安、マリッサの思い
そんな貴族令嬢には全く見えないキャスカ様の母親、ニコレット様はその乱暴な態度からして貴族の出てはないと思っていたのですが、たまに見せる所作にハッとさせられる事がありました。
洗練された美しさが滲み出ているのです。
この女の本当の身分は何だろう? と怪しみますが、まあ今はそんな事どうでもいいです。
これほど粗野な者がエイワード国でも一・二を争う公爵家の嫡男に嫁ぎたいなどといった妄言を吐いたのです。
幼い頃に会ったきりなので今のお姿は分かりませんが、それでも噂などで立ち姿も美しい精悍な青年だと聞いております。
そんなジアス様の横に、この猫背の令嬢が立つというのでしょうか?
皆、心の中で笑ってしまいます。
しかし、だんな様は真剣な顔で悩み始めました。
「ジアスは……あの公爵の息子だろう。俺はヘイネス公爵とは反りが合わん」
「まあ、あなた。娘がこんなにもお願いしているのに、ご自分の性格が合わないからと無下になさるの⁉ 酷い父親ですわ」
「そうよ、お父様が何とかして。私は侯爵令嬢よ。私と釣り合いが取れるのなんてジアス様くらいのものなのよ」
「そんな事はないだろう。侯爵家の令息もいるし、嫡男にこだわらなければ他の公爵家の令息もいる。金を持っている伯爵家の令息もいるのだから、それでもいいんじゃないか。贅沢し放題だぞ」
「いやよ。二男、三男なんて嫡男の嫁がいるじゃない。どうしてこの私が、他の女に下に見られないといけないのよ。結婚するならその家の嫡男よ。それに同じ侯爵家なんて意味がないじゃない。どうせなら上を目指さなきゃ。しかもジアス様は誰もが羨むあの顔よ。いい男に越した事はないわ」
「だったら王族はどうだ? 王太子の側室を狙うか?」
「だから、二番手は嫌なのよ。いくら男に愛されたって、周囲に他の女の下に見られるのは許せないわ」
「しかし、ヘイネス公爵はなぁ……」
「もういいわよ! お父様が協力してくれないのなら自分でどうにかするわ。私の魅力で落とせばいいんでしょう」
貴方に殿方を落とせる魅力など皆無だと思いますが……。
内心で盛大に突っ込みを入れます。
しかし、癇癪を起こす娘にだんな様は「分かった、分かった。とりあえず釣書を送ってみるよ」と言いました。
妻と娘には、とにかく甘いだんな様です。
数日後、案の定ヘイネス公爵からはお断りの手紙が届きました。
キャスカ様は大暴れです。
「この私がお嫁さんになってあげると言っているのに、何が気に入らないのよ」
手あたり次第その辺りの物を投げて壊していきますが使用人は全員、避難していますので止める者もおらず、最後には力尽きたキャスカ様が残骸の中でふて寝されました。
私は近くの廊下から、そっと開いている扉の中を覗きます。
そこにニコレット様が近付きます。
「イライラするなら、これをあげましょう。落ち着くわよ」
「何よ、これ?」
「フフフ、とてもいい物よ。それを飲んだらジアス様にアピールしなさい。手紙だけじゃ貴方の良さは分かってもらえないわ。体を寄せて、上目遣いで見つめるの。貴方はこんなに可愛いんだから、何度も会えば必ず彼も受け入れるわよ。簡単に諦めては駄目」
ニコレット様は懐から何かを取り出すと、キャスカ様に与えました。
私は部屋の外から見ていましたので、それが何かは見えませんでした。
「そうね。お母様も娼婦から侯爵のお父様を落として侯爵夫人になったものね。私も諦めないわ」
キャスカ様の話を聞いて、私は納得いたしました。
やはり彼女は高級娼婦だったのでしょう。娼婦でも貴族を相手にする高級娼婦ならば、最低限の所作は身に着けますからね。
諦めないキャスカ様は、その後もジアス様を追い掛け回しているようでした。
その際にカリン様が亡くなった事を、私は偶然耳にします。
ジアス様が王都にいると聞いて気付くべきでした。
病気だとは聞いておりましたが、まさか死に至る病だったなんて想像もつきませんでしたから。
――耳鳴りがします。
ローザに引き続き、カリン様まで亡くなるなんて。
私の大切な友が、いなくなっていきます。
最後に彼女にお会いしたのはいつだったでしょうか……。
私はクレイン様が産まれた、あの幸せな日々の情景を思い浮かべます。
二人の子供に、私が何かできる事はないのでしょうか?
そしてその頃から不特定多数の令息が、屋敷に訪れるようになりました。
すぐに帰る方もいれば、二・三時間部屋に籠って出て来ない方もいます。
その間、キャスカ様の部屋で二人きり。
未婚の女性にあるまじき行いですが、それを咎めようものなら何を言われるか分からないので使用人は見て見ぬフリです。
とりあえず何かの役には立つかもしれませんから、書き留めてはおきます。
それに、どれほど使用人が黙秘していようと、だんな様たちの行いは酷い物ですので、次第に彼らの醜聞は広まっていきます。
これなら私たちが彼らを追い出す証拠を見付けなくても勝手に自滅するのでは? とも思いましたが、クレイン様がお戻りになる前に潰れられては困ります。
マルシアス侯爵家が丸ごと失くなる訳にはいきません。中々に匙加減が難しいようです。
クレイン様が嫁がれてから二年後、カシック様とジアス様がサビティ国に訪れたようです。
クレイン様から送られたマルシアス侯爵の印を押した仕事の書類の中に、その旨が書かれていたのです。
そこにはお二人に全てを話して協力していただける事になったと書かれていて、私たちは大いに喜びました。
やっとヘイネス公爵と連絡が取れたのです。
後四年、それまでどうにかしてマルシアス侯爵家に余波が来ないよう、だんな様家族を追い出す策を練らねばなりません。
その後、何とか駆使して直接連絡が取れたヘイネス公爵からサビティ国にいるクレイン様の内情を聞かされた私たちは、怒りに震えました。
私たちがクレイン様が帰ってくるために計画した彼女の無の人格を理由に、サビティ国の者が誇り高きクレイン様を無下に扱っていたそうなのです。
アボラさんが箒を持った後に、私やメイドたちがフォークやナイフを持って立ち並びます。
しかしそれもヘイネス公爵がクレイン様の元に訪れた事により解消されそうなので、矛を収めました。
若干、彼らを脅した感もあるようですが、よろしいです。ジャンジャン脅して、クレイン様の地位を守ってください。
けれど、やはりクレイン様は優しいお方です。
私たちに心配かけまいと、それを隠していたようなのです。
モナにも苦労掛けますね。
私たちは再度、決意します。
クレイン様が安心して帰って来られるよう、マルシアス侯爵家を綺麗にしましょうと。
しかし未だに、だんな様家族のしょうもない弱みなら何十と掴みましたが、これといった決め手が見つかりません。
確かにクレイン様はお強くなられました。ですが、幼い頃に植え付けられた恐怖は、どうしたってぬぐえるものではありません。
それでは結局、あの者たちに良いようにされてしまうかもしれないのです。
何かこれといった決定打がないかと使用人一同、血眼になって探します。
幸いというか何というか、だんな様家族はクレイン様が居なくなった途端、使用人には一切見向きもしなくなりました。
自由に自分たちの欲を満喫させておられるのです。警戒心もありません。
とうとう、やりました!
アボラさんがキャスカ様の机から怪しげな物を発見したのです。
だんな様家族が欲を満たしている間にヘイネス公爵と連絡を取り、彼らの手から城に渡ったそれは、この国では違法とされている薬でした。
城からだんな様たちには内緒で騎士が動く旨を知らされたのです。
マルシアス侯爵家自体が罪に問われないか心配でしたが、そこはヘイネス公爵が上手く働きかけてくれました。
まだ暫くはキャスカ様を野放しにしておかないといけないのは悔しいですが、それでもクレイン様が戻った後、居座られないように徹底的に叩き潰していただきたいので、もう暫くの辛抱です。




