【怠惰の章】根下の門(ニ)
羽音だった。
最初は風かと思った。
地下から吹き上がる湿った空気が、狭い通路を駆け抜けているだけだと。
だが違う。
音が多すぎた。
ビィィィィィ――――。
耳障りな高音。
無数。
近い。
そして。
速い。
「――構えろッ!!」
サミエムの声が通路へ響いた。
剣が抜かれる。
諜報員たちが反射的に散る。
散る、といっても限界がある。
通路は広い。
だが左右は根壁。
足場も湿っている。
落下はないが、動きづらい。
湿気が重い。
熱気が肺へまとわりつく。
そして。
暗闇。
緑光の向こうから。
無数の影が飛び出した。
「……は?」
灰崎の口から思わず声が漏れる。
妖精。
だった。
だが違う。
案内していた白い妖精とは明確に異なる。
小さい。
掌ほど。
輪郭が粗い。
虫に近い。
透明な羽。
樹液みたいな光を身体に宿し、細い四肢を持つ。
顔らしきものはある。
だが感情が薄い。
作り物じみていた。
数。
多い。
三十。
いや五十。
もっと。
地下の緑闇から次々現れる。
「うじゃうじゃいんだけど!?」
地図係が悲鳴じみた声を出した。
瞬間。
一体が急加速。
矢みたいな速度。
サミエムの首元へ。
ギィン!!
剣が弾く。
軽い。
だが速い。
次。
三体。
五体。
八体。
「散開!」
諜報員が叫ぶ。
だが。
「いや無理だろこれ!」
灰崎が反射的に身を引いた。
小妖精が顔面へ突っ込む。
爪。
牙。
小さい。
なのに殺意だけ鋭い。
違う。
殺意……?
灰崎の目が細くなる。
魂の色。
見る。
だが。
「……薄い?」
変だった。
怒りがない。
憎悪がない。
恐怖も少ない。
空腹もない。
感情が希薄。
なのに襲う。
まるで。
役割。
仕事。
侵入者排除という行動だけが先にあるみたいだった。
(……これ、生き物か?)
迷った瞬間。
一体が肩へ飛びつく。
「っ!」
鋭い痛み。
噛まれる。
浅い。
だが痛い。
「離れろッ!」
反射的に叫ぶ。
短い詠唱。
「――魂を縛れ、魂鎖!」
青白い糸。
小妖精へ巻き付く。
止まる。
本当に一瞬。
だが。
そのまま引き剥がせる。
「うお、便利!」
投げる。
壁へ激突。
ピシ、と身体が割れる。
木片みたいに砕けた。
「……は?」
灰崎が止まる。
血がない。
肉もない。
樹液。
繊維。
木。
植物。
「何だこいつら!?」
「右!」
サミエムの声。
反射。
屈む。
風切り音。
頭上を数体通過。
速い。
虫に近い。
しかも。
狙いがいやらしい。
目。
首。
関節。
急所ばかり。
サミエムが斬る。
速い。
ほぼ見えない。
銀閃。
連撃。
小妖精が次々砕ける。
だが。
「キリがない!」
増える。
暗闇から。
次々。
次々。
無数。
まるで巣。
「魂鎖!」
一瞬止める。
サミエムが斬る。
「魂鎖!」
止める。
槍が刺さる。
連携。
悪くない。
だが押し返せない。
物量。
多すぎる。
その時だった。
灰崎が気付く。
妖精。
白い案内役。
動かない。
近く。
見ている。
助けない。
でも。
逃げもしない。
チリン。
鈴。
静か。
(……試されてる)
まただ。
追跡。
根道。
蒸樹蛇。
全部そう。
理不尽じゃない。
選ばせる。
試す。
(じゃあ……)
灰崎は目を凝らす。
魂の色。
薄い。
だが。
動き。
癖。
あった。
全員。
真正面からは来ない。
必ず。
“死角側”へ回る。
しかも。
攻撃直前、一瞬だけ羽が止まる。
「サミエム!」
「何だ!」
「来る前に止まる!」
「どこだ!」
「羽!」
瞬間。
サミエムの剣が変わる。
待ち。
見る。
そして。
止まる瞬間。
一閃。
正確。
小妖精が次々砕けた。
「……見えた」
短い声。
少しだけ。
サミエムの魂の色から焦りが薄れる。
呼吸が噛み合い始める。
「右!」
「魂鎖!」
「左!」
「斬る!」
連携。
回り始める。
その時だった。
地下奥。
緑の闇。
空気が変わった。
重い。
静か。
巨大。
そして。
初めて。
感情があった。
深い。
静かな怒り。
いや。
警戒。
見定め。
圧。
緑光の奥。
何か巨大な影が。
ゆっくりと動いた。




