考、マリッサの思い
バシッ!
私の見ている前で、幼い少女が実の父親に叩かれました。
友人が会いたいとの事で訪問の許可を求めに来た少女は、何故か暴行されたのです。
幼い少女は痛みのあまり泣き出しますが「調子に乗るな、このガキ!」と言われて、怒声と共にさらに暴力を加えられようとします。
私は慌てて彼女の前に立ちはだかりました。
「おやめください、だんな様!」
「邪魔だ、どけ!」
私は、だんな様にお腹を蹴られました。
「ぐふっ!」
「まりっさ⁉」
泣いていた少女は驚きに身を強張らせます。
「ああ、クレインを躾ようとしたのにお前が邪魔をするから当たってしまったではないか。マリッサは執務をこなす大切な使用人なのにな。クレイン、お前の所為でマリッサがこのような目にあった。お前が泣くと近くにいる使用人が痛い思いをする」
「!」
目を大きく開くクレイン様に私は違うと、貴方が悪い訳などあるはずがないと言いたいのですが、お腹を蹴られてむせる喉からは声が出ません。
「覚えておけ、これは躾だ。お前が身の程を弁えずに我儘を言うから俺は仕方なくお前を躾けるのだ。それなのにお前がその意味も理解せず、助けを呼べばその者が傷付く。使用人の傷はお前の所為なのだぞ」
呪いのような言葉に、少女はカタカタと震えるしかありません。
そんなクレイン様の様子に、だんな様は何故か顔を赤くして息を荒げます。
ハアハアと興奮したように、真っ青で震えるクレイン様を見てニヤニヤと笑みを浮かべるのです。
そんなだんな様の様子に、継母であるニコレット様と異母妹のキャスカ様が同調します。
同じようにクレイン様に手を上げるようになったのです。
ですが彼女たちの姑息なところは、だんな様と違ってクレイン様を人気のない所に呼び出して手を上げるのです。
だんな様のそれは本人が言うように躾で通せるかもしれません(私は絶対に無理だと思います)が、お二人には血の繋がりはありませんので、第三者に知られた場合、言い訳は難しいでしょう。
仮に言い訳が通用したとしても、醜聞にはなります。
ですので間違っても知られないようにとの考えの元、行動しているのです。
クレイン様のお怪我は、ギリギリ痕が残らないような物ばかり。
お二人は万が一でも傷跡が見つからないようにとの保身から、だんな様はクレイン様の耐える姿を見たいだけのようなので、力加減は無意識にしているようです。
ですが、クレイン様のお心には消えない傷跡が残っていっているのです。
私たち使用人も見過ごせないと抗議しますが、結局はマルシアス侯爵家を守るために辞める訳にもいかず強気に出る事はできませんでした。
そしてクレイン様は使用人に暴力が向かわないようにと、お一人で耐える決断をされてしまいます。
どんなに私たちも殴られていいのだと、お一人で我慢しないでくださいと申し上げても、首を横に振るのです。
クレイン様は感情を表に出さなくなりました。
カシック様にクレイン様の現状をお伝えしたいのですが、知ったところで他家の者である彼にはどうする事もできません。
それはローザの時に、痛いほど思い知らされた事実です。
お伝えしても、誠実な彼を苦しませるだけなのです。
私たちは、どうにかクレイン様をお助けできないかと、それだけを日々考え続けていました。
そんな私たちを小馬鹿にするように、だんな様はニコレット様を連れて毎夜遊び惚けるのです。
しかも出歩いているのは怪しげな場所で、社交界ではすでに高位貴族からは相手にされなくなってきていると聞きました。
そのような事は、出入りの業者やマルシアス侯爵家に届く手紙を分別していると自然に分かる事です。
ある日、偽名を使って私宛にカシック様より心配しているとの手紙が届きました。
それは封蝋もない普通の封筒で、およそ公爵家当主が使うような手紙だとは到底思えない代物でした。
カシック様が内密で連絡を取ろうとしてくださったのが分かります。
私はすぐさま返事を書きましたが、ニコレット様に握り潰されました。
彼女には頻繁に多くの怪しげな手紙が届くので、その確認の際に見つかったようでした。
その後、カリン様が体調を崩されたとの事で家族で領地に戻られてしまい、カシック様と連絡を取る事が難しくなってしまいました。
そうしてありえない事態が起こったのです。
クレイン様がサビティ国という小国の王家に、王女様の代わりとして嫁ぐ事が決まったのです。それも王命で。
使用人一同、呆然とします。
彼女はまだ、九歳です。子供です。それなのに婚約ではなく、いきなり結婚? 何故?
だんな様の策略だという事はすぐに分かったのですが、彼に王族を動かすような力があったのかと、侮っていた事に悔しくなります。
私たちには王命など、どうする事もできません。
「……お母様が最後まで守り抜いたマルシアス侯爵家をお父様、いいえ、あの人たちに渡す訳にはいかないわ」
クレイン様が呟きます。
クレイン様はだんな様、ニコレット様、キャスカ様に蔑ろにされながらも、仕事をしないだんな様の代わりに当主としての責務を果たすため、七歳の頃よりマルシアス侯爵家の執務を手伝ってくれていました。
元々、聡明な少女でしたが領民の生活を知って、どんどんと強さと逞しさも身に着けていったのです。
そして芯の強い美しい少女に育ちました。
彼女の中ではすでにだんな様たちを追い出し、ご自分が当主に立つ事を視野に入れていたのです。
そこでオーガさんが一計を案じました。
それを聞いた私もアボラさんも同調します。
クレイン様の新たな戦いが始まりました。
私たちはだんな様に気付かれないよう、細心の注意を払って生活しておりました。
そんな中、目の前で信じられない会話が交わされたのです。
キャスカ様があのヘイネス公爵の息子、ジアス様と結婚したいと言い出したのです。
何の冗談かと使用人一同、頭を抱えました。
キャスカ様はハッキリ言って令嬢ではありません。
貴族令嬢ならば当然、習わなければいけない淑女教育を早々に全て放棄されたのです。
ですから食事やお茶は、食器をガチャガチャと鳴らしますし、姿勢も猫背です。勉強も手にする本、全て投げ捨て、教養である刺繍や詩集、音楽や絵などといった道具すら触った事がありません。
まあ、そういう彼女ですから、ある意味助かった部分もありました。
ケチなだんな様は教師を雇わず、私にキャスカ様の教育係りを務めさせたのですが、私は教材をキャスカ様のためと言いながら買い占め、クレイン様にお渡ししていたのです。
クレイン様の教育にお金をかける気は全くなかっただんな様ですが、キャスカ様のためならいくらでもお金を積んでくださいましたので。
お勉強の時間です、とキャスカ様をお部屋に呼びますが、勉強嫌いの彼女は当然、逃亡します。ですから堂々とクレイン様をお呼びしてお勉強ができたのです。
だんな様から今日の成果は? と尋ねられてもキャスカ様が逃亡したのはご本人の口から洩れますので、だんな様は苦笑しながら仕方がないなと気にも留めないのです。
そうそう、勉強と同時に私はだんな様にキャスカ様の専属侍女になる子供を探せと言われましたので、弟の娘を呼び寄せました。
その子はモナといって、ハッキリ物を言う聡明な子供でした。
しかし案の定、キャスカ様は受け入れませんでした。一目見て「ブス」と言って、去って行ったのです。
その後はモナの存在をすっかり忘れてしまいました。
ですので私はモナをクレイン様に紹介して、お側にいるよう言いました。将来、クレイン様の侍女として仕えるように育てたのです。
彼女はサビティ国に嫁ぐクレイン様の侍女として一緒に旅立ちました。
これは私たちにとっては、とても心強い事でした。
モナには申し訳ありませんが、クレイン様を他国で一人にしなくてすんだのです。




