【嫉妬の章】大森林深部
森の奥は、別の世界だった。
第四層、とでも呼ぶべき密度。
光はほとんど届かず、頭上は完全に枝葉で塞がれている。昼だというのに薄暗く、湿気は肌にまとわりついて離れない。
足元には腐葉土が厚く積もり、踏みしめるたびに鈍い感触が返ってくる。
音が吸われる。
代わりに、気配だけが濃い。
「……さっきより明らかに増えてるな」
サミエムが小さく言った。
「深部だからな」
ヘリオが答える。
「ここから先は、冒険者でもあまり入らない」
灰崎は何も言わず、周囲を見ていた。
気配。
数が違う。
単体ではない。
群れ。
しかも、連携している気配すらある。
その時だった。
右側の茂みが大きく揺れた。
同時に、左。
後方。
「囲まれたな」
ヘリオが呟く。
姿を現したのは猿型の魔獣だった。
二足で立ち、長い腕を地面に垂らしている。
目が赤い。
知性がある。
そして――十体以上。
「これは面倒だな」
サミエムが剣を抜く。
「灰崎」
「無理だ」
即答だった。
「今の状態じゃ縛れない」
「だろうな」
サミエムは軽く息を吐く。
「じゃあ普通にやるか」
その瞬間、魔獣が一斉に動いた。
速い。
木から木へ跳ぶ。
立体的な動き。
「来るぞ!」
ヘリオが叫ぶ。
サミエムが踏み込む。
剣が振るわれる。
一体を斬る。
だが、次が来る。
連携。
挟み込み。
「チッ――!」
サミエムが体を捻る。
ギリギリで回避。
だが数が多い。
押される。
「サミエム」
ヘリオの声。
その瞬間、サミエムの足元に淡い光が走った。
「風、付与」
動きが変わる。
一気に加速。
次の一体の懐に潜り込み、斬る。
さらに回避。
だがまだ足りない。
「それだけじゃ足りないぞ」
ヘリオが言う。
サミエムは歯を食いしばる。
「分かってる!」
再び踏み込む。
今度は剣に火が灯った。
「炎付与――!」
斬撃。
炎が弾ける。
一体を焼き切る。
だがその瞬間、別の個体が背後から迫る。
避けきれない。
「遅い」
ヘリオが言った。
短剣が飛ぶ。
正確に急所を貫く。
サミエムは舌打ちした。
「分かってるって言ってるだろ」
「分かってるだけじゃ足りない」
ヘリオの声は静かだった。
だが鋭い。
「重ねろ」
一言だった。
サミエムの目が変わる。
「……!」
魔獣が飛び込んでくる。
今度は正面から三体。
サミエムは剣を構えた。
集中。
魔力を流す。
属性を重ねる。
「炎――雷」
剣に二つの光が宿る。
赤と、紫。
混ざり合う。
不安定な輝き。
「行け」
ヘリオの声。
サミエムが踏み込む。
振るう。
刃が魔獣を捉えた瞬間――
爆ぜた。
轟音。
炎が広がり、同時に雷が弾ける。
空気が焼ける。
衝撃。
三体がまとめて吹き飛んだ。
焦げた臭いが広がる。
サミエムは息を荒げた。
「……これか」
「そうだ」
ヘリオは短く答える。
「複合エンチャント」
残った魔獣たちが一瞬怯む。
その隙を逃さない。
サミエムが踏み込み、次々と斬り伏せる。
戦闘は一気に終わった。
静寂。
焦げた森の匂いだけが残る。
サミエムは剣を下ろした。
「……疲れるな、これ」
「当たり前だ」
ヘリオが言う。
「二属性でも負担は大きい」
「三つ以上になると制御が難しくなる」
サミエムは息を整えながら笑った。
「じゃあお前は何個いけるんだよ」
ヘリオは少しだけ沈黙した。
そして。
「昔は、もっといけた」
それだけ言った。
灰崎はその瞬間を見逃さなかった。
色が揺れた。
灰色。
恐怖。
そして、強い赤。
悔しさ。
サミエムもそれ以上は聞かなかった。
ただ剣を鞘に収める。
「……ま、今は二つで十分だな」
「そうだな」
ヘリオは頷く。
「だが覚えておけ」
少しだけ真剣な声になる。
「重ねれば重ねるほど、威力は跳ね上がる」
「その代わり――」
「制御できなければ、自分が死ぬ」
サミエムは笑った。
「上等だ」
灰崎はそのやり取りを見ていた。
師匠と弟子。
そんな距離感だった。
軽口を叩いているが、確かな上下関係がある。
そして。
その先にあるものも見える。
まだ届いていない領域。
複数属性の極致。
その先にある技。
――オールエンチャント。
言葉には出さない。
だが確実にそこへ繋がっている。
三人は再び歩き出した。
森の密度は少しずつ薄くなっていく。
光が増える。
風が通る。
「もうすぐ抜ける」
ヘリオが言った。
その声は、少しだけ軽くなっていた。
だが。
灰崎には見えている。
まだ消えていない色。
恐怖。
そして、その奥にあるもの。
逃げてきた過去。
だが同時に――
向き合おうとしている。
その色が、確かにそこにあった。




