【怠惰の章】朝の村
翌朝。
灰崎は鳥の鳴き声で目を覚ました。
正確には鳥かどうかも怪しい。
ユグドラシルの生物はどれも見慣れた形をしていない。
羽が葉だったり。
木の実みたいな嘴だったり。
常識が通じない。
だが少なくとも。
その鳴き声は不思議と心地良かった。
ゆっくりと身体を起こす。
昨日までの疲労が残っているはずなのに、妙に身体が軽い。
久しぶりだった。
まともな屋根の下で眠ったのは。
戦い。
逃走。
試練。
落下。
気を張り続けていたのだろう。
窓の外を見る。
村が見えた。
既に朝から動いている人間が多い。
畑を耕す者。
家畜の世話をする者。
水を汲む者。
料理を作る者。
誰もが忙しそうだ。
だが。
どこか穏やかだった。
不思議な空気だった。
灰崎は宿を出る。
外へ出た瞬間。
暖かな風が頬を撫でた。
昨日感じた寒さはない。
空も明るい。
地下のはずなのに。
光がある。
「……やっぱおかしいよな」
思わず呟く。
ユグドラシルそのものが巨大な生態系だ。
理解できない現象ばかり起きている。
「お、起きたか」
声がした。
振り向く。
浮雲だった。
木箱へ座っている。
手には包丁。
野菜を切っていた。
あまりにも生活感があった。
「何やってんだ」
「朝飯の準備」
当然のように答える。
「料理できるのか」
「生きるのに必要だからな」
その返答も当然だった。
妙に納得してしまう。
「サミエムたちは?」
「もう起きてる」
顎で指す。
広場。
サミエムが剣を振っていた。
地図係は村人たちと話している。
意外だった。
あいつが初対面の人間と会話している姿は珍しい。
「馴染むの早いな」
「ここの連中、人見知りしないから」
浮雲は野菜を切り続ける。
トントン。
規則正しい音。
それを聞きながら灰崎は広場を見る。
子供たちが走り回っている。
獣人の少女が笑っている。
老人が畑へ向かう。
どこにでもある村の朝だった。
違和感があるとすれば。
それがユグドラシルの中心に存在していることくらいだ。
「変だよな」
灰崎が言う。
「何が?」
「この村」
浮雲が手を止める。
少しだけ考える。
「そうか?」
「普通じゃない」
「普通じゃないか」
浮雲は笑った。
「まぁそうかもな」
珍しく否定しなかった。
「ここにいる奴らは大体追い出された奴だから」
「追い出された?」
「国から」
「家族から」
「種族から」
「組織から」
淡々とした声だった。
「色々だ」
包丁が動く。
野菜が切られていく。
「だから皆ここに来た」
「それで成立するのか?」
「する」
即答だった。
「居場所がない奴同士だからな」
その言葉に。
灰崎は少し黙る。
浮雲は続けた。
「変に期待しない」
「変に干渉しない」
「必要な時だけ助ける」
「それで十分だ」
簡単そうに言う。
だが。
実際は難しい。
人間はもっと面倒な生き物だ。
支配したがる。
比較したがる。
優劣を付けたがる。
だから争いが起きる。
だがこの村にはそれがない。
少なくとも表面上は。
「どうやったんだ」
「何が?」
「こんな村」
浮雲は首を傾げる。
そして。
「別に」
答えた。
「何もしてない」
灰崎は眉をひそめる。
嘘だ。
そんな訳がない。
これだけの人数。
これだけの異種族。
これだけの事情を抱えた人間。
放置してまとまる訳がない。
だが浮雲は本気でそう思っている顔だった。
「飯できたぞー!」
突然。
大声が響く。
昨日の女性だった。
村人たちが集まり始める。
朝食の時間らしい。
「行くか」
浮雲が立ち上がる。
灰崎も後を追う。
大きなテーブル。
皆が集まる。
誰が偉い訳でもない。
席順もない。
空いた場所へ座る。
それだけ。
食事が始まる。
笑い声が飛ぶ。
会話が弾む。
その様子を見ながら。
灰崎はあることに気付いた。
浮雲が中央に座っていない。
端だった。
しかも自然に。
村の中心人物なら。
もっと目立つ位置にいるはずだ。
だが本人は気にしていない。
周囲も気にしていない。
それなのに。
誰かが困ると浮雲を見る。
誰かが相談すると浮雲へ話す。
自然と。
本当に自然と。
村の中心になっている。
支配じゃない。
命令でもない。
信頼。
それだけで成り立っていた。
「……変な奴」
灰崎が呟く。
「よく言われる」
浮雲が笑う。
その時だった。
遠くから。
風を裂くような音が聞こえた。
ゴォォォォォォッ!!
村人たちが顔を上げる。
「あ」
誰かが言った。
「来た」
灰崎も空を見る。
そして。
絶句した。
巨大な影。
空を覆うほど巨大な翼。
岩のような羽毛。
山のような体躯。
ロックガルーダ。
四天王の一角。
昼を支配する存在。
それが。
村へ向かって降下してきていた。
村人たちは慌てない。
逃げない。
悲鳴も上げない。
ただ。
「あー」
浮雲だけが額を押さえた。
「また来た」
心底面倒臭そうに。
まるで。
近所の牛が畑へ侵入したのを見た時みたいな顔で。




