【怠惰の章】根下の門(五)
目を細めた。
ただ、それだけ。
大妖精は本当に僅かに視線を変えただけだった。
なのに空気が変わった。
圧。
湿気。
地下空間全体へ満ちていた重さが、少しだけ輪郭を持ったような感覚。
見られている。
森そのものに。
測られている。
灰崎は喉の奥で息を詰まらせた。
(……当たりか?)
倒せ、ではない。
排除、でもない。
資格を示せ。
最初の言葉。
あれが全部だった。
そして今。
大妖精は怒っていない。
焦ってもいない。
殺意すら薄い。
なら。
戦闘そのものが目的じゃない。
「サミエム!」
灰崎が叫ぶ。
足場が揺れる。
床だった巨大根が脈打ち、傾斜が変わる。
通路が斜めになる。
小妖精群が死角へ回り込む。
相変わらず鬱陶しい。
速い。
小さい。
急所だけ狙う。
そして。
環境と連携する。
「正面切って勝つ戦いじゃねぇ!」
サミエムが小妖精を斬り払いながら振り返る。
「ならどうする!」
「見せるんだよ!」
「何を!」
「知らねぇ!」
怒鳴り返してから、自分で腹が立った。
分からない。
でも。
感覚だけはある。
ここまで全部そうだった。
妖精の追跡。
根道。
蒸樹蛇。
森。
全部。
考えれば突破口があった。
理不尽じゃない。
法則。
そして選別。
試験。
「灰崎ッ!」
サミエムの叫び。
反射。
屈む。
根の槍が頭上を貫いた。
風圧。
髪が舞う。
直撃していたら胴が消えていた。
「クソっ!」
汗が目に入る。
熱い。
湿度。
息苦しい。
肺が重い。
それでも考える。
大妖精を見る。
巨大。
静か。
森そのもの。
だが。
視線が動いている。
こちらを見る時。
少しだけ。
感情が揺れる。
怒りじゃない。
興味。
評価。
観察。
(……見てる)
戦っているんじゃない。
観察されている。
試験官。
その認識が強くなる。
小妖精が突っ込む。
三体。
上。
右。
後ろ。
「魂を縛れ――魂鎖!」
青白い糸。
一瞬停止。
サミエムが踏み込む。
一閃。
二閃。
三閃。
木片が散る。
樹液臭。
羽が落ちる。
だが。
まだ多い。
「キリがねぇ!」
地図係が短剣を振る。
「むしろ増えてない!?」
「増えてる!」
壮年の諜報員が叫ぶ。
地下奥。
緑闇。
そこからまだ湧く。
無数。
まるで巣。
押し切れる量じゃない。
だから。
違う。
勝ち方が。
(これもヒントか?)
灰崎は呼吸を整える。
小妖精。
役割。
死角。
連携。
そして。
止まる。
攻撃前。
羽。
一拍。
静止。
法則。
ある。
絶対に。
「サミエム!」
「何だ!」
「前だけ見るな!」
「?」
「俺見る!」
サミエムが眉を寄せる。
「何を言ってる」
「いいから任せろ!」
即答だった。
理屈じゃない。
でも必要だった。
今までサミエムは全部背負いすぎていた。
前へ出る。
斬る。
守る。
抱える。
それで壊れかけていた。
「お前、一人で全部やろうとすんな!」
言葉が少し強くなる。
サミエムの動きが止まる。
一瞬だけ。
「……!」
魂の色。
揺れた。
苛立ち。
反発。
でも。
疲労。
迷い。
そして。
少しの安堵。
「俺が見る!」
灰崎が叫ぶ。
「だから前だけやれ!」
その瞬間。
小妖精が死角へ回る。
「右後ろ!」
サミエムが反射で動く。
一閃。
砕く。
「上!」
斬る。
「左!」
踏み込み。
切断。
速い。
異常に速い。
だが。
今までと違った。
迷わない。
見る場所が減った。
だから精度が上がる。
連携。
噛み始める。
「……っ」
サミエムが小さく息を吐く。
少しだけ。
呼吸が軽くなる。
灰崎は見逃さない。
魂の色。
焦燥が少し薄れた。
責任を分け始めている。
(そうだ)
一人で抱えんな。
師匠の死も。
戦争も。
全部。
そんな時だった。
ズズズズ……。
床が動いた。
根。
地形変化。
巨大な段差。
通路分断。
「跳べ!」
灰崎が叫ぶ。
だが地図係が足を滑らせる。
「やば――!」
落ちる。
その瞬間。
サミエムが動いた。
迷いなし。
飛び込む。
片手で掴む。
危うい。
二人とも落ちかける。
なのに。
剣を捨てない。
歯を食いしばって耐える。
「っ……!」
灰崎が駆ける。
魂鎖。
一瞬。
根の動きを止める。
諜報員たちが引き上げる。
全員息を荒げた。
そして。
その時。
チリン。
妖精。
白い案内役。
初めてだった。
灰崎たちの近くへ来る。
逃げない。
そして。
サミエムを見る。
灰崎を見る。
鈴が鳴る。
どこか。
肯定みたいに。
同時。
大妖精。
巨大な顔。
静かな目。
ほんの少しだけ。
感情が動いた。
驚き。
違う。
納得。
あるいは。
評価。
そして再び。
頭へ声が響く。
『力ではない』
短い。
だが重い。
『森へ至る資格を示せ』
直後。
地面全体が脈打った。
今までとは比較にならないほど強く。




