【怠惰の章】根下の門(四)
『資格を示せ』
声ではなかった。
なのに響いた。
耳からじゃない。
頭の奥。
脳髄を直接撫で回されるような、不快な振動。
意味だけが流れ込んでくる。
言葉というより。
概念。
理解。
拒絶できないほど自然に。
灰崎の呼吸が止まる。
目の前。
巨大な存在。
森だった。
大妖精。
そう呼ぶしかない。
巨大な半透明の翅が、地下空間へ柔らかな緑光を散らしている。
人型に近い輪郭。
だが人ではない。
腕は蔦。
肌は樹皮。
髪のように垂れる苔。
身体の内側を流れる淡い光。
そして目。
静かすぎた。
怒りがない。
敵意も薄い。
ただ。
測る目。
試す目。
森へ入り込んだ異物を見る目だった。
小妖精たちが周囲で静止している。
羽を震わせながら。
まるで臣下。
あるいは警備兵。
逃げない。
襲わない。
待っている。
判決を。
灰崎は喉を鳴らした。
「……資格って何だよ」
返答はない。
ただ。
圧が増した。
ズン。
空気が沈む。
膝が軋む。
肺が重い。
湿気のせいじゃない。
存在感。
格。
巨大な獣の前へ立った時の本能的恐怖。
いや。
もっと酷い。
森そのものがこちらを見ているような圧迫感だった。
「サミエム」
灰崎が低く呼ぶ。
「多分、来る」
「ああ」
短い返答。
剣を構える。
呼吸が変わっていた。
焦燥ではない。
戦士の呼吸。
静かに研ぎ澄まされている。
大妖精が腕を上げた。
それだけ。
本当に。
ただ腕を持ち上げただけ。
なのに。
空気が動いた。
ゴゴゴゴ……。
地下通路。
左右の根壁が軋む。
「――下がれ!」
サミエムが叫ぶ。
直後。
壁だったはずの根が動いた。
槍。
違う。
根そのものが牙を剥いた。
無数。
枝分かれ。
杭。
突き刺さる。
暴風みたいな速度。
「っ!」
灰崎が飛ぶ。
根が通過。
熱風。
髪が揺れる。
背後。
根壁へ直撃。
轟音。
岩みたいな根が砕け散った。
「うそだろ……!」
威力。
桁違い。
喰らえば死ぬ。
即死。
躊躇なく。
「来るぞ!」
サミエム。
踏み込む。
真正面。
速い。
斬撃。
一閃。
空気を裂く。
だが。
止まった。
「……は?」
剣が。
止まっている。
届いている。
斬っている。
なのに。
切れていない。
蔦。
樹皮。
大妖精の腕表面。
そこへ薄い膜のような緑光が張っていた。
受けている。
完全に。
弾いている。
大妖精が見下ろす。
感情は薄い。
驚きすらない。
虫が当たった。
その程度。
そして。
指が動く。
サミエムの足元。
根。
爆発的成長。
拘束。
「危ねぇ!」
「――魂を縛れ、魂鎖!」
青白い糸。
根へ巻き付く。
一瞬止まる。
本当に一瞬。
だが十分。
サミエムが飛び退く。
汗。
呼吸。
「助かった」
「礼いいから集中!」
灰崎は息を荒げた。
ヤバい。
想像以上。
魂鎖。
効く。
だが止まるだけ。
足止め程度。
しかも巨大な根ほど短い。
大型ほど効きが悪い。
万能じゃない。
「魂縛は……」
無理。
即答だった。
条件が足りない。
感情の揺らぎ。
最頂点。
怒り。
絶望。
歓喜。
ピーク。
そこへ詠唱。
必中。
耐性無視。
だから強い。
だが。
今。
大妖精の感情が静かすぎる。
揺れていない。
山みたいだ。
動かない。
(決められねぇ……!)
大妖精が再び腕を動かす。
今度は床。
根脈が脈打つ。
ズズズズズ……!
地形変化。
盛り上がる。
裂ける。
傾く。
「足場まで!?」
地図係が転倒する。
小妖精が動いた。
一斉。
死角。
襲来。
「散るな!」
灰崎が叫ぶ。
「分断される!」
まただ。
試験。
環境利用。
全部繋がっている。
理不尽じゃない。
法則。
ある。
必ず。
灰崎は見る。
大妖精。
感情。
薄い。
静か。
だが。
完全無ではない。
微細。
揺れる。
何かを見る時。
侵入者が動いた時。
ほんの少しだけ。
反応する。
(見てる)
試してる。
選別。
資格。
言葉。
そういうことか。
「サミエム!」
「何だ!」
「勝つ相手じゃねぇ!」
剣を弾きながらサミエムが睨む。
「何を言ってる!」
「試験だ!」
叫ぶ。
「資格を示せって言った!」
大妖精を見る。
静かな目。
敵意ではない。
確認。
測定。
「倒せじゃない!」
瞬間。
サミエムの目が僅かに変わった。
理解。
そして。
大妖精が初めて。
ほんの少しだけ。
目を細めた。




