悲、マリッサの思い
ローザが回復しないまま、クレイン様は五歳の誕生日を迎えられました。
心優しいクレイン様は誕生日会をするのも断り、ローザの寝室でささやかなお祝いだけをいたしました。
そんな中、私はカシック様にローザには内緒で呼び出されました。
アボラさんがカシック様の屋敷で働いている侍女頭さんから、手紙を預かってきたのです。
私はだんな様に見つからないよう屋敷を出ました。
約束の時間に裏門を出ますと、目立たない馬車が停まっています。
周囲を警戒しながらその馬車に近寄り、御者が開けてくれた扉からサッと中に入り込みます。
「いきなり呼び出して悪かったな、マリッサ。ローザの様子が知りたくてな」
カシック様はお一人で来られたようで、ローザの体調を気にしてくださっていました。
私は深く頭を垂れます。
「申し訳ありません。本来ならお屋敷に上がっていただくものを……」
「分かっている。あいつが邪魔をしているのだろう。ローザが弱った途端、亭主面してどういうつもりなのだが」
フンッと腕を組むカシック様に、私は現状を訴えます。
「ローザ様は寝台に寝たきりで、食事も喉を通らず、だんな様に反論する力もありません。私どもも何か意見すればクレイン様に辛く当たられますので、逆らう事ができないのです」
「ローザはそんなに弱っているのか? 医者はなんて言ってる? それにクレイン嬢に辛くとは、どんな風にだ?」
矢継ぎ早に質問してくるカシック様からは、心から心配している様子が見て取れます。
「お医者様は、過労で弱っているところに風邪をこじらせたのだろうと。とにかく薬を飲んで安静にと、それだけを申しております」
私は包み隠さずお話いたします。
他家の方に侯爵家の内情を話すのは、使用人としては褒められた行為ではありませんが、カシック様はローザを心から心配してくれている友人です。
ローザの親友として例えだんな様に知られて罰せられても、彼には内情を知っていただく必要があると思いました。
「そうか、現状は分かった。しかし、それほど酷い状態であれば一度、他の医師に診せる事を検討してくれ。どうにかしてローザの承諾を得てくれれば、俺が必ず医師を派遣する。これ以上、弱ってからでは遅い」
侯爵家の者ではないカシック様では今の医師に不安を感じても、勝手に他の医師を連れて来る訳にはいきません。
だんな様が受け入れてくれさえすれば話は早いのですが、カシック様の紹介では余計に邪魔してくるでしょう。
弱っているローザに承諾を得るのは難しいですが、それでもどうにかして署名してもらうしかないのです。
それに今の医師は、クレイン様を産む時に診てくださったり前侯爵夫妻が亡くなったのを見届けてくれたりした医師とは違います。
以前の方は老齢で引退なさったので、だんな様の紹介で新しく招き入れた医師なのです。
ですから正直申しますと、疑惑を抱いているのは私だけではありません。
しかし使用人の立場では、侯爵家の専属医師に逆らう事などできないのです。悔しく思いながらもローザが弱っていくのを、ただ見ているしかできませんでした。
そして、すぐにでも介入できないもどかしさに、カシック様が眉根を寄せます。
私はローザの件は屋敷に戻ってすぐにでもオーガさんたちと相談して、ローザの承諾を得るよう努力する事を約束して、次にクレイン様の現状をお話いたします。
「クレイン様に対しての態度というのは、とにかく視界に入れられません。まるで存在そのものを消しているかのような態度なのです。ただ使用人が反論いたしますと、クレイン様に『他所のガキが居座るから使用人がつけ上がる』というような事を、わざとお耳に入れるのです。お母様が病床にいる時に、お父様からそのような事を言われて五歳のクレイン様の心情は如何なるものかと……お労しくて涙が出ます」
「あの野郎、幼い娘になんて事を……。一発、殴るか」
はい、お願いします、とは流石に言えません。
「とにかく一度でも俺が介入するのを、ローザの許可が得られればいいのだが。当主の許可さえあれば、ローザとクレイン嬢を守ってやれるのに」
流石に許可なく他家の屋敷に踏み込んでは、不法侵入になってしまいます。ましてや、だんな様を軽視して二人を助けたとあらば、大問題に発展します。
いくらヘイネス公爵家がエイワード国で一・二を争う大貴族でも例外ではありません。
「クレイン嬢だけでも我が家に引き取れないものか? 遊びに来た風を装い、そのまま体調が悪いとか何とか言って、ローザの体調が良くなるまで面倒見られれば、少しは事態が変わるのでは?」
カシック様の提案に、私は困った顔しかできません。
「……実は、一度アボラさんがクレイン様に同じような提案をされた事があるのですが、それはクレイン様ご自身がお断りになりました。病床にあるお母様を一人にはできないと」
「優しい子だ。そんな子供に、あいつは何をやっているんだ」
クレイン様の優しさに、ますますだんな様に怒りを募らせるカシック様。
「マリッサ、すまないが少しでも早く俺が介入できるように頑張ってくれ。とにかく奴から二人を保護したい」
カシック様の懇願にも似た依頼に、私は力強く頷きます。
「私の方こそお願いいたします。どうかお二人をお助けください」
そうしてカシック様の馬車から降りて屋敷に戻った私の耳に、使用人の壮絶な叫びと共に嗚咽が聞こえました。
ローザは起き上がる事なく、この世を去ったのです。
それは、あっという間の出来事でした。
ローザの葬儀は、だんな様の手配の元、速やかに行われました。
誰にも知られずに行われたそれは、およそ貴族の葬儀とは思えないほどの質素さで、慌ただしく終えたのです。
クレイン様はお母様に抱き着く事さえできずに、引き離されました。
私たち使用人にも彼女の死は、だんな様の許可なくは絶対に他言無用と厳命されて、カシック様やカリン様にお伝えする事もできませんでした。
親友の死に現実感がなく呆然としていた私は、気が付けば葬儀は終わっていました。
その後、何故ローザが亡くなった事を伝えなかったのかと怒り狂うカシック様が屋敷にやって来ましたが、だんな様は「喪中なのだ。そっとしておいてくれ」と嘯き、追い返してしまいます。
他の友人たちにも同じような態度をとり、次第に屋敷に来られる方はいなくなりました。
そんな中でもカシック様だけは何度もクレイン様に会わせろと仰って来ましたが、全て門前払いです。
公爵家に対して失礼極まりない態度です。
だんな様はマルシアス侯爵家を潰したいのでしょうか?
そうして少し落ち着いた頃、だんな様が新しい家族だと言って見知らぬ女と幼女を連れてきました。
私たちは驚き過ぎて言葉になりません。
ローザが亡くなって、まだ半年も経っていないのです。
しかも幼女は女の連れ子ではなく、だんな様の実の子供だと言うのですから驚きしかありません。
クレイン様がどれほどショックを受けているかと使用人一同、心配でなりませんでした。
しかしクレイン様はそんな中でも新しい家族と仲良くしようと、手を差し伸べられました。
それなのに、幼女はそんな優しい手を振り払ったのです。
「さわらないで、このじゃまもの!」
だんな様が連れて来た女はニコレットと名乗り、すぐにローザの部屋を物色し始めました。
「何をなさるのですか? おやめください」
咄嗟に止めに入った私の頬に、女は容赦なく手を振り下ろします。
バチンと大きな音が鳴りましたが、それ以上に大きな声で「お黙り! この使用人風情が」と怒鳴ったのです。
「私は今日からこの屋敷の女主人よ。私に逆らったらどんな目に合うか、その身に分からせてあげましょうか⁉」
すごむ女に、オーガさんが冷静な態度で間に入ってきます。
「これはマリッサと申しまして、私と共にマルシアス侯爵家の執務全般をこなしている者です。この者がいなくなれば困るのはだんな様ですが、よろしいのでしょうか?」
オーガさんの言葉に、女はグッと言葉を飲み込みました。
そこにだんな様がいらして詳細を聞いた後、こう言いました。
「確かにマリッサには執務をさせてやっているが、あくまで使用人だ。女主人に逆らっていいはずがないだろう」
「では、体罰をお許しになるので? 怪我をすれば執務にも影響は出てしまいますよ。だんな様が頑張ってくださると仰るのでしたら何も申しませんが」
オーガさんは女の言う通りにしたかったら働け、とだんな様に言います。
しかしだんな様はチッと舌打ちをした後、女に「オーガとマリッサ、後アボラには手を出すな」と言ってその場を立ち去りました。
女は私を睨みつけた後「邪魔よ、出て行きなさい」と言ってローザの部屋から私とオーガさんを追い出しました。
オーガさんはやれやれと首をすくめ、とにかく今は大人しくしていようと私を諫めました。
これからこのマルシアス侯爵家はどうなるのかと、私はローザの部屋の扉を見つめたまま、暫くは動けませんでした。




