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【怠惰の章】最後の導き

 門が開いた。


 長かった試験の終わり。


 妖精を追い。


 根の迷宮を越え。


 大妖精に資格を問われ。


 三つの試練を乗り越えた。


 ようやく先へ進める。


 その事実だけで、一行の空気はこれまでとは少し違っていた。


 疲労は濃い。


 傷も残っている。


 だが、重苦しい緊張は薄れていた。


 試験は終わった。


 少なくとも全員がそう思っていた。


 チリン。


 鈴の音が響く。


 白い妖精だった。


 最初に若木へ導き、試験の最中も度々姿を現した妖精。


 それが再び現れ、門の向こうへと飛んでいく。


「まだ案内してくれるらしいな」


 諜報員が笑う。


「意外と律儀だよな」


「お前、妖精と友達にでもなる気か?」


「別にいいだろ」


「いや気持ち悪い」


 地図係が即答した。


 諜報員が肩を竦める。


 小さな笑いが起きた。


 試験中ならあり得なかった空気だった。


 灰崎はその様子を見ながら少しだけ目を細める。


 そして視線をサミエムへ向けた。


 変わった。


 そう思う。


 ほんの少しだけ。


 本当に少しだけだが。


 以前のサミエムなら仲間の会話に意識を向ける余裕などなかった。


 常に前だけを見ていた。


 全てを背負うつもりでいた。


 だが今は違う。


 完全ではない。


 それでも変化は確かに存在する。


 試験の意味はあった。


 灰崎はそう思った。


『進むが良い』


 大妖精の声が響く。


 それを最後に、巨大な門番は静かに目を閉じた。


 一行は門をくぐる。


 そして。


 誰もが息を呑んだ。


「……え?」


 地図係の声が震える。


 理解が追いつかない。


 灰崎も思わず立ち止まった。


 空があった。


 青空。


 流れる雲。


 風。


 光。


 地下にいるはずなのに。


 頭上には果てしない天が広がっていた。


 そして眼下には湖。


 発光する花々。


 見たことのない樹木。


 鳥。


 獣。


 幻想そのものの景色。


 さらに遥か遠く。


 巨大な何かが見える。


 だが距離がありすぎて分からない。


 山脈なのか。


 森なのか。


 それとも別の何かなのか。


 ただ一つ言えるのは。


 あまりにも巨大だということだった。


「……綺麗だな」


 諜報員が呟く。


 誰も否定しない。


 あまりにも現実離れしていた。


 神話の世界。


 そう呼ぶしかない光景だった。


 だが。


 灰崎だけは違和感を覚えていた。


(何だ……?)


 美しい。


 それは間違いない。


 だが。


 何かがおかしい。


 理由は分からない。


 根拠もない。


 それでも胸の奥がざわつく。


 妖精を見る。


 白い妖精。


 相変わらず先を飛んでいる。


 魂の色を見た。


 穏やかだった。


 敵意もない。


 殺意もない。


 むしろ。


 どこか安らかですらあった。


(役目を終える……みたいな)


 そんな色だった。


 その違和感だけが引っ掛かる。


 だが説明は出来ない。


 だから灰崎は黙って歩いた。


 一行は進む。


 妖精の後を追う。


 景色は変わらない。


 美しい。


 幻想的。


 現実味がない。


 まるで夢の中を歩いているようだった。


「帰ったら酒飲みたいな」


 諜報員が言った。


「生きて帰れたらな」


 サミエムが返す。


「珍しいな」


「何がだ」


「冗談言うんだなって」


 少しだけ沈黙。


 そして。


 サミエムは小さく息を吐いた。


「俺だって人間だ」


「初めて知った」


「殺すぞ」


 地図係が吹き出す。


 諜報員も笑う。


 灰崎も口元を緩めた。


 本当に。


 少しだけ。


 空気が柔らかくなっていた。


 だから。


 次の瞬間はあまりにも突然だった。


 バキッ。


 音。


 諜報員が振り返る。


「……ん?」


 一歩。


 前へ出ていた。


 ただそれだけ。


 ただそれだけだった。


 だが。


 地面が消えた。


「は?」


 崩落。


 足場が砕ける。


 諜報員の身体が沈む。


 一瞬。


 本当に一瞬だった。


「ッ!」


 灰崎が目を見開く。


 叫ぼうとする。


 間に合わない。


「うわあああああああああああ!!」


 悲鳴。


 落下。


 闇。


 消えた。


 地図係が絶叫する。


「え!? 待っ!! おい!!」


 混乱。


 理解が追いつかない。


 サミエムが崩落地点へ駆け寄る。


 深い。


 底が見えない。


 助ける。


 その判断は既に不可能だった。


 落下速度が速すぎる。


 距離も遠すぎる。


 そして。


 サミエムの視線が動く。


 妖精。


 白い妖精。


 崩落した場所の上を静かに飛んでいる。


 まるで。


 全て知っていたように。


 その瞬間だった。


 サミエムの瞳から迷いが消える。


 思考が加速する。


 原因。


 特定。


 排除。


 霊帝の抱擁。


 冷徹な合理性。


 感情を削ぎ落した判断。


 答えは一瞬で出た。


 妖精。


 原因。


 敵。


「サミエム」


 灰崎が呼ぶ。


 嫌な予感がした。


 妖精を見る。


 魂の色。


 見える。


 違う。


 敵じゃない。


 少なくとも。


 悪意はない。


 だから。


「待て!」


 灰崎が叫ぶ。


「そいつ――」


 サミエムの剣が抜かれる。


 速い。


 速すぎる。


 灰崎の言葉より先だった。


 斬撃。


 白い光。


 妖精の身体が二つに裂ける。


 チリン――。


 最後の鈴が鳴った。


 そして。


 世界が砕けた。


 空。


 雲。


 湖。


 花。


 森。


 全て。


 全てがガラスのように崩壊する。


「なっ……!?」


 地図係が固まる。


 幻影だった。


 全部。


 何もなかった。


 そこにあったのは。


 巨大な縦穴。


 果てしない暗闇。


 そして。


 一行が立っていた足場そのものが崩れ始めていた。


 灰崎は最後に妖精を見る。


 消えていく魂。


 そこにあった感情は。


 怒りではない。


 恨みでもない。


 ただ。


 静かな満足。


 役目を果たした者の色。


 そこで理解する。


 こいつは敵じゃなかった。


 入口まで導いただけだった。


 だが。


 もう遅い。


 足場が消える。


 全員の身体が宙へ放り出された。


 落下。


 風圧。


 悲鳴。


 暗闇。


 そして。


 遥か下。


 そこに見えたものに。


 全員が息を呑んだ。


 大地だった。


 地下世界の底に広がる巨大な大地。


 山脈。


 森。


 河川。


 湖。


 それら全てを抱え込んだ果てなき土地。


 だが。


 おかしい。


 広すぎる。


 地下に存在するには。


 あまりにも。


 あまりにも巨大すぎた。


 果てが見えない。


 終わりが見えない。


 まるで。


 世界がもう一つ存在しているかのように。


 誰も言葉を発しなかった。


 ただ。


 闇の底に広がるその幻の大地を見つめながら。


 一行は落ち続けていた。

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