初、マリッサの思い
ローザ・マルシアス侯爵令嬢と出会ったのは、私が十歳の時でした。
ライサー子爵家の三女として生を受けた私、マリッサ・ライサーは、同じ年の隣家のお嬢様の遊び相手としてマルシアス侯爵家に連れて来られたのです。
ローザに会った最初の感想は、美しい。ただその一言でした。
豊かな金髪に優しそうな緑の眼、雪のように白い肌にふっくらとした唇。わずか十歳にして凛と前を見据えるその姿には、神々しささえ感じました。
私はしがない子爵家の、しかも三女として産まれた身。
ライサー領の倍の領地をお持ちの侯爵家の一人娘とは、何もかもが違いました。が、気後れする私の手を、その美しいお嬢様はガシッと握られたと思うと、庭に連れ出されたのです。
「親の前は息苦しいわ。二人で遊びましょう。私の事はローザと呼んでね」
見た目は深層の令嬢としか思えない雰囲気の彼女は、快活で聡明な少女で、本の虫の私とも気が合いました。
仲良くなるのに、そう時間はかからなかったのです。
「成人したら、侯爵家で働かない?」
我が家は子沢山です。男三人に女が四人もいました。
子爵家のそれほど裕福でもない家の三女の私に、結婚させるための支度金を揃えるのは大層困難な事は、私にも分かっていました。
ですので早々に結婚を諦めていた私に、指針を示してくれたのがローザだったのです。
「侯爵家を維持するのは大変なの。マリッサはとても頭がいいもの。私を助けてくれないかしら?」
美の女神にそう乞われて、断れる者がいるでしょうか?
「あ、勘違いしないでね。マリッサが結婚する時はちゃんと手放すし、心から祝福するから。侯爵家に縛り付けるつもりはないからね」
私の事を最大限に気遣ってくれる親友に、笑顔で頷きます。
「ずっと貴方と一緒に居るわ」
十五歳の時、ローザに友人を紹介されました。
「彼女はカリン・ドーナル伯爵令嬢。私たちと同じ年なの。とても優しくて、たまに信じられないくらいお強くなられる方なのよ」
「ちょっと、ローザ」
キャッキャと笑い合う美しい少女たち。
私はカリン様の愛らしい容姿はもちろんですが、その珍しい瞳の色にも目を奪われました。
この国では珍しい黄色の瞳だったのです。
我がエイワード国周辺では黄色系の髪の方は沢山いますが、何故か瞳の色だけは見た事がなかったのです。
光の加減で金色にも見えますが、どちらにしても珍しい色には変わりありません。
カリン様はローザによく似ており、清楚系でさっぱりとした女性です。
それに心根はとても美しく、私たちはすぐに仲良くなりました。
二人がじゃれ合っている姿は、まさに眼福でした。
「今度、彼女の婚約者を連れてくるわね。ヘイネス公爵家のご嫡男のカシック様よ。カリンにベタ惚れなの」
「ちょっと、ローザ」
ローザはカリン様を揶揄うのがお好きなのか、すぐに茶化してしまいます。
けれど、何となくその気持ちが分からなくはないですね。
本当にカリン様は純粋で、可愛らしい方なのです。
数日後、カリン様に連れて来られたカシック様は精悍な美男子で思わず見惚れてしまいましたが、確かにカリン様にベタ惚れでした。
「カリンの親友がどんな方たちか知りたくてお邪魔させてもらった。なるほど、貴方たちならカリンを安心して預けられる」
「あら、カシック様は私たちにも嫉妬しておられたの?」
「もちろんだ。カリンがあまりにも貴方たちの話ばかりするからな。でも貴方たちなら、俺も親友になりたいぐらいだ」
「あら、光栄だわ。でしたら友人くらいにはなってあげましょう」
「そこは親友じゃないのかよ」
ローザとテンポの良い会話をしてハハハと笑う豪快なカシック様に、私たちも笑ってしまいます。
気が付けば私たちは、二週に一回は四人で集まってお茶をしていました。
十六歳と成人を迎えた私は、正式にマルシアス侯爵家で働く事になりました。
ローザの侍女として忙しく日々を過ごすそんなある日、マルシアス侯爵家に突然、銀髪の美しい青年が現れました。
レイと名乗るその青年は侯爵の知り合いらしく、執事見習として働き始めたのです。
ローザもその青年の身元は教えられていないそうなのですが、彼女は一向に気にしませんでした。
そして気が付けば、彼との距離が使用人にあるまじき近さになっていたのです。
「ローザ、私とも親友だと言ってくれる貴方が、使用人との距離を気にしないのは重々分かっているけれど、レイとの距離には気を付けて。彼は年頃の素敵な青年だから。あらぬ噂を立てる者がきっといるわ」
「……マリッサも、気になる?」
「そりゃあ素敵な方だとは思うけど、私には貴方が一番大事なの。ローザが傷付くのは絶対に見たくないわ」
「傷付く?」
「……彼は何かを隠しているわよね。だって、どうしたって平民には見えない。貴族の、それもかなり高位貴族であるのは確かよね。彼の所作は洗練されたものだから」
そう言うと、ローザは黙り込んでしまいます。
彼女も十分、分かっているのでしょう。ですが、それを口にしてしまったら全てが終わる事も分かっているのです。
「お願いだから、軽率な行動だけは避けて。私は貴方の笑顔が大好きなのだから」
そんな折、カリン様とカシック様の結婚式が行われました。
公爵家と伯爵家の結婚式だというのに、式は素朴な物でした。
ヘイネス公爵領の片田舎にある小さな教会で、参列者も三十人に満たしません。
お二人曰く、貴族の対面よりも親しい者だけに祝ってほしいという趣旨から行われたそうです。
使用人としてマルシアス侯爵家で働いていた私やレイまでも招待していただき、それはどんな華やかな結婚式にも負けない、幸福感に包まれた素晴らしい式となりました。
お二人の幸せな笑顔は、将来忘れる事はないでしょう。
カシック様の笑顔に心のどこかがチクリと痛みましたが、それはきっと気のせいです。
ある日、レイとカシック様がマルシアス侯爵家の廊下で話している姿を目にしました。
カシック様とカリン様との間にお生まれになった子供の話でもしているのかしらと近寄りますと、カシック様が彼に詰め寄っているのが分かりました。
私は二人に気付かれないように、隠れます。
どうにか声が聞こえる範囲に寄ると、レイの声が僅かに聞こえます。
「近いうちに国に帰る事になった。急だが今はまだ、彼女を連れて行く事はできない。だが、いずれ必ず迎えに来ると約束する」
「いずれとはいつだ? 彼女にそれを言ったのか?」
「言った。けれど迎えに来ても一緒には行けないとも言われた。マルシアス侯爵家を捨てる事はできないと」
「そんな物はどうにでもなる。二人の子供を後継者にすればいいし、血縁者から養子をとってもいいはずだ」
「……マルシアス侯爵の体調が思わしくないそうだ。それに親族は遠縁の者しかいないと聞いた。私も兄が即位し、子を儲けるまでは彼女の存在を公にはできない」
「馬鹿が。即位はできても、子を儲けられるかどうかは分からないのだぞ。そんないつになるか分からない話で、待っていてくれと頼んだのか⁉」
「そうだな。だから断られた。それでも私には彼女しかいない。彼女に受け入れてもらえないのなら生涯独身で通すさ」
その後、バキッという音と共に「だったら国など捨ててしまえ!」と怒鳴るカシック様のお声が廊下に響きました。
私はたまらず、その場から逃げ出します。
ローザは、レイと想い合う関係だったのです。ですが、お互いに家を捨てられない。そんな二人の未来は……。
人気のない庭に出た私は、木々に隠れるように蹲りました。
ローザは私の大切な親友です。私を助けてくれた恩人でもありました。そんな彼女が辛い恋をしていたなんて。
私にできる事はないのでしょうか?
彼女のために、できる事は……。




