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【怠惰の章】追放者たちの村

 男の後を追う。


 それ以外に選択肢はなかった。


 灰崎は周囲を警戒しながら歩く。


 だが先頭を行く男は実に気楽だった。


 鼻歌こそ歌っていないものの、夜の森を散歩しているような足取りで進んでいる。


 ここがつい先ほどまで炎天虎がいた場所だというのに。


「……」


 サミエムも無言だった。


 警戒している。


 男を。


 そして周囲を。


 当然だ。


 正体不明。


 実力不明。


 目的も不明。


 信用する理由はない。


 だが。


 少なくとも敵ではない。


 今のところは。


「お前らどっから来たんだ?」


 前を向いたまま男が言った。


「上」


 地図係が答える。


「上?」


「落ちてきた」


「あー」


 納得したように頷く。


「だから迷子か」


 妙に腑に落ちた顔だった。


 普通ならもっと驚くだろう。


 だが男は気にしていない。


 落ちてくる人間など珍しくもないと言わんばかりだった。


「よく生きてたな」


「普通は死ぬのか?」


 灰崎が尋ねる。


「大体死ぬ」


 即答だった。


「運が良かったな」


 運。


 本当にそうだろうか。


 灰崎にはそう思えなかった。


 試練。


 妖精。


 落下。


 諜報員の行方不明。


 そしてこの森。


 全部が何かに導かれているような感覚がある。


 だが今は答えが出ない。


 考えても仕方がなかった。


 しばらく進む。


 すると。


 巨大な木が見えてきた。


 いや。


 巨大という表現でも足りない。


 山だ。


 山のような幹。


 見上げても終わりが見えない。


「すげぇ……」


 地図係が呟く。


 灰崎も同意だった。


 ユグドラシルの植物は全体的に大きい。


 だがこれは別格だった。


 男はその木へ近付く。


 そして。


 拳で幹を叩いた。


 コン。


 軽い音。


 直後。


 木が開いた。


「は?」


 地図係が固まる。


 灰崎も目を見開いた。


 幹の一部が横へずれる。


 人工物。


 扉だ。


 完全に。


「どうぞ」


 男が手を振る。


「歓迎するよ」


 中へ入る。


 階段があった。


 下へ続いている。


 かなり深い。


 男は迷わず降り始めた。


 三人も続く。


 地下へ。


 どこまでも。


 どこまでも。


 やがて。


 風が変わった。


 冷たい空気が消える。


 代わりに土の匂い。


 草の匂い。


 そして。


 人の匂い。


 生活の匂い。


 灰崎は思わず足を止めた。


 光が見える。


 暖かい。


 優しい光。


 松明でも魔道具でもない。


 家々の灯り。


 人が暮らす灯りだった。


 階段を抜ける。


 その瞬間。


 三人は言葉を失った。


 村だった。


 本当に。


 ただの村。


 畑がある。


 井戸がある。


 家が並んでいる。


 子供たちが走り回っている。


 誰かが野菜を運んでいる。


 誰かが笑っている。


 誰かが夕食の準備をしている。


 どこにでもありそうな田舎の風景。


 それが。


 魔境のど真ん中に存在していた。


「帰ったぞー」


 男が手を上げる。


 すると。


「あっ、浮雲さん!」


 少女が駆け寄ってきた。


「おかえり!」


「ただいま」


 男は自然に頭を撫でる。


 少女は嬉しそうに笑った。


「またトラ坊のとこ行ってたの?」


「まぁな」


「乗った?」


「乗ってない」


「嘘だー」


「本当だって」


 周囲から笑い声が上がる。


 灰崎たちは唖然としていた。


 トラ坊。


 つまり炎天虎。


 この村ではそんな扱いなのか。


「浮雲さん」


 今度は壮年の女性が声を掛ける。


「夕飯できてますよ」


「ありがたい」


「そちらの方たちは?」


 男は振り返った。


 そして。


「迷子」


 一言だった。


「なるほど」


 女性も納得した。


 何がなるほどなのか分からない。


 だが誰も不思議そうにしない。


 まるで日常なのだ。


 迷子が来ることも。


 浮雲が拾ってくることも。


「とりあえず飯にするか」


 男が言う。


「腹減ったろ?」


 その言葉で。


 灰崎は気付いた。


 確かに空腹だった。


 最後にまともな食事をしたのはいつだったか。


 思い出せない。


 男は歩き出す。


 村の中心へ。


 その背中を見ながら。


 灰崎はもう一度魂を見る。


 やはり深い。


 穏やかで。


 静かで。


 底が見えない。


 まるで長い年月を生きた老人のような魂。


 だが外見は若い。


 その違和感が妙に引っ掛かった。


「そういえば」


 地図係が言う。


「まだ名前聞いてなかったな」


 男は振り返る。


 そして少しだけ笑った。


「名前か」


 一瞬だけ。


 何かを考えるような間。


 それから。


「好きに呼べばいい」


 肩を竦める。


「村じゃ浮雲って呼ばれてる」


 そう言って歩き出した。


 その言葉を聞きながら。


 灰崎は思う。


 この男は。


 本当にただの村人なのだろうか。


 そんな疑問が。


 ますます大きくなっていた。

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