【嫉妬の章】帰還の代償
光が、弾けた。
視界が白に塗り潰される。
足場の感覚が消え、身体が宙に放り出されたような錯覚。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
無重力のような浮遊。
そして――
叩き戻される。
重力。
現実。
硬い床。
「……っ!」
灰崎の膝が沈む。
踏ん張る。
だが、完全には耐えきれず、片手を床についた。
息が荒い。
喉が焼ける。
肺が熱い。
それでも。
生きている。
「……は……は……!」
横で、サミエムも同じように膝をついていた。
剣を杖のようにして、なんとか身体を支えている。
もう、立っているのがやっとだ。
だが。
その手は、離さない。
神器。
怠惰帝の盾。
歪んだ光を放つそれを、強く抱えている。
「……ここ……」
サミエムが、顔を上げる。
視界が、ゆっくりと戻る。
白が剥がれ、輪郭が現れる。
天井。
石造り。
だが整備されている。
空気。
湿っていない。
戦場のそれとは違う。
静かだ。
あまりにも。
「……ラクスウェル……だな」
灰崎が、低く言う。
諜報員たちの拠点。
転送先。
生還地点。
本来なら。
安堵する場所。
だが――
「……なんだよ、これ」
サミエムの声が、変わる。
わずかに、震えていた。
灰崎も、視線を巡らせる。
そして。
理解する。
ここは。
“安全地帯”ではなかった。
床に、誰かが横たわっている。
一人じゃない。
複数。
どれも、動かない。
いや。
動けない。
血の匂い。
濃い。
新しい。
そして、古いものも混じっている。
包帯。
応急処置。
焼けた肉の匂い。
抉れた傷。
折れた骨。
呻き声。
微かに。
だが、確かに。
「……っ」
灰崎の足が止まる。
ここもまた。
戦場だった。
「……戻った、のか」
声。
かすれている。
弱い。
だが、意識はある。
灰崎がそちらを見る。
壁際。
一人の男。
上半身を起こすこともできず、横たわったままこちらを見ている。
顔色は悪い。
血が足りていない。
だが、目だけは生きている。
「……ああ」
灰崎が近づく。
「なんとか、な」
「……そうか……」
男が、わずかに笑う。
安心したように。
だが、その笑いは弱い。
すぐに消える。
「……他は……?」
灰崎の問い。
男は、一瞬だけ目を閉じる。
何かを噛み締めるように。
そして、開く。
「……やられた」
短い。
だが、それで十分だった。
「嫉妬帝の戦いで……」
息が乱れる。
それでも続ける。
「各地で……潰された……」
その言葉で、全てが繋がる。
あの戦場。
あれは一部でしかなかった。
同時に。
各所で。
同じように。
潰されていた。
「今……避難を進めてる……」
「避難……?」
「動ける奴だけでも……別ルートで……」
言葉が途切れ途切れになる。
限界が近い。
その時。
扉が、勢いよく開いた。
「担架、こっちだ!」
声。
数人の諜報員が、誰かを担いで入ってくる。
血まみれ。
意識はない。
身体のあちこちが壊れている。
床に寝かされる。
すぐに別の者が応急処置に入る。
だが、その手つきに余裕はない。
「こっちも来るぞ!」
さらに声。
また一人。
また一人。
運び込まれる。
増えていく。
倒れている人間が。
この空間を、埋めていく。
「……くそ……」
サミエムが、歯を食いしばる。
何もできない。
助ける余力もない。
ただ、見ているしかない。
「……まだ、いるのか」
絞り出すように言う。
男が、わずかに頷く。
「あと……一人……」
その言葉。
空気が、変わる。
「それで……全員だ……」
灰崎の心臓が、強く打つ。
「……誰だ」
分かっている。
だが、聞かずにはいられない。
男は、ゆっくりと答える。
「……ヘリオ……だ」
その名前が、落ちる。
重く。
深く。
沈む。
サミエムの拳が、震える。
「……来る」
低く。
言い聞かせるように。
「絶対に来る」
強く握る。
神器が軋む。
「……あいつが、来ねえわけねえだろ」
灰崎は、何も言わない。
ただ。
ゲートを見る。
転送装置。
淡く光っている。
まだ、機能している。
なら。
戻ってくる。
あの男なら。
(……来い)
思考が、祈りに近づく。
時間が、伸びる。
一秒が長い。
誰も動かない。
誰も喋らない。
ただ、待つ。
それしかできない。
そして――
光が、揺れた。
「――!」
全員の視線が、そこへ向く。
来る。
そう思った。
だが。
違う。
揺れ方が、おかしい。
安定していない。
波打つ。
乱れる。
「……おい……」
サミエムの声が、かすれる。
嫌な予感。
それが、現実になる。
光が、歪む。
ねじれる。
空間が、悲鳴を上げる。
そして――
弾けた。
爆ぜる。
光が、砕け散る。
衝撃が走る。
風が吹き荒れる。
装置が軋む。
崩れる。
転送ゲートが。
完全に。
破壊された。
「……は……?」
誰かの声。
意味を成さない。
光は、消えた。
完全に。
繋がりは、断たれた。
もう。
戻れない。
沈黙。
重い。
誰も動けない。
理解したくない。
だが。
分かってしまう。
あの場所に。
ヘリオは、いる。
そして。
ここには――
いない。




