその言葉だった。
「入口?」
「ユグドラシルの」
灰崎の眉が動く。
入口。
何の。
「知らない」
諜報員が言う。
「何の入口かは分からない」
「でも」
息を吸う。
「中へ続いてた」
中。
その言葉に浮雲の表情が変わる。
本当に僅かに。
だが。
初めて。
灰崎は見た。
この男が驚く顔を。
「……中?」
小さな声。
確認するような。
「見たのか」
「見た」
諜報員が答える。
「間違いなく」
浮雲が黙る。
長く。
とても長く。
そして。
深いため息を吐いた。
「あー……」
本当に面倒そうだった。
「最悪だな」
その言葉に。
仮面の男が笑う。
「だから言った」
カタカタ。
乾いた笑い。
「遅い」
「うるさい」
浮雲が即答した。
初めてだった。
少しだけ苛立った声。
「お前も見たのか?」
仮面の男は頷く。
「見た」
「だから追ってた」
「黙らせるためか」
「違う」
男は首を振る。
「死なせないためだ」
灰崎は眉をひそめる。
話が繋がらない。
だが。
浮雲は理解したらしい。
「なるほどな」
そして。
森の奥を見る。
東。
さらに奥。
誰も踏み込まない領域。
諜報員が発見した場所。
「行くのか?」
サミエムが聞く。
浮雲は少し考える。
答えは分かり切っていた。
「行くしかないだろ」
肩を竦める。
「放っておいたらもっと面倒になる」
その言葉に。
灰崎は苦笑した。
この男らしい。
正義感ではない。
使命感でもない。
面倒だから行く。
だが。
結局やる。
それが浮雲という男だった。
その時。
再び大地が揺れた。
先程よりも大きく。
遠くで木々が倒れる音。
咆哮。
蒸気。
熱。
三体の四天王が動き続けている。
時間がない。
それは明らかだった。
浮雲は立ち上がる。
そして。
森の奥を見据えた。
「まぁ」
気の抜けた声だった。
「世界を寝かせに行くか」
誰も返事はできなかった。
だが。
全員が歩き出す。
ユグドラシルの奥へ。
その異変の中心へ向かって。




