【嫉妬の章】勝利の余熱と、次の血
静寂が、遅れて訪れた。
ついさっきまで、あれほど激しくぶつかり合っていた戦場が、嘘のように止まっている。
九尾の巨体は、動かない。
首を落とされ、完全に沈黙している。
風が、吹く。
土埃がゆっくりと流れ、視界が晴れていく。
「……終わった、のか」
誰かが呟いた。
その声をきっかけに。
現実が、ゆっくりと戻ってくる。
「……は、はは……」
サミエムがその場に座り込む。
剣を地面に突き立て、肩で息をする。
「マジで……やったのかよ」
笑いがこぼれる。
抑えきれない。
灰崎も、息を吐く。
全身が重い。
魂術の反動で、意識がわずかに霞む。
それでも。
(……勝った)
確かな実感。
帝王。
嫉妬帝。
それを、倒した。
あり得ないことを、やり遂げた。
諜報員たちも、その場に崩れ込む。
誰もが満身創痍。
だが。
顔には、確かな達成感があった。
「……すげえな、お前ら」
一人が笑う。
「本当に……やっちまった」
勝利。
その言葉が、ようやく意味を持つ。
だが。
その中で。
一人だけ、違う動きをしている男がいた。
「……おい」
サミエムが顔を上げる。
視線の先。
ヘリオ。
彼は、倒れた九尾の周囲を歩き回っていた。
ゆっくりと。
何かを探すように。
「何してんだよ、お前」
サミエムが眉をひそめる。
ヘリオは振り返らない。
視線を地面に落としたまま、答える。
「探してる」
「は?」
「神器だ」
その一言で、空気が少しだけ変わる。
サミエムが立ち上がる。
「……ああ、そうか」
理解が追いつく。
「嫉妬帝の、か」
「それもある」
ヘリオが、わずかに視線を動かす。
「だが、もう一つ」
灰崎が近づく。
「……怠惰帝のか」
ヘリオが頷く。
「さっきの盾。あれは確実に神器だ」
確かに。
あの反射。
あの異質な防御。
ただの能力ではない。
「……でもよ」
サミエムが腕を組む。
「なんであんなもん、あいつが使えたんだ?」
その疑問。
当然だった。
神器は、誰でも扱えるものではない。
適合。
あるいは、それに準ずる何かが必要になる。
ヘリオは、少しだけ考えるように間を置いた。
「理由は二つだ」
短く言う。
「一つは、権能」
「権能……」
灰崎が呟く。
帝王の持つ特異性。
それ自体が、常識をねじ曲げる。
「そしてもう一つ」
ヘリオが続ける。
「戦闘センスだ」
サミエムが眉をひそめる。
「……は?」
「あいつは異常だ」
淡々とした声。
「使いこなしていたわけじゃない。だが、“使えてしまっていた”」
言葉を選びながら。
「扱いきれていない力を、無理やり戦術に組み込む。普通なら破綻するが、あいつは破綻しなかった」
灰崎は思い出す。
あの戦い。
最小限の再生。
一点集中。
必要な瞬間に、必要な分だけ。
(……確かに)
あれは、ただの力任せではない。
理解していた。
完全ではないが。
“使い方”を。
「だから成立してたってわけか……」
サミエムが呟く。
納得と、僅かな苛立ち。
あれだけの敵。
簡単に割り切れるものではない。
その時。
「……あった」
ヘリオがしゃがみ込む。
手を伸ばす。
そこにあったのは――
歪な光を放つ、小さな器物。
盾。
だが、物理的な形を保っているようで、どこか不安定。
触れれば、空間ごと歪みそうな感覚。
「これが……」
灰崎が低く呟く。
「怠惰帝の神器だ」
ヘリオが断言する。
それを持ち上げる。
空気がわずかに重くなる。
「第2目標、達成だ」
その言葉。
勝利に、もう一つの意味が加わる。
だが。
灰崎の中で、別の疑問が浮かぶ。
「……マモンは」
小さく呟く。
「知ってたのか」
強欲帝。
あの男。
無尽弓グラトニアスを扱う存在。
今回の一撃。
そして、この神器。
偶然ではない。
繋がっている。
(……全部、読んでたのか)
薄く、嫌な予感が走る。
だが、今はそれよりも――
「残りだな」
サミエムが言う。
「嫉妬帝の神器」
それこそが本命。
ここまでの戦いの核心。
ヘリオが頷く。
「近くにあるはずだ」
帝王が持つもの。
消えるはずがない。
必ず、どこかに。
三人が、同時に動く。
視線を巡らせる。
探す。
その時だった。
ぽたり、と。
音がした。
小さな。
だが、やけに鮮明な音。
灰崎の視界の端に、赤が映る。
「……?」
足元。
地面。
そこに。
血が、落ちていた。
新しい。
まだ温かい。
そして。
もう一滴。
ぽたり、と落ちる。
その瞬間。
全員の動きが、止まった。




