【怠惰の章】資格ある者
ズン――――。
地下空間全体を揺らしながら、巨大な門がゆっくりと開いていく。
緑色の光が溢れ出した。
根と蔦で編まれた門。
それは人工物ではなかった。
生きている。
まるで巨大な花が開くように、幾重もの根が左右へ分かれていく。
その光景を見上げながら、灰崎は大きく息を吐いた。
「……終わったか?」
「まだだろ」
返したのはサミエムだった。
だが、その声にも疲労が滲んでいる。
左ルート。
右ルート。
中央ルート。
三つの試験を終えた一行は、門の前へ再び集まっていた。
全員汗だくだ。
服は泥だらけ。
傷もある。
息も荒い。
それでも。
不思議と誰も暗い顔をしていなかった。
死線は越えた。
そして。
突破した。
その実感があった。
「地味にきつかった……」
地図係が地面へ座り込む。
「いや地味じゃないだろ」
諜報員が苦笑する。
「俺は二度とあの迷路やりたくない」
「俺も」
灰崎も即答だった。
あの根迷宮は本当に嫌だった。
全部同じ景色。
全部同じ匂い。
全部同じ湿気。
途中から自分がどこを歩いているのか分からなくなる。
観察試験だと気付かなければ、今も彷徨っていただろう。
そんなことを考えていると。
チリン。
鈴の音が響いた。
全員が顔を上げる。
白い妖精。
最初に若木へ導いた妖精だ。
その妖精がゆっくりと空へ舞い上がる。
そして。
巨大な存在の前へと飛んでいく。
大妖精。
森の門番。
世界樹の守護者。
巨大な翅がゆっくりと動く。
緑光が揺れる。
今までなら圧しか感じなかった。
だが今は違う。
敵意がない。
むしろ。
歓迎に近い何かを感じた。
『よく辿り着いた』
声が響く。
静かに。
穏やかに。
頭の中へ。
以前のような圧迫感はほとんどなかった。
灰崎は少しだけ肩の力を抜く。
『試験は終わりである』
地図係が露骨に安堵の息を吐いた。
「よかったぁ……」
その気持ちは全員同じだった。
すると。
大妖精がゆっくりと降りてくる。
巨大な身体。
近くで見ると圧巻だった。
樹皮。
苔。
蔦。
花。
森そのものが人の形を取ったような存在。
美しい。
だが神秘的というよりは畏怖に近い。
古い。
圧倒的に古い。
何百年。
いや何千年生きているのか想像もつかない。
『資格とは何か』
誰も口を挟まない。
大妖精が続ける。
『強き者は多い』
『剣を振るう者』
『魔を操る者』
『獣を屠る者』
『世界には数多存在する』
静かな声。
だが重みがあった。
『されど森は一人では生きられぬ』
地下空間に沈黙が広がる。
『木は土を必要とする』
『土は虫を必要とする』
『虫は花を必要とする』
『花は風を必要とする』
『全ては巡る』
『全ては支え合う』
灰崎は思わず若木を見た。
入口だったもの。
試験だったもの。
全部繋がる。
『故に』
『己の役割を知り』
『他者を認め』
『支え』
『支えられる者』
『その者のみが世界樹へ至る資格を持つ』
理解できた。
妖精を追った意味。
三つの試験。
一本道。
三分岐。
全部。
全部そのためだった。
力を測る試験じゃない。
生き方を測る試験。
その時。
大妖精の視線が動いた。
サミエムへ向く。
静かな目。
『剣の者』
サミエムが顔を上げる。
『汝は背負いすぎている』
空気が止まった。
サミエムの表情が僅かに揺れる。
灰崎には見えた。
魂の色が乱れる。
喪失。
後悔。
責任。
ずっと抱えてきたもの。
『失った者を背負うことは悪ではない』
『されど』
『全てを背負えば、いずれ折れる』
サミエムは何も言わない。
言えない。
図星だったからだ。
『汝は強い』
『だが強さとは支えることだけではない』
『支えられることもまた強さである』
沈黙。
長い沈黙。
サミエムは俯いていた。
そして。
小さく。
本当に小さく。
「……ああ」
とだけ答えた。
大妖精はそれ以上何も言わなかった。
十分だったのだろう。
次に。
視線が動く。
灰崎へ。
『魂を見る者』
灰崎が固まる。
「……え?」
全員が振り返った。
地図係まで見てくる。
「え?」
「え?」
灰崎も同じ反応だった。
だが。
大妖精は静かだった。
『汝はまだ気付いていない』
意味深だった。
『されど』
『いずれ知る』
灰崎は眉を寄せる。
何だそれ。
聞きたいことは山ほどある。
魂の色。
魂術。
顕現化。
魂縛。
だが。
大妖精はそれ以上語らない。
まるで今はまだ早いとでも言うように。
そして。
ゆっくりと身体を横へ向ける。
開いた門。
その先へ。
『進むが良い』
全員が視線を向ける。
そして。
息を呑んだ。
そこに広がっていたのは――
森だった。
いや。
樹海。
地下とは思えない。
空がある。
光がある。
湖がある。
巨大な木々が並ぶ。
見たこともない花。
見たこともない鳥。
幻想的な景色。
まるで別世界。
そして。
その遥か向こう。
全員の視線を奪う存在があった。
巨木。
圧倒的。
絶対的。
空を貫いていた。
大地を支えていた。
世界の柱。
そう呼ぶしかない。
若木など比較にもならない。
入口だった苗木が砂粒に見えるほど。
遥か。
遥か彼方。
それでも分かる。
巨大すぎるから。
存在感だけで。
世界樹。
ユグドラシル。
サミエムが呆然と見上げる。
言葉が出ない。
誰も出ない。
ただ。
しばらくして。
サミエムがぽつりと呟いた。
「……ようやく着いた」
その言葉に。
大妖精は静かに首を振った。
『違う』
全員が振り返る。
大妖精は穏やかに言った。
『まだ入口だ』
そして。
遥か彼方の世界樹を見つめた。
まるで。
これから始まる本当の試練を知っているかのように。




