【怠惰の章】追跡
スチームタイラントスネークとの邂逅を終えた後。
一行は再び東へ向かっていた。
森はさらに深くなる。
木々は高く。
葉は厚く。
空を覆う緑は昼だというのに薄暗さを生み出していた。
湿度も増している。
肌へ張り付くような熱気。
汗が止まらない。
だが。
浮雲だけは相変わらずだった。
汗一つかいていない。
息も乱れていない。
まるで散歩でもしているようだった。
「本当に同じ人間か?」
地図係がぼやく。
「多分」
浮雲が答える。
「多分って何だよ」
「保証はできん」
本人もよく分かっていないらしい。
灰崎は少し笑った。
ここ数日。
ようやく分かってきた。
この男は強者ぶらない。
賢者ぶらない。
帝王ぶらない。
そもそも自分を特別だと思っていない。
だから余計に厄介なのだ。
どこまで本気で。
どこまで冗談なのか分からない。
「それより」
サミエムが口を開く。
「追われているという話だ」
空気が変わる。
先程の話。
諜報員は生きている。
だが追われている。
それが事実なら急がなければならない。
「何に追われている」
「知らん」
浮雲は即答した。
「スー坊もそこまでは分からなかったらしい」
「らしい?」
「見ただけだからな」
つまり。
直接接触した訳ではない。
遠目に見た程度。
だから断定はできない。
「ただ」
浮雲が地面を見る。
「足跡は増えてる」
その言葉に灰崎たちは足を止める。
「増えてる?」
「うん」
浮雲はしゃがみ込んだ。
土へ触れる。
草をかき分ける。
そして。
「四人」
と言った。
「四人?」
「少なくとも」
灰崎は目を凝らした。
しかし分からない。
ただの土だ。
ただの森だ。
何も見えない。
「本当に分かるのか」
「分かる」
浮雲は当然のように頷く。
「諜報員一人」
「あと三人」
「追ってる」
サミエムの目が細くなる。
剣士の目だ。
戦場を前にした時の。
「敵か」
「多分」
また曖昧だった。
だが。
浮雲の声には妙な確信があった。
「仲間ならもっと近付いてる」
「追跡してる歩き方だ」
歩き方。
またそれだ。
この男はやたらと人の歩き方で判断する。
灰崎には理解できない。
だが今まで外してもいない。
「急ぐぞ」
サミエムが言った。
珍しく迷いがない。
諜報員は部下だ。
仲間だ。
助ける理由がある。
四人は歩く速度を上げた。
森を進む。
湿った地面。
巨大な根。
絡み合う蔦。
普通なら歩くだけでも苦労する。
だが。
浮雲は迷わない。
まるで自分の庭だった。
「なぁ」
灰崎が聞く。
「どうやって道を覚えてるんだ」
「覚えてない」
即答だった。
「は?」
「覚えてない」
「じゃあ何で迷わない」
浮雲は少し考える。
そして。
「迷っても困らないから」
と答えた。
意味が分からない。
「いや困るだろ」
「帰れなくなるぞ」
「帰ればいい」
「だから帰れなくなるんだろ」
「帰りたいなら帰る場所探すだろ」
会話が成立しない。
地図係が頭を抱える。
「俺には無理だ」
「大丈夫」
浮雲は笑った。
「そのうち慣れる」
「慣れたくねぇ」
灰崎は少し吹き出した。
サミエムですら口元が僅かに緩んでいる。
そんな時だった。
浮雲の足が止まる。
一瞬だった。
さっきまでの緩い空気が消える。
「……」
視線が前方へ向く。
森の奥。
何かを見ている。
「どうした」
サミエムが聞く。
浮雲は答えない。
ゆっくり歩く。
数歩。
そして木の根元でしゃがみ込んだ。
灰崎たちも近付く。
そこには。
血があった。
赤黒い。
まだ新しい。
「っ」
地図係が息を呑む。
浮雲は指で触れた。
「昨日だな」
「誰の血だ」
サミエムが聞く。
「分からん」
だが。
その横に落ちていた物を見て。
サミエムの顔色が変わった。
短剣。
折れていた。
刃の半分がない。
「これは……」
灰崎も覚えていた。
諜報員の武器だ。
間違いない。
地図係の顔から血の気が引く。
「まずいだろ」
「ああ」
サミエムも否定しない。
血。
折れた武器。
追跡者。
嫌な条件が揃いすぎている。
だが。
浮雲だけは冷静だった。
折れた短剣を拾う。
血を見る。
周囲を見る。
そして。
「まだ生きてる」
と言った。
「分かるのか」
「うん」
即答だった。
「何でだ」
「死んでたらここにいない」
そう言って森の奥を見る。
「逃げてる」
「今も」
風が吹く。
葉が揺れる。
森の奥は暗い。
何がいるのか分からない。
だが。
確実に近付いている。
諜報員へ。
そして。
その追跡者へ。
「急ぐぞ」
サミエムが低く言った。
今度は誰も異論を挟まない。
四人は森の奥へ駆け出した。
諜報員を救うために。
そして。
彼が見つけてしまった何かへ近付くために。




