67幕 静謐
『主人公』を倒した。その噂は安堵と共に脛に傷を持つ者たちに密かに広がった。
この世界の貴族の脛は傷だらけでもはや足を切除しないといけないレベルなので、全員が安堵したと言ってもおかしくないだろうが、『厄者』の存在を知る一部だけに留まった。
帝都でも、秘密裏に集めるために作られたスラム街に近い雑居ビル。見た目は築50年近く経過した古びたビルだ。
しかし━━。
雑居ビル前に、車が停車する。一見、古くそこら辺にあるような一般車だが、魔法の遣い手が見れば、強力な防御魔法を付与されて、たとえロケットランチャーの一撃でも傷一つつかない強固な装甲を持つとわかるだろう。
そのような車が雑居ビルの前に、何台も停車し、明らかにここら辺に住む者ではない貴族の装いの者たちだ。
後ろ暗いところがあるのだろう、その者は護衛に守られて、周りを窺いながら入っていく。
なにか面白いことがあるのかと、金になる情報があるかもと近寄る愚か者は尽く暴力で排除される。なので、スラム街の者たちも、あの者たちが表ではできない話し合いのために集まったのだろうと勘づき、近寄ることはしなかった。
武骨なコンクリート打ちっぱなしの廊下を歩く老人が、口元をにやけさせながら、今にも壊れそうなエレベーターに入る。護衛が後に続き、壁にある言葉を告げると、ボタンがせり出してくるので押下する。
地下はないはずの雑居ビルのはずなのに、エレベーターは地下へと移動をし始めて、老人は微かに身体が浮く感覚を感じながら、遂に耐えきれなくなったのか笑ってしまう。
「やれやれ、こうも早く『主人公』を討伐できるとはな。さすがはレオナ。脳筋の戦闘狂ではあるが、馬鹿もハサミも使いようというところか」
「ひひひ、そんなセリフを聞いたら、あの女はこれ幸いとあんたと決闘をしようとしてくると思うよ? まぁ、あたしゃそれでもいいんだけどね」
「!? その老いぼれた婆の声、須田の婆か?」
「ひーひっひ、お互いに老いぼれてるのに酷い言い方だねぇ、タンダの爺。あたしらは親戚でもあるのにもう少し優しい言い方はないのかい?」
エレベーター内には老人と護衛の2人しか乗っていないはずなのに突然声を掛けられて、老人は鋭き目つきで何もない空間を睨む。
「ふん、姿を隠して近寄る輩に対して優しい言い方をするつもりはない。婆、もう少し行動を考えろ。もう少し腕のよい護衛なら、お前さん殺されても文句は言えないぞ?」
老人の言葉に、護衛は気づけなかったことに気まずそうにし、空間が揺れると、老婆が姿を現した。
「安心しな。タンダの当主であるあんたも気づけなかった隠れ身さ、護衛如きに気づかれるわけないさね。これでも須田の当主をやらせてもらってるもんでね」
ニヤニヤと笑い小馬鹿にするような態度に、タンダと呼ばれた老人は一瞬顔を顰めるが、すぐに言い合いをしても無駄だと考えて、息を吐いて落ち着く。
老人の名はムグラ・タンダ。7家の一つタンダ家の当主であり、か細い身体を持つ弱々しい老人に見えるが、城崩しのムグラと呼ばれる格闘の使い手だ。
「うちは婆のように卑怯な戦闘をするものではないのでな。ネズミのようにちょろちょろ隠れることはできんのよ。バビアナ・須田」
「はっ、憎まれ口を叩いても無駄だよ、あたしらがあんたらの首をこっそりと掻き切れば、そんなことは言えないだろうさ」
「はっ、貴様らの短剣など、儂らの金剛の肉体に傷もつけられないだろうよ」
ヒヒヒと嗤う老婆の名は、バビアナ・須田。7家あるうちの一つ須田家の当主であり暗殺や情報収集を得意とする家門である。
二家はその特徴から水と油のように反発心を持っており、常に言い争いをしていた。その2人が集まることなど、めったにないのだが、それが今回の会議が重要なことを示していた。
チンと音がして、エレベーターの扉が開くのを見ながら、ムグラはすぐに笑みを取り戻す。ムグラにしては、今日は機嫌のよい日であり、常に反発する婆など相手にする気が起きなかった。
「今日はめでたい日だ。お主と言い争いをしてケチをつけるのも勿体ないくらいにな。だから、その口を閉じておくが良い」
「それはお互い様だよ。あたしゃ、ここまで簡単にことが済むとは思っていなかったから、準備していた謀が全て無駄になっちまった。かなり金をかけたのにねぇ」
「ふん、どうせ他の家門を叩き、自分の利益になるようにと考えたのだろう。自業自得じゃ」
かなりの地下に作られており、廊下はひんやりとして、人気もない。切れかけた蛍光灯が瞬く中で、そのような雰囲気を見ても恐れることなく、老人たちは歩き続け、やがて頑丈な金属の扉の前に辿り着く。
「さて、『主人公』を殺せたのは幸いじゃが、クジン家はこの功績をもって、儂らにとんでもない報酬を求めるじゃろうなぁ。どうすれば良いと思うかね?」
「あたしら6家はクジン家を褒め称える。褒め称えて、求めてきた報酬は好きにさせればいいさ」
「そうじゃな。儂らは6家。あちらは1家。聞くだけならタダじゃからの」
仲の悪い2人ではあるが、己の利益を守る時には息を合わせる老獪さを見せて、部屋に踏み入れる。今回の『主人公』の討伐に対して、老人たちはいちゃもんをつけて、まともに報酬を支払う気はさらさらなかった。
これこそが7家の有り様であり、まともに動けない理由でもある。最初に動く者が損をするのは確実だからだ。だが、今回は例外に戦闘狂のレオナ・クジンが戦ってみたいからと手を挙げたので任せたのである。
「おや、久しぶりに円卓に来たと思っていたら、儂らが最後かい」
薄暗い部屋に置かれた円卓。席に着いている5人を見てムグラは意外に思う。
このアトランティス帝国を支配する7家の当主たちは、それぞれ傲慢であり、時間通りに到着することを恥とすら考えている者たちだ。遅れて到着するのを上位である印とでも考えているため、ムグラもバビアナも本心から意外であった。
「アハハハ、それは簡単なことさ。あたしが招待する時間をそれぞれ少しだけ早くしたんだ。だからこいつらは揃っているわけ」
奥に座っていたレオナがカラカラと笑い、ネタバラシをしてくる。
「なるほどな。レオナ殿にしては頭の良いやり方をしたものじゃ。なんぞ根回しでもしてたのかの?」
嫌味を遠回しに言いながら警戒する。もしも根回しをしていたとしたら、一番遅かったムグラとバビアナは自分たちだけ報酬を支払うことになるのではと考えたのだ。
警戒したことにレオナも気づいたのだろう。苦笑交じりに手を振る。
「その顔は支払いを押し付けられると思ってるんだろ?」
「そのとおりじゃ。この歳になると疑り深くての。儂らのいない間に、なんぞ裏取引があったのではないかと邪推しとる」
「そうじゃな。そう思われても仕方ないと思うぞ小娘やい。お前らも迂闊な行動をとると疑われると考えては━━ん?」
老人たちは、レオナと話しながら、やけに静かな他の面々に気づく。こんな時は、ツバを飛ばす勢いで話を終わらせようとする連中なのにやけに静かで、席に座って顔を俯けて身じろぎもしない。
「……お主ら?」
ムグラが近くの男の肩を叩くと、グラリと揺れて倒れ伏す。その顔は生気はなく、青白い蝋人形のようだった。
「これは!? 死んでる、レオナ、貴様まさかっ!」
「ご推察のとおり、あたしの報酬は全員の命なのさ。悪いね、先に4人からは報酬をもらったよ」
笑うレオナの様子を見て、2人はすぐさま身構える。
「これを機に、この帝国を己のものにするつもりかっ! そうはいかぬ、タンダ家の金剛不壊と呼ばれし力を思い知れっ!」
『龍騎覇王拳』
ムグラの身体がか細い老人の身体から、膨れ上がりオーガのように変貌し、ゴリラのような腕から拳撃が放たれる。ごうっと、突風が吹き荒れて、凝縮された魔力が拳となり、途上にある円卓を粉々にしながらレオナへと向かう。
タンダ家は肉体強化の名門。その身体能力だけであらゆる魔物を倒せるバカげた能力の持ち主なのだ。
だが、レオナは笑うだけで何もせず、向かってくる拳撃を見ている。そのニヤけた顔に拳撃は命中するかと思われたが━━レオナの目前で拳撃はロウソクの炎のように消えてしまった。
「な」
ドンッ
なにがと言おうとしたムグラの首が破裂して、肉塊が宙を舞い、グラリと身体が揺らぐと、残った身体が倒れる。
「ムグラッ!? 一体なにをしたのかは分からぬが、このバビアナはそうはいかぬぞ! 生まれいでよ、ウンディーネ、水の魔力により奴を溺れ死にさせよ!」
『水神封牢』
あっさりと倒されたムグラを見て、目を見開き驚愕するバビアナだが、その手は素早く印を結んでいた。
空中に水の精霊ウンディーネが姿を見せるとレオナへと抱擁し、その体を水へと変えて覆い尽くす。
「その水はただの水ではない。ウンディーネが姿を変えた生きている水よ! そなたの穴という穴に侵入し、体内を水で埋め尽くし、瞬時に窒息死させてやるわ!」
一度封印したら二度とは出られない必殺の魔法。これまで防がれることはあったが、それも封印する前であり、封印した後は必ず殺せたバビアナの奥義である。生きている水はかき分けようとしても粘度の高い水となり、魔法で吹き飛ばそうとしても、魔法抵抗の高い精霊だ。バビアナの魔力も加算されて、防ぐことができた。
なので、レオナは殺せたと確信したバビアナであったが━━。
『ライフスティール』
背中に感触を感じると同時に身体から力が抜ける。立っていることもできずに、倒れてしまうバビアナは見た。
レオナが立っている。小さな手に、バビアナから抜け出たエネルギーを纏わせて、クスリと笑っていた。
「申し訳ありません。あれはシャドウサーバントなのです。本体はこちらなのでした」
可笑しそうにクスクスと笑うレオナを見て、バビアナは震える口をなんとか動かす。
「き、貴様……こんなことをして6家が黙っておるとでも……」
「もちろん思っていません。クジン家を攻撃しようとするでしょう、後継者がすんなりと決まればですけど」
肩をすくめてレオナは言う。
「後継者争い。その後の7家の主導権争い。もうめちゃくちゃになると思うんですけど、バビアナさんはどう思います?」
「くっ、その言い様……貴様、レオナではないな、まさか『厄者』か……」
最後まで言うことができずに、老婆の手は床に落ちる。
「ふふふ、バレちゃいましたか。でも、誰も見てないから良いですよね。これから、7家の争いがどうなるか楽しみです」
レオナに扮したカナタは笑うと、最高権力者であった死体の転がる部屋をあとにするのであった。




