16幕 演技の仕事
「これは……夢なのでしょうか? 明晰夢にしてははっきりとしているようには見えるんだけど……」
薄い霧が立ち込める白い空間にいつの間にか彼方は立っていた。床も天井も染みひとつない純白で、壁は見えず地平線が続いているので広さはわからない。周囲には彼方と同じように立っている人たちが大勢おり、戸惑った顔をして周りを窺っている。
もしかしてドッキリかと思っていたら、もしや異世界召喚とかそういうのだろうかと思いながら、自身のそんな馬鹿げた考えに苦笑してしまう。
(夢だろうなぁ。未来の不安と、不思議なチラシが組み合って、不思議な夢となったのでしょう)
俳優のサガとして、思いがけない環境に、ここはどこだと演技をしてみたが、自身の夢だと分かっている。
夢だとしても、いや、夢だからこそ自分が主演として演技をしてみたい。現実ではもう諦め気味だが夢くらいは好きにしたい。この場合、どのような演技が相応しいだろうかと考え込む悲しいアラフォーの俳優だ。
「もしかしてそこにいるのは彼方君じゃないかね?」
だが後ろから聞こえてきた老齢と威厳を感じる声に小さくため息を吐く。聞き覚えのある声、夢でも自分は好きには行動できないらしい。
「ユウさんじゃないですか。お久しぶりです、貴方もここに?」
振り向くと老齢の男性が立っていた。もう80歳になるのに背筋は曲がることなく、顔に浮かぶ皺は老齢よりも威厳と凄味を見せている。
「おぉ、やはり彼方君だったか、久しぶりだねぇ、君の活躍はよく聞く……と言いたいところだが、それでもたまには聞くよ。頑張っているようで嬉しいよ」
「僕も久しぶりにお会いできて嬉しいです。元気そうで何よりです」
「幸いこの歳までなんとか生きてこられたといいたいが、最近は体調が良くなくてね」
疲れたように頭を振る老人の名は大凪有。国民的俳優として有名な老人だ。芸能界の大御所とも言われて、彼方も何度かドラマや映画で共演したことがある。
夢だとしても、無礼を働くわけにはいかない。情けないというなかれ。俳優として大成するには運と人脈は必要なので、斜め45度の角度で頭を下げるのに躊躇ってはいけないのである。
「それにしても、随分と面白いことに巻き込まれたようだよ、周りの面子を見てみたまえ」
「あぁ、名前も知らない人も多いですが、世界各地の有名俳優がいることから、皆さん俳優かと思われます」
「相変わらずの観察眼だ。そうだ、あれはトリサンフォード、サウスウッドやコショウネリーなど、大物もいる。……死んだ俳優たちも、生きている者も揃っているか……」
「我々は死んではおりませんよ。日本人なら知り合いばかりですね」
俳優業界は狭い世界だ。半分くらいは見知った顔である。若者もいることから、死人だけではない。
アメリカ人やイギリス人、ロシア人や中国人もいる。夢にしては知らない顔も多いが━━。
「は~い、皆さん考察は終えましたか? 小生登場でーす! びっくりしました〜?」
戸惑う僕たちの空気を吹き飛ばす元気な声が聞こえて、頭上に1人の少女がいきなり現れる。
やけにひらひらとした裾の短い巫女服を着たボブカットの美少女だ。歳は15歳くらいだろうか、背丈は150センチ程度で、胸元から零れ落ちそうな胸に、くびれた腰は巫女服に似つかわしくない肉感的などことなく背徳的な肢体で、黒髪黒目でパッチリとした瞳に、悪戯な笑みに覗かせる八重歯が牙のように見えてチャーミングな笑顔の女の子である。
「小生は誠実なる劇を司る神のセイと申します。本日は小生の応募に来て頂き大変ありがとうございまーす」
バケツの底が抜けたようなどこまでも明るい声で、空中でひらりひらりと短い裾を靡かせて、踊る少女。短すぎる裾から色々と見えてしまうので、何人かは顔を顰めている。
「先にお知らせしておきます。これは夢ではありません。私の応募条件にあった方々をお呼びしました。これは夢だ、それともこのような話には興味がないと思う方は手を挙げてください。元の場所に戻しますので」
先回りして話すセイに、彼方たちは戸惑いを見せるが、それでも元の場所に戻れると聞いて、身構えていた何人かは安堵し、意外なことに舌打ちをした人もいた。
その様子を見て、口元を押さえてクフフと含み笑いをするとセイは話を続ける。
「条件は各々のチラシのとおりです。小生の運ぶ世界にて英雄、悪役、または脇役をやってくださいませ。もちろん報酬はお支払いいたします」
皆はチラシを見ており、お互いに顔を見合わせると難しい表情となるが、俳優を集めたとだけあって物怖じする者はおらず、挙手し問いかけ始める。当然だ、こんな状況をすぐに理解する者などいるはずがない。
「それは人殺しをしろという意味かね? こういう仕事をリアルにやると人死にも出るだろう?」
あの人はアメリカの世界的に有名な俳優じゃないかと彼方は内心で驚く。英語なのに何を言っているか分かるのは、この空間の力だろうか。セイは有名俳優だろうと関係ないようで笑みを深くして答える。
「人殺しもありですが、小生の言った言葉を理解して問いかけましたか? 英雄ではなく英雄の役、悪人ではなく悪役をしてほしいと応募をかけたのです。英雄や悪人なら、貴方たちではなく、志の高い人や犯罪者を募集しますよ」
リアルと役柄の違い。そのことを強調するセイに、有名俳優は納得したように口元を笑みに変える。
「なるほど。ようは悪役ならば世間に知られる有名な悪人を演技してほしいとのことかね? アル・カポネのような有名すぎるマフィアや、楊貴妃のように国を傾ける悪女、鼠小僧のように盗みを正義に見せる義賊であったり、アルセーヌ・ルパンのように盗む前に予告状を出す盗賊といった?」
「いぐざどりぃー、そのとおりです、さすがはプロの俳優様、ご理解が早くて助かります。そのとおりです。国を傾けるのもよし、霧のなかで人殺しをするのもよし。ただ、人々が後に語り継ぐように、面白い物語となるような悪役をお願いいたします。とはいえ、小生の方でも英雄候補を何人か見繕うので、彼らと絡んだ英雄譚になるのを希望しますし、それらに対する報酬は高額となっております。やはり世の中は英雄譚が好まれますので。もちろん貴方たちの何人かは英雄の役としてオファーをしております」
「英雄はわかった。主人公と絡む悪役となると、必ず倒されなければないないのかね?」
「いえ、それもお任せします。できればはっきりと殺されたと思われてください。その演技にトリックを交えて逃げることも可能ですが、その時は主人公の前には二度と姿を見せないようにお願いいたします。シーズン2は駄作が多いですしね」
楽しげに笑みを深めて、くるりくるりと回転するセイ。その様子を見ながら皆は納得する。悪人を演じても、人々に知られないといけないわけだ。ドラマチックな展開でも良いし、バッドエンドでもよい。皆に物語を伝えることを主とすると。誰にも知られないように行動するのが悪人であるのだから、なるほどこれは悪役と言えよう。
「ちなみに英雄候補は自分が主演だと知りません。あくまでも自然体で行動していただきますので、貴方たちはそのことを知らせることもできませんし、スタッフや舞台諸々も貴方たちに用意していただきます。殺されても文句は言えないことをご了承ください。そして、小生は貴方たちがなにをしても文句は言わないと断言いたします」
「……それは監督やディレクターなども全て我々にやれと?」
「そのとおりでございます」
説明を受ける有名俳優の横から若い男性が怒り口調で口を挟む。
「めちゃくちゃだ! 俳優の範疇を超えている! なにもかも用意しろなんてできないに決まってるだろ!」
あまりにもあんまりな仕事の内容に文句をいう者もいる。当然だろう、雑務までやる俳優は貧乏劇団くらいなものだ。当然彼方は経験があったりするが、大半はないようだった。
「わかります。わかります。小生も大変心苦しいのですが、小生も介入するのには限界がありまして、全て現地調達でしか方法がないのです。そのかわりといってはなんですが、報酬は前払い金を含めて大きなものとなりますよ。それでも嫌なら元の場所にお戻しします」
「俺は降りる! 俳優として雇いたいんなら、もっとまともな条件にするんだな」
「かしこまりました。では、貴方様のこれからの未来に前途があるようにお祈りいたします」
怒っている若者が、セイが指を鳴らすと、その場から消える。あっさりとした退場に皆がぎょっとする中で気にすることなく、笑顔でセイは周りを見渡す。
「同じように無理だと仰る方はお帰しします。さぁ、ご遠慮なく申し出てください」
その言葉にさらに数十人が手を挙げて消えていった。
「他には? 他の方はいらっしゃいませんか?」
「あぁ、いないようだ。それよりも前払いの報酬とは?」
消えた者を哀しげに見送って、有名俳優が尋ねると、セイはニンマリと笑うと裾をひらりとひらめかせる。
「何人かの方はお分かりになっていると思いますが、貴方たちの中の何割かは死亡なさっております。他の方もご健康に不安がおありかと。そこで、これから行く世界では、貴方たち自身がカスタマイズした人間となって転生、あるいは転移してもらいます。年齢7歳で健康体、極めて頑丈な身体が基本でございます。そう、貴方たちはもう一度健康体として人生を送ることができるのです。素晴らしい前払い金だと思いませんか?」
それは酷く残酷で、そして酷く幸運なことだった。ユウも含めて、かなりの人数がギラギラと目を輝かせてニヤリと嗤っている。そして、それは彼方もだった。どうやらここに運ばれてきた人たちは死んでいるか、遠からず死ぬ体調なのだろう。あの退場した者たちもだ。退場する前にそのことを伝えれば帰るなどと若者たちは口にしなかったのに、セイはあっさりと退場とした。その独裁者的な行動は警戒心を植え付けるのには十分だ。
だが、それでも幸運にも違いない。なにせ、まだ演技ができるのだ。
「7歳とは厳しい歳だが子役から始めないとダメなのかね?」
「いえいえ、7歳であるのには別の理由がございます。異世界に転移して、もしくは転生しても、いきなり頼まれた役などできないでしょう? もしくはその世界に愛着が出て、頼まれた役などやらずに、他の人生を選ぶ者もいると思います。なので準備期間として、7歳からスタートなのです。オーディションは12歳からとなっております。その時にお断りする方は残念ですがそのまま生きてもらいます。その後は小生は関わらないと誓いましょう。転移転生の費用が無駄になりますが、まぁ、投資とはそういうものですし?」
2度目の人生を無料でくれるとは、随分と好条件だ。だが、皆はまるでそのようなことは考えなかった。早くもどのような姿が悪役として似合うかと考え始めている。新たなる人生よりも、悪役を演技することしか頭にない。
(当然です。小生はプロの俳優の中でも演技に命を賭ける良く言えば役者馬鹿、悪く言えば狂った演技者ばかりを選んだのですから)
有名俳優だけではない。演技に命を賭ける者たちは売れる売れないに関係なく存在する。それこそ演技ができれば悪魔に魂までも売れるような人間たちだ。
「ではでは、契約やこれからの準備を諸々の説明をさせていただきます。よろしいでしょうか?」
ニコニコと微笑み、セイは語り始める。
もはや誰も反対する者はいなかった。




