【嫉妬の章】視線の中心
夜は、来ない。
シレヴァルトの空は、どこまでも青いまま。
光だけが鈍り、時間の感覚を曖昧にする。
その中を。
灰崎たちは、歩いていた。
灰崎。
サミエム。
そして――二人の諜報員。
ヘリオはいない。
本屋も動かない。
これは。
“切り離された作戦”。
「……ほんとに、俺らだけでいいのかよ」
サミエムが小さく呟く。
声は抑えている。
だが、不満は隠していない。
灰崎は前を見たまま答える。
「人数は少ない方がいい」
「この街じゃな」
後ろから、諜報員の一人が低く言う。
年嵩の男。
顔には無数の傷。
「多ければ、それだけ“目立つ”」
もう一人の若い諜報員が続ける。
「ここから先は、特にな」
シレヴァルト中心部。
そこは、明らかに異質だった。
これまでと同じ街並み。
同じ構造。
だが。
“密度”が違う。
視線の数。
気配の重さ。
全てが、濃い。
(……来たな)
灰崎は理解する。
ここが。
“中心”。
サミエムが舌打ちする。
「歓迎ムードじゃねえな」
誰も、こちらを見ない。
だが。
全員が、見ている。
通行人。
兵。
影。
意識の一部が、確実にこちらに向いている。
それでも。
止める者はいない。
(……止めない)
違う。
(止める必要がない)
灰崎の中で、確信が形になる。
建物が見える。
他と変わらない。
装飾もない。
ただの石造り。
だが。
「……あそこだな」
サミエムが呟く。
根拠はない。
だが、分かる。
ここが。
“答え”。
灰崎は、そのまま扉へ向かう。
止められない。
いや。
止められないようにされている。
諜報員の男が、低く言う。
「……ここから先は、戻れねえぞ」
確認。
灰崎は、一度だけ頷く。
サミエムが笑う。
「今さらだろ」
扉の前。
一瞬だけ。
空気が止まる。
だが。
躊躇はない。
灰崎が、扉を押す。
――開く。
中は、空だった。
広い。
何もない。
机も。
装飾も。
ただ、空間だけがある。
「……なんだよ、これ」
サミエムの声が、わずかに響く。
その瞬間。
“音”が消えた。
いや。
“吸われた”。
諜報員の若い方が、息を呑む。
「……防音……いや、それ以上だ」
完全な遮断。
外とは、完全に切り離されている。
同時に。
“閉じ込められた”。
灰崎は、中央へ歩く。
その時。
気配が、現れた。
音もなく。
“そこにいる”。
サミエムが即座に構える。
諜報員も反応する。
だが。
灰崎は、動かない。
ただ、見る。
影が、揺れる。
形を持つ。
人。
だが。
輪郭が、定まらない。
揺れている。
「……ようこそ」
声がした。
若い。
だが、どこか擦り切れた声。
「来ると思ってたよ」
サミエムが吐き捨てる。
「……出迎えご苦労だな」
影が、わずかに笑う。
「うん」
軽い。
あまりにも。
「全部、見てたから」
その一言で。
空気が変わる。
圧。
桁が違う。
諜報員の男が、息を詰まらせる。
「……っ」
灰崎は、目を逸らさない。
「……嫉妬帝か」
影が、揺れる。
そして。
「正解」
その一言。
確信に変わる。
嫉妬帝――ヴェルディア。
サミエムが低く笑う。
「趣味悪ぃな、お前」
ヴェルディアは、首を傾ける。
「そう?」
一歩、近づく。
「僕は好きだけど」
その目。
濁っている。
そして。
底にあるのは――
「頑張ってる人」
一拍。
「羨ましいから」
リュミエラはいない。
だが。
その言葉の意味は、全員が理解した。
歪み。
これが、嫉妬。
灰崎は、一歩前に出る。
「……なら」
静かに言う。
「越えるだけだ」
ヴェルディアが、笑う。
歪に。
「いいね」
空間が、揺れる。
「じゃあ――」
次の瞬間。
視界が反転した。
床が消える。
重力が崩れる。
サミエムが叫ぶ。
諜報員が体勢を崩す。
だが。
灰崎は、目を閉じない。
(ここが)
核心。
逃げ場はない。
なら。
進むだけだ。




