決、マリッサの思い
数日後、レイはマルシアス侯爵家から姿を消しました。
ローザは普段通りに生活しておりましたが、カラ元気なのは見て分かります。
どう言葉をかけていいものか悩んでいる間に、当主であるマルシアス侯爵が倒れました。
この時すでに領地の仕事は、以前から現当主に助力していたオーガさんと微力ながらお手伝いしていた私、そして当主代理のローザで回せるようにはなっていました。
マルシアス侯爵の一日でも早い回復を願っていたある日、ローザが私を呼んで言いました。
「結婚する事にしたわ。相手は分家である伯爵家の三男よ。二か月後には式を挙げるわ」
「え?」
突然の事で、何を言われたか理解できない私は、目を丸くするしかありません。
「ローザ、何を言って……」
「先程、お医者様に言われたの。お父様、先が長くないって。それを聞いたお母様も心労で倒れられたの。私のお腹の中に新しい命も宿ってる。このまま産む訳にはいかないのよ」
「!」
ローザの信じられない言葉の数々に、暫し言葉を失いました。
侯爵の命の灯があとわずか? 奥様が倒れられた? ローザのお腹に新しい命が宿ってる?
どれもあり得ない内容ではありましたが、それでも一番予想もつかないのがローザのお腹の中の子供……。
「……それは、レイ、との……」
「……私の子よ。これは誰も知らない。お父様もお母様も、オーガやアボラにも言う気はないわ。これはマリッサ、貴方だから話したの。お願い、力を貸して」
「そんな、無理よ。せめてアボラさんにだけは話したら……」
「駄目よ。アボラはお母様に隠し事はできないの。今、話してしまったら倒れたお母様のお耳に入ってしまう。オーガも一緒よ。彼らは私ではなく、現侯爵当主に忠義を誓っているから。弱ったお体のお二人に、このような事が知れたらお二人の体はどうなるか……。でもマリッサ、貴方は違う。貴方だけは私の味方よね⁉」
私の手を掴み必死で訴えるローザに、私は震えながらも問い返します。
「ちょっと待って、待ってよ、ローザ。貴方もしかして、伯爵子息と結婚して、お腹の子供をその人の子と偽る気なの?」
「……それしかないのよ。この子を無事に産む方法は。独身のまま産んでしまっては、お父様とお母様のお体も心配だけど、家名にも傷をつけてしまう。父親のいない子と蔑まれる訳にはいかないのよ」
「だったら産まなければ……」
そこでハッとしました。
ローザの瞳に、揺れる炎が見えたのです。
暫し無言になる私たちでしたが、ローザが深い溜息を吐きました。
「……ごめんなさい、マリッサ。無理を言ったわね。今の事は忘れてちょうだい」
「ちが、違うわ、ローザ。私は……」
失望されたと思った私は、ローザに縋り付きました。
ローザに見捨てられたら、私はどうしたらいいのかと己の心配をしてしまったのです。
そんな私にローザは優しい瞳を向けました。
「貴方が何と言おうと、私はこの子を産みます。貴方は今のを忘れて、マルシアス侯爵家の使用人として今まで通りに仕えてちょうだい。貴方がいないと執務は滞ってしまうわ」
ニコッと微笑むローザに、私は己の浅はかさを思い知りました。
ローザはとっくに分かっているのです。
自分がどんな無茶な事を言っているのか。大変な事をしでかそうとしているのか。色々な人を裏切るのか。全て分かった上で、何を守ろうとしているのか。
私はそんなローザの意思を尊重したいと思いました。
「ローザ、私たち親友よね?」
「もちろんよ」
それが何? というようにローザが首を傾げます。
「親友と共犯者って、どちらの方が繋がりは深いのかしら? まぁ、どっちも同じ人物なら、それより深い、切っても切れない関係という事よね」
「マリッサ……。ええ、ええ、私たちは無二の親友よ」
そうして私はローザと共に、お腹の子を守る事に決めたのです。
二か月後、つつがなくローザは伯爵家の三男と結婚式を迎えました。
表向きは侯爵夫妻の体調面を考慮してとの事で、婚約期間もすっ飛ばしての貴族としてはあり得ない異例の速さです。
幸いな事に彼女の体調にも、妊娠による不調は見られません。
けれどもしもの事を考え、気分が悪くならないようにワインをジュースに変えるなど、ローザの飲食は全て私が管理しました。
常に花嫁花婿の後ろで控えていた私は、チラリとローザの隣に視線を向けます。
伯爵子息はそれなりに女好きのする整った容姿をしていましたが、何故かしら? どうにも胡散臭さを感じるのです。
しかも弱り切った侯爵夫妻は、娘の晴れ舞台だというのに出席する事が叶いませんでした。
侯爵夫妻がいない中、花婿の親である伯爵夫妻は我が物顔で結婚式を取り仕切っています。
挨拶周りをする時も、主役である花婿、花嫁を押しのけて会話する始末。
カシック様とカリン様が挨拶に来られました。
「お、どうも、どうも。我が息子の結婚式に来てくださり、ありがとうございます。貴方は確かヘイネス公爵子息の……」
伯爵が公爵家との繋がりに目をランランと光らせ近寄りますが、カシック様はそれを見事にスルーしてローザの方へと視線を向けます。
「ローザ、何と言うべきだろうな……。マルシアス侯爵夫妻の体調を考えての事だろうが、これはあまりにも急過ぎて……。俺は素直に祝福できんぞ」
まさか結婚式で祝福できない、なんて言葉を吐かれるとは思いもよりませんでした。
貴族であるなら誰もが対面を整える場面であるにもかかわらず、いえ、貴族でなくても結婚式で素直にそんな言葉を吐ける方はいないと思います。
目をむいて怒りを表す伯爵夫妻と花婿を横目に、ローザは苦笑しています。
「まあ、カシック様ったら。友人を取られたからって、そんな嫉妬めいた言葉を吐かれるなんて。ご自分が幸せなのですから友人の幸せも願ってくれないと困りますわ。ねえ、カリン」
ですがカシック様は悲しそうに瞳を揺らしました。
カリン様がカシック様の腕を引き、ローザに囁きます。
「どんな選択であれ、私は貴方を応援するわ。私はいつでも貴方の味方よ」
「……ありがとう、カリン」
カリン様は伯爵夫妻と子息に会釈すると、カシック様の腕を引いて会場から出て行かれました。
その際、私の方に視線を向けて頷かれていたのは、カリン様には私たちの思惑がバレているという事でしょうね。
その出て行かれた扉を、ローザはいつまでも見つめていました。
結婚式、初夜。
ローザは唇を噛み締めながら、恥辱を受け入れました。
嫌悪感とお腹の子供を庇いながらの初夜は、ローザを初心な乙女の動作として受け取られたようです。
これでどうにか誤魔化す事は可能になりました。
それ以降、彼女は執務が忙しいのと体調不良を言い訳に、伯爵子息であるだんな様との行為を拒み続けました。
すっかりへそを曲げただんな様は、夜な夜な遊び回るようになりました。
ローザとの仲も冷え切っていきますが、それでも一回でも行為があれば問題はありません。
後は頃合いを見て、侯爵家お抱え医師に金銭を渡し、子供の時期を誤魔化してもらいます。
かの方はローザが産まれた時に取り上げた医師です。
思いつめたローザの瞳を見つめ、詳細は聞かずに協力を約束してくれました。
常にゆったりとした大きめの服を身に着け、お腹が大きくなる時期を撹乱します。
結婚後、暫くしてだんな様にも領地の仕事をしてもらおうと教え込みましたが、彼は想像以上に出来の悪い男でした。
いくら執務を教えても、一向に覚えようとしません。いえ、覚えられないのです。
これは無理だと早々に白旗を上げたのはオーガさんでした。
長年、沢山の人を見てきて、どう頑張っても物にならない人間だと判断したようです。
ローザのお腹を労わりながら、私は彼女の負担を少しでも減らそうと執務に没頭しました。
そんな中、侯爵様が息を引き取ったのです。
そして泣き崩れる奥様が、後を追うように亡くなられました。
これで義理の親である自分たちが侯爵家の財産を自由に使えると勘違いした伯爵夫妻は、侯爵夫妻の葬儀が落ち着いてもいないのに金の無心をしようと、雨の日に馬車を飛ばして事故にあい、二人共亡くなられました。
残ったローザは身重の体で気丈に葬儀に向かいました。
だんな様は侯爵夫妻が亡くなられた時は素知らぬ顔をされていましたが、我が親が亡くなった時にだけ泣き崩れました。
そんな彼を見てローザが「しっかりして」と言うと「俺はお前みたいに冷たい奴じゃないんだ」と叫びました。
そしてだんな様に肩を押されて転んだ拍子に、陣痛が始まったのです。
それは計算通りの分娩だったのですが、だんな様にしてみたら自分が押したために陣痛が早まったと思ったようです。
誤魔化す必要がなくなったのは、不幸中の幸いでした。




