ひっ、思い出しました
無理矢理、倒された私は柔らかい寝台の上とはいえ、いきなり横になったので頭を軽く打ち付けクラクラします。
一瞬、目を瞑ってしまった私の上に覆いかぶさってきたのは元夫でした。
両手をからめとられ、動きを封じられます。
ギャー、な、何するんですか⁉
真っ青な顔になる私の横で、ソックス様が悲鳴に近い声を上げます。
「カ、カール様、何をする気ですか⁉ そういうのはナシだと約束したでしょう」
「煩い! 嫁として俺を助けもしない。僻地にもついて来ない。離婚だ、何だと言い続ける女に、せめて嫁の仕事をさせて何が悪い。こんなにも俺が求めているのに一度も応えないなんて、おかしいだろう」
「おかしいのは貴方です! 私はエイワード国の侯爵令嬢です。無礼は許しません」
「だったら俺は王太子だ! 不敬罪で罰を与える」
「もう王太子ではないでしょう!」
「とにかく一旦、冷静になりましょう」
ギャーギャーと騒ぎ邪魔するソックス様と抵抗する私に、元夫が舌打ちします。
「もう、なんだかんだ言って、ただ単に貴方は女とやりたいだけでしょう⁉」
私が自棄で叫んだ言葉に、元夫がピタリと動きを止めます。
そして暗い目で、私の瞳を覗き込んできます。
「……だったら、何だ?」
ゾクッとするほど低い声で囁かれました。
急速に私は身の危険を感じます。
これは冗談でも脅しでも何でもなくて、本気で私を汚そうとしているのです。
私の体がカタカタと震えだしました。
「……そ、そっくす、さま」
震える声で唯一助けられる人の名前を口にしましたが、彼もまた元夫の威圧に声をなくしています。
私は……犯って殺られるの?
フルフルと震える私に元夫の顔が近付いてきます。
私はギュッと目を瞑ってしまいます。
ジアス様!
心の中でその名を呼びます。
が、何か起きるほど都合よくはありません。
せめて、せめて、せめて、と何かないかと封じられた手で寝台の上をまさぐりますが、凶器になりそうな物は見当たりません。
それでも絶対に嫌だと暴れまわりますと、お胸がプルンと揺れました。
バッとガン見する元夫。
あら?
私がよいしょよいしょと動きますと、お胸が一緒になってプルンプルンと揺れます。
元夫の眼は釘付けです。同時に拘束していた手も緩みました。
そのチャンスを見逃さない私は、思い切って元夫の腕に噛みつきます。
ガブッ!
「いっ!」
痛みのあまり驚いて起き上がる元夫から逃げるために、私も体を起こします。
ですが、その手を掴まれて、またもや寝台に押し倒されました。
「調子に乗るな、このガキ!」
――幼い頃、いつも浴びせられていた言葉。
鋭い目でこの言葉を言われた後は、必ず何かが飛んできました。
それはお父様の手、もしくは本、はたまたワイングラスだった事もあります。
これ見よがしに使用人の前で行われる蛮行。
そして私が泣いてしまうと、その使用人が庇いにきます。
すると目の前で、彼らがもっと酷い目にあわされるのです。
必死にこらえる私を見ながら、荒い息を吐くお父様の不気味な瞳。
当たりどころが悪く血を流した事もありました。
それを見た、お父様の何とも言えない表情。
私は耐えるしかないのです。感情を押し殺して……ただひたすらに……。
あの瞬間が頭の中に蘇り、私の体からは血の気が引き、先程とは比較にならないほどの震えが一気に襲いかかります。ガタガタガタガタとみっともなく揺れるのです。
その異常なほどの震えと顔色に、我に返ったソックス様が元夫に何かを言っているようですが、耳鳴りが酷く何も聞こえません。
歯の根が合わず、声も出ません。
元夫とソックス様の言い争っている姿を目にしながら、私の視界は暗くなっていきます。
ああ、もう、無理、です……。
真っ暗な闇に支配される瞬間、突如ドンドンドンッと激しく扉を叩く音が部屋中を響かせました。
その音に覚醒を促された私は、扉の方に視線を向けます。
そこからは「開けろ!」という耳慣れた声が聞こえました。
「……じ、あす……」
掠れる声でその名を口にします。
その瞬間「開けなければ壊す!」と脅しのような言葉の後に、ガンッという破壊音が聞こえてきました。
「ひっ、待ってください。開けます。すぐに開けますから」
ソックス様が慌てて扉に走って行きます。
どうやらここは破壊されたら不味い場所のようです。
ですがソックス様は間に合わず、扉はガコンという大きな音と共に壊されました。
そうして入って来たのは、やはりジアス様でした。
「あああ~、と、扉が~」
壊された扉の前に走り寄ったソックス様の、悲痛な声が響きます。
そんな彼を無視してジアス様は部屋の中を見渡し、寝台の上で元夫に組み敷かれている私に目を止めました。
目を大きく開いたその顔には、驚愕と憤怒が浮かび上がっております。
そして一瞬、目を閉じて開いた後には、上にいたはずの元夫の姿はその場から消えていました。
目をパチパチ瞬く私の前に、ジアス様の秀麗な顔が覗き込みます。
その顔は酷く苦しそうに見えました。
「申し訳ありません。助けに来るのが遅くなりました」
ジアス様の言葉に私は一瞬呆けたものの、一気に安堵がこみ上げてきました。
プルプルと震えながらも、ジアス様に笑顔を向けます。
ありがとうございます。大丈夫です。どうしてここが分かったのですか?
色々と言葉にしようとするのですが、声が音を発してくれません。
その上、顔が何かで濡れているように感じます。
それを手で拭いたいのですが、体が全く動きません。
口をパクパクさせてヘラヘラ笑っている私は、かなり滑稽でしょう。
ジアス様も呆れているに違いないと、情けなくなります。
私が目を瞑ると、ふわっと温かい何かが冷え切っていた体に温もりを与えてくれました。
え?
「もう大丈夫ですよ。一緒に帰りましょう」
そんな優しい声と共に、温もりが頭や背中を擦ってくれます。
ああ、どうやら私はジアス様に上半身を起こされて、抱きしめられているようですね。
ヒューヒューと息が漏れるだけで音が発せないながらも、どうにか謝罪だけは口にします。
「……ご、なさ。ごめ……い。ごめ……なさい」
ヒックヒックとしゃっくりまで上げ、繰り返す私の謝罪に、ジアス様は優しい声で「大丈夫、大丈夫」と何度も言って背中を擦ってくれます。
そうしてその温もりに包まれて、私の意識は遠のきました。
ぼんやりとした意識の中、ソックス様の「ひえぇ、カール様ー!」という情けない悲鳴が聞こえて、その後ガスッという物を蹴ったような音と共に複数の足音が聞こえてきましたが、全て気にしない事にします。
だって、この心地よい温もりを手放したくはなかったですから。
「心配しましたよ、クレイン様。お体は? どこも痛い所はございませんか? お医者様からは異常なしと聞いてはおりますが、優れない所があれば仰ってくださいね」
目を覚ますと、涙の跡が残るモナの顔が目の前にありました。
ここは? と訊ねようとして声が出ない事に気が付きます。
喉を押さえて必死で試しますが、どうしても音になってくれません。
モナは痛ましそうに顔を歪ませた後、枕元にある水差しからグラスに水を注いで、私の上半身を起こして飲ませてくれました。
「どうぞお水を飲んでください。それから少しずつ声を出していけばいいのです。焦る必要はありません」
ニッコリ笑うモナにコクリと頷いて、コクコクと水を飲みます。
ああ、喉が潤ってホッとします。
落ち着いてゆっくりと周りを見渡すと、ここはロレント公爵家で私がお借りしているお部屋でした。
ああ、帰ってこられたのね。
お城に住んでいた期間の方が長いというのに、私にとってはすでに、こちらの方が家だという認識があるようです。
全身から力が抜けました。




