【嫉妬の章】綻びの一点
重い。
ただそれだけで、空気が沈んでいる。
ガルド・ヴェルガは、そこに立っているだけだった。
動いていない。
だが、近づくこと自体が間違いだと本能が告げてくる。
サミエムが息を吐いた。
肺に入る空気が、やけに少ない。
「……ふざけんなよ」
言葉とは裏腹に、足は止まらない。
踏み込む。
考える前に動く。
それが今の自分の唯一の強みだと理解しているからだ。
「風――炎――雷!」
魔力を一気に解放する。
三属性。
今度は最初から全開。
刃に収束させるのではなく――
“前方一帯”に叩きつける。
風が流れを作る。
炎が膨張する。
雷が内部で弾ける。
不安定な均衡。
だが、それでいい。
制御よりも、圧を優先する。
爆発が広がる。
面で制圧する一撃。
だが――
ガルドは動かなかった。
拳を、ただ振るう。
それだけで。
爆発が“潰れた”。
内側から弾けるはずのエネルギーが、押し潰されて消える。
「……は?」
サミエムの思考が止まる。
理解が追いつかない。
相殺ではない。
上から“否定された”。
「遅い」
ガルドの声。
次の瞬間、視界が消える。
「――ッ!」
横から衝撃。
サミエムの体が浮く。
何も見えないまま、地面に叩きつけられる。
泥が跳ねる。
呼吸が止まる。
痛みが遅れてくる。
ヘリオが即座に動く。
視線では追えない。
だが、位置は読める。
空間の歪み。
足場の揺れ。
そこに向けて短剣を振るう。
連撃。
無駄がない。
だが――
当たらない。
“そこにいない”。
ガルドは、動いた後にしか存在しない。
次の瞬間。
逆側から衝撃。
ヘリオの体が弾かれる。
だが崩れない。
強引に着地する。
滑る。
止める。
「……見えてないな」
低く呟く。
それは事実だった。
速さの問題じゃない。
認識の問題。
動きそのものが、常識から外れている。
灰崎は動かない。
ただ、見ている。
視界ではない。
“色”を。
ガルドの内側。
感情の流れ。
それは、驚くほど安定していた。
歓喜。
昂揚。
そして、極限まで研ぎ澄まされた集中。
揺れがない。
だからこそ、動きに無駄がない。
(……だが、完全じゃない)
ほんのわずか。
動く“前”。
色が、先に揺れる。
行動の予兆。
意思の方向。
未来の断片。
それが見える。
微かに。
だが確実に。
(……そこを叩く)
灰崎の目が細くなる。
「サミエム、ヘリオ」
低く言う。
二人の意識が向く。
「一瞬でいい」
「何をだ」
ヘリオが即座に返す。
無駄がない。
「止めろ」
短い言葉。
サミエムが笑う。
口の端から血を流しながら。
「簡単に言うなよ」
「できるだろ」
間髪入れず返す。
サミエムは肩をすくめる。
「……まあな」
やるしかない。
理解している。
ここで止められなければ、終わる。
ヘリオが小さく頷く。
「合わせる」
三人の意識が、揃う。
ガルドが笑う。
「いい」
その声には、明確な期待があった。
「来い」
踏み込む。
速い。
だが――
灰崎には“来る前”が見えている。
色が動く。
右。
その先。
そこに合わせる。
「今だ」
その一言。
サミエムが動く。
横から、全力で叩き込む。
「風――炎――雷!!」
今度は“拡散”。
収束しない。
逃げ場を潰す。
面で押し込む。
ガルドの進路が制限される。
回避の選択肢が減る。
その瞬間。
ヘリオが踏み込む。
最短距離。
無駄のない動き。
狙いは一点。
足。
機動を奪うための一撃。
ガルドが腕で受ける。
その一瞬。
ほんの刹那。
動きが止まる。
灰崎は迷わない。
踏み込む。
一直線。
全てを乗せる。
拳を叩き込む。
衝撃。
今までとは違う。
確かな“通り”。
ガルドの体が、わずかに揺れる。
ほんの一瞬。
だが確実に。
初めての“届いた”感触。
静寂。
「……いい」
ガルドが笑う。
その目が、さらに鋭くなる。
「それだ」
喜んでいる。
ダメージではない。
“届いたこと”そのものに。
灰崎は距離を取る。
息を整える。
(……いける)
確信に変わる。
完全ではない。
だが、道は見えた。
サミエムが立ち上がる。
口元を拭う。
「やっとかよ」
ヘリオが短く言う。
「精度を上げる」
それだけ。
十分だった。
灰崎は頷く。
「繰り返す」
単純。
だが、それしかない。
ガルドが一歩踏み出す。
圧が増す。
だが、もう違う。
三人とも理解している。
勝ち筋はある。
細い。
だが、確実に存在する。
そして。
ガルドは笑った。
心の底から。
「まだ足りん」
その言葉は、挑発ではない。
本心だ。
もっと上を求めている。
その渇きが――
戦いを、さらに次の段階へと押し上げていく。




