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【嫉妬の章】諜報拠点

 宿の扉が閉まった瞬間、空気が切り替わった。


 外の静寂とは違う。


 あちらは抑え込まれた静けさ。


 こちらは――切り離された静けさだった。


 灰崎は足を止める。


 音が、妙に吸われる。


 床を踏む感触はあるのに、響きが返ってこない。


 壁。


 天井。


 空間そのものが、何かに覆われている。


 ヘリオが周囲を一度だけ見渡した。


 確認。


 癖のような動き。


 そして――


「――仲間が来たぞ!!」


 声が響いた。


 大きい。


 この国ではあり得ない音量。


 サミエムが反射的に振り向く。


「おい、何して――」


 言いかけて、止まる。


 何も起きない。


 外からも、誰も来ない。


 通りもそのままだ。


 静かなまま。


 灰崎はゆっくりと息を吐いた。


「……遮断されてるのか」


 ヘリオが口元を歪める。


「ようやく気づいたか」


 その直後だった。


 奥の扉が開く。


 二階から足音。


 床下からも、気配。


 それまで感じなかった“人”が、一気に増えた。


 五人。


 十人。


 それ以上。


 次々と姿を現す。


「遅えぞ、ヘリオ」


 奥から出てきた男が言う。


 軽装。


 だが隙がない。


 その後ろからも、男女問わず数人が現れる。


 年齢もバラバラ。


 装備も違う。


 だが共通しているのは――慣れていること。


 潜ることに。


 殺すことに。


 そして、生き残ることに。


 サミエムが低く呟いた。


「……なんだこれ」


 ヘリオが肩をすくめる。


「見ての通りだ」


「諜報拠点」


 カウンターの奥から、さっきの老人が出てくる。


 もう宿主の顔ではない。


 鋭い目。


 冷静な動き。


「外には一切漏れない」


 低い声。


「音も、気配もな」


 灰崎は壁に視線を向けた。


 魔力が流れている。


 層になっている。


 一枚じゃない。


 重ねられている。


「……防音じゃないな」


「遮断だ」


 別の男が答えた。


「音も魔力も、全部切ってる」


「この空間の中だけが、外と別だ」


 サミエムが口笛を吹く。


「よくこんなの作ったな」


「一つじゃないぞ」


 ヘリオが言う。


「この街に同じ構造の拠点がいくつもある」


「全部繋がってる」


 灰崎は目を細めた。


 つまり。


 この街はすでに“潜られている”。


 表では静かな支配が続き、


 裏では、それを崩す準備が進んでいる。


 その境界がここだ。


「で?」


 サミエムが腕を組む。


「何人いるんだよ」


「ここで二十弱」


 ヘリオが答える。


「全体だと五十はいる」


 十分な数だ。


 だが帝王を相手にするには、決して多くはない。


「作戦は?」


 サミエムが聞く。


 ヘリオはすぐには答えなかった。


 ゆっくりと奥へ歩く。


 テーブルの前で止まる。


 自然と人が道を開ける。


 中心。


 そこが、ヘリオの位置だった。


 軽い冒険者の顔は消えている。


 指揮官の顔。


「現状を出せ」


 一言。


 空気が締まる。


 数人が動く。


 紙が広げられる。


 地図。


 建物配置。


 巡回経路。


 細かい書き込み。


 サミエムが小さく笑う。


「……本気だな」


「当たり前だ」


 ヘリオは視線を落としたまま言う。


「帝王の領地だぞ」


「遊びで潜れる場所じゃない」


 報告が始まる。


「近衛の巡回は三交代。周期は安定してる」


「ただし、三日前に一度だけズレた」


「理由は不明」


「魔獣の動きも不自然だ。人為的に誘導されてる可能性が高い」


「市街地の監視は厳しくないが、“視線”は多い」


 情報は揃っている。


 だが――


 決定打がない。


 灰崎はそれを感じていた。


 足りない。


 核心がない。


 その時、一人の男が言った。


「問題が一つある」


 全員の視線が集まる。


「……嫉妬帝の所在が、完全には掴めていない」


 静寂。


 サミエムが眉をひそめる。


「どういうことだよ」


「目撃情報はある」


 男は地図を指す。


「だが、時間と位置が一致しない」


 別の者が続ける。


「同時刻に別の場所で“見た”って報告がある」


「誤認の可能性もあるが……断定できない」


 サミエムが舌打ちする。


「じゃあどれが本物だ」


「分からない」


 短い答え。


 重い沈黙。


 ヘリオは目を閉じた。


 数秒。


 思考。


 そして開く。


「……いい」


 静かな声。


「全部、本物だと思え」


 空気が変わる。


「は?」


 サミエムが顔をしかめる。


「無茶だろ」


「無茶でもそうする」


 ヘリオは地図をなぞる。


「可能性を切り捨てるな」


「全部当たり前提で動け」


 合理的。


 だが危険。


 選択肢を絞らないということは、全てに対応するということだ。


「長引かせるな」


 ヘリオは続ける。


「時間をかけるほど不利になる」


 灰崎は静かに聞いていた。


 この戦いは情報戦だ。


 だが同時に――


 不確定な賭けでもある。


「外したら?」


 灰崎が問う。


 一瞬だけ視線が集まる。


 ヘリオは答える。


「終わりだ」


「位置が割れる」


「拠点ごと全部潰される」


 淡々としていた。


 だが、それが現実だ。


 サミエムが息を吐く。


「一発勝負か」


「そうだ」


 ヘリオは頷く。


 そして。


「だから――確実に仕留める」


 迷いはなかった。


 灰崎はその横顔を見た。


 色が見える。


 灰色。


 恐怖。


 だが。


 その上に、濃い赤。


 覚悟。


 逃げる色ではない。


 向き合う色だ。


 それでも。


 灰崎は、ほんのわずかな違和感を覚えていた。


 何かが足りない。


 何かを見落としている。


 だが――


 それが何かは、まだ分からない。


 静かな部屋の中で。


 戦いは、すでに始まっていた。

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