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【嫉妬の章】合理という名の刃

 静寂は、音を失っていた。


 壊れた転送ゲート。


 砕けた光の残滓。


 焦げた匂い。


 そして。


 動かない空気。


 誰も、口を開かない。


 誰も、動こうとしない。


 ただ。


 そこにある現実を、直視できずにいる。


 ついさっきまで、繋がっていた。


 あの場所と。


 ヘリオと。


 だが今は。


 何もない。


 繋がりは断たれた。


 完全に。


 不可逆に。


「……」


 サミエムは立ち尽くしていた。


 手には、神器。


 怠惰帝の盾。


 それを握る力が、無意識に強くなっている。


 軋む。


 だが、気づかない。


 視線は、壊れたゲートに固定されている。


(……来るはずだった)


 思考が、止まらない。


(あいつなら)


 あの男なら。


 どんな状況でも。


 戻ってくるはずだった。


 それなのに。


 戻ってこない。


 理由は、分かっている。


 だが。


 理解したくない。


「……っ」


 奥歯が鳴る。


 噛み締めすぎている。


 血の味が、わずかに広がる。


 灰崎もまた、同じ場所を見ていた。


 何も言わない。


 言葉が、見つからない。


 何を言っても、意味がないと分かっているから。


 諜報員たちも、沈黙している。


 負傷者の呻き声だけが、わずかに響く。


 それすらも、遠い。


 その静寂の中で――


 足音が、響いた。


 コツ。


 コツ。


 ゆっくりと。


 規則的に。


 この場の空気とは、あまりにもかけ離れた音。


 誰もが、その音に反応する。


 顔を上げる。


 視線が集まる。


 そこに。


 一人の男が、いた。


 強欲帝。


 マモン。


 その存在は、空気を変える。


 支配する。


 感情の余地を奪うように。


 彼は、壊れたゲートを一瞥した。


 ほんの一瞬。


 それだけ。


 興味の有無すら分からない。


 そして。


 灰崎たちへ視線を向ける。


「……」


 沈黙の中。


 彼だけが、平常だった。


「嫉妬帝の武器が無いということは」


 ゆっくりと口を開く。


 声音は一定。


 揺れがない。


「失敗したのだな」


 その一言。


 あまりにも、冷たかった。


 事実を、ただ確認するだけ。


 そこに。


 感情はない。


 労いも。


 怒りも。


 失望すらもない。


 ただの、評価。


「……っ」


 空気が、軋む。


 サミエムの身体が、動いた。


 抑えきれない。


 感情が、爆発する。


 一歩。


 二歩。


 床を踏み鳴らしながら、距離を詰める。


「てめぇ……!」


 手が伸びる。


 マモンの胸ぐらを、強く掴む。


 布が歪む。


 だが、マモンは動かない。


「ふざけんなよ……!」


 怒りが、言葉になる。


「あんたに……情ってもんはねぇのか!!」


 叫ぶ。


 空間を震わせる。


 沈黙を、叩き壊す。


「なんで……!」


 震える声。


 抑えきれない。


「なんで壊した!!」


 指に力が入る。


 さらに強く、掴む。


「転移ゲートを!!」


 吐き出すように。


 叩きつけるように。


 その問い。


 怒り。


 悲鳴。


 全てを込めて。


 だが。


 マモンは、変わらない。


 ゆっくりと、視線を落とす。


 サミエムを見る。


 その目は。


 冷たいまま。


「帰るかもわからん男を待っていれば」


 静かに。


 あまりにも静かに。


「いずれ敵がなだれ込む」


 その言葉は。


 刃だった。


 感情を切り裂く。


 容赦なく。


「それまでに、この拠点も潰される」


 続ける。


 止まらない。


「そうなれば、回収した神器も」


「ここにいる全員も」


「終わる」


 一つ一つ。


 現実を、積み上げる。


 逃げ道を、塞ぐ。


 正論。


 それが、ここまで重いとは。


「……でも……!」


 サミエムが言葉を絞り出す。


 だが。


 続かない。


 何も、言えない。


 否定できない。


 分かってしまう。


 それが。


 正しいと。


「……っ……」


 拳が震える。


 掴んだ手が、わずかに揺れる。


 怒りは消えない。


 納得もしていない。


 だが。


 反論が、できない。


 それが、何よりも苦しい。


 マモンが、静かにサミエムの手を外す。


 抵抗はない。


 外されるまま。


 力が抜ける。


 サミエムは、俯く。


 歯を食いしばる。


 血が滲む。


 それでも。


 何も言えない。


 言葉が、出てこない。


 沈黙。


 再び。


 だが、さっきとは違う。


 押し潰された後の静けさ。


 感情が、行き場を失った空間。


 灰崎は、それを見ていた。


 何も言わない。


 言えない。


 どちらも、間違っていない。


 だからこそ。


 どうしようもない。


 マモンが、視線を巡らせる。


 倒れている者。


 立っている者。


 全員を、一瞥する。


 評価するように。


 数えるように。


「……」


 一拍。


 そして。


「次の作戦だ」


 その言葉。


 あまりにも早い。


 だが。


 当然のように。


 戦いは、終わっていない。


 続いている。


 この男にとっては。


 今この瞬間も。


 ただの“過程”でしかない。


「準備をしろ」


 冷たく。


 断定的に。


 拒否を許さない。


 その一言で。


 現実が、再び動き出す。


 止まっていた時間が。


 無理やり、進められる。


 サミエムは、動かない。


 俯いたまま。


 拳を握ったまま。


 だが。


 その背中は、震えていた。


 怒りか。


 悔しさか。


 それとも。


 両方か。


 灰崎は、ゆっくりと目を閉じる。


 そして、開く。


 思考を切り替える。


 無理やりにでも。


(……進むしかない)


 それが、この世界だ。


 救いなんて、ない。


 ただ。


 選ぶしかない。


 マモンの背中が、わずかに遠ざかる。


 止まらない。


 振り返らない。


 その姿は。


 あまりにも、合理的で。


 あまりにも――


 冷酷だった。

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