やばっ、まさかでしょう
翌日、正午過ぎにクレイン様は城に登城してきた。
カール殿下とクラウディア嬢は自室に閉じ込めているし、カロリーナ嬢は実家に帰った。
使用人にも粗相がないよう言い含めているし、貴族はロレント公爵が一緒だから問題ないだろう。
実質的には彼女が城に来る最後の日となる。
クレイン様と別れの挨拶をかわすため、陛下と王妃、カミュウ殿下と重鎮が居並ぶ謁見室へと私は彼らを案内した。
謁見室に現れたクレイン様を見て、皆が驚きにざわついた。
そりゃあ、そうだろう。
彼女の変貌には驚いて当然だ。
本日は黄色のドレスに身を包んでいて、白い小花の飾りが髪とドレスを愛らしく彩っている。
ちょっと、ジアス様の片目の黄色と似ている気がする。
そして、うっすらと微笑みを浮かべるその姿は、誰がどう見ても人形姫だとは思えない。
ジアス様のエスコートで現れた彼女に、重鎮たちがゴクリと喉を鳴らす。
「ロレント公爵、二人を連れて来てくれて礼を言う」
「滅相もございません」
「クレイン嬢、最後に会えて嬉しく思うぞ」
「痛み入ります」
「ジアス殿、祖国にはいつ頃戻る予定だろうか?」
「三日後の予定でございます」
「そうか。そんなに早く……」
陛下はそれそれに言葉をかけるが、ジアス様に出立の予定を聞いてホッとしたような、どこか寂し気な複雑な様子を見せた。
陛下も今のクレイン様を改めて視野に入れて思うところがあったのか、そのまま彼女に視線を向けた。
「クレイン嬢、良き縁でせっかく娘になったというのに、このような別れ方になってしまった事、誠にすまないと思っている」
「とんでもございません」
「もしもこの国に少しでも愛着を持ってくれているのなら、カールではなくカミュウの妃に……」
「長い間、お世話になりました。皆様に良くしていただいたので、心残りは一つもありませんわ」
なんと陛下はこの期に及んでクレイン様を引き留めようと、カミュウ殿下の妃の立場を口にした。が、言葉を被せてニッコリと微笑む彼女に一瞬、口ごもる。
だが、それでも負けまいと言葉を続けようとした。
「あ、いや、そう思ってくれているのなら、これで終わりにしないでカミュウ……」
「ええ、本当に。王族の皆様をはじめ貴族の方にも使用人にも、大人しい私に気遣って、触れずにそっとしておいでくださった事、感謝しております」
そこで陛下の肩がギクッと揺れた。
先程からクレイン様は嫌味しか言っていない。
世話にもなっていないし、良くしてもらってなどいない。そっとしておいた、なんて事は無視していたと同義だ。
陛下が最後の説得とばかりに奮闘した行動は、クレイン様の気に障ったのだろう。
これ以上は墓穴を掘る。
陛下はそのままシュンと項垂れ「また会える日を楽しみにしている」と言い終えた。
その後、王妃も簡潔に「お元気でね」とだけ口にする。
重鎮たちもクレイン様に自分たちがした今までの処遇を言い訳しようとしたのだが、彼女の「皆様の事、忘れませんわ」の一言で固まってしまった。
流石にもう彼女を引き留める事は叶わないと自覚した面々を置いて、私はロレント公爵とジアス様と共にクレイン様を、彼女の部屋へと誘導する。
途中、何人かの貴族や侍女が気まずそうに頭を下げていたが重鎮たち同様、それぞれの名前をハッキリと口にしたクレイン様に「忘れませんわ」と言われてしまい、動きを止めていた。
恐ろしい事に、彼女は皆の名前と顔を覚えていたのだ。
この様子では誰に何をされたかまで、ちゃんと覚えていそうである。
ううう、なんて王妃に向いているお方だ。
逃がした魚は大きかったと心の中で思うと同時に、ここでキッパリと手放さないと、どんな報復をされるか分からないという恐怖で背筋を震わせた。
クレイン様の部屋について、件の熊を見たジアス様はちょっと引いていた。
想像以上に大きかったのだろう。
自分よりも大きく全く遜色のない二体の熊の人形に、初めて見た者が驚くのも無理はない。
だがクレイン様は迷う素振りもなく、あっさりとヘイネス公爵がプレゼントをした方を指差した。
二体の何に違いがあるのか?
男たちは首を傾げるが、クレイン様にだけは分かるらしい。
「だって、こちらの方がヘイネス公爵に似ているでしょう」
熊に抱き着いて微笑むクレイン様にジアス様は笑みを返していたが、正直なところ絶対に分かっていないと思う。
私は侍従にクレイン様が選んだ熊の配達を命じると、カミュウ殿下が待っている庭園へと案内した。
殿下は、そわそわと庭園の入り口で待っている。
クレイン様はロレント公爵とジアス様に断りを入れると、カミュウ殿下に近寄り二人で奥へと歩いて行った。
途端にジアス様が半眼になる。
「妬くな、妬くな。淡い初恋の思い出くらい残してやれ」
揶揄うようにロレント公爵がジアス様の背中を叩く。
「そんなのじゃないですよ。ちゃんと他に誰かついて行っていますか? いくら城の中とはいえ、この庭園は誰でも出入りが可能でしょう。安全は確かめていますか?」
ジアス様の心配に、私はカミュウ殿下の護衛がついて行った事を説明する。
「殿下の護衛が二人、後ろからついて行っています。先程、庭園の安全も確かめました。誰も中にはいないとの報告を受けています」
だが説明を聞いても安心できないのか、そわそわと体を動かしロレント公爵に振り向いた。
「距離をあけてついて行くのは、いけませんか?」
「嫌われるぞ」
「……………………」
無言になるジアス様にロレント公爵はカラカラと笑う。
「流石にそれは野暮というものだ。若い恋敵と二人きりにするのだから心配なのは分かるが、相手は十四歳の少年。もっとドンと構えるぐらいできないのか」
全くもって同意見である。
正直、ジアス様はもっと不敵な方だと思っていた。
まさかこんな事で挙動不審になるとは、内心吃驚である。
不貞腐れた彼は、私に振り返った。
「どこか座れる場所はありますか?」
どうやら腹をくくったらしい。
「はい。こちらに用意してあります。お茶でも飲んでお待ちください」
私は用意しておいた近くの四阿に案内した。
せっかく得た二人きりの時間だ。
カミュウ殿下には、これから王太子として一から学ばなければならない事もあるだろう。
忙しくなる日々を目前に、せめて初恋の思い出をしっかり残せればいいと、私は小さくなる殿下の背中にエールを送る。
頑張れ、カミュウ殿下。
この期に及んで陛下のように残ってほしいなどと馬鹿な事を言って、クレイン様の気分を害するような事だけはしないでくださいね。
クレイン様とカミュウ殿下のお帰りを待つのに、むさい男三人が四阿でお茶をする。
普通ならばあまり見たくない絵面なのだが、ジアス様が居るだけで何故かその場は華やかになる。
遠くからでも数人の侍女が手を止めて、彼に見惚れているのが分かった。
ハアー、つくづく容姿の良い男は得である。
そしてロレント公爵は決して美しいと評価される部類ではないのだが、何というのか貫禄? 内から滲み出る自信? 男の色気? などの雰囲気でお茶をしていても様になるのだ。
彼には年配の使用人の視線が集まっている。
何故かその中には男も混じっているのだから不思議なものだ。
全員、減俸だな。
私はクレイン様とカミュウ殿下が戻るまで、手を休めて見惚れている使用人の顔を覚える事にしたのだった。
暫くそんな状態でお茶をしていたのだが、そのうちにだんだんとジアス様の眉間に皺が寄っていった。
「……遅くありませんか?」
彼のそんな言葉に、私とロレント公爵は自分の懐中時計を開く。
気付けば長い針が一周していたのである。
「確かに。庭園を散歩するだけにしては時間がかかっているな」
「途中でアクシデントがあったとしても、遅過ぎますね」
ロレント公爵と私の眉間にも皺が寄る。
「迎えに行きましょう」
「そうだな。それがいい」
私たちはクレイン様とカミュウ殿下が向かった庭園の方へと足を進めた。
何とも静かなものである。
いや、静かすぎるか。
人の話声一つしない。
私たちの足が無意識に速度を上げる。
そうして辿り着いたその先には、地面に倒れているカミュウ殿下と騎士二人の姿があった。
私は急いでカミュウ殿下に駆け寄った。
そしてその小さな体を抱き起して、小さく揺さぶる。
「殿下、カミュウ殿下、ご無事ですか? 目を開けてください!」
「……ん、うぅん」
微かに漏れる声に、私はホッとする。
良かった。どうやら無事のようだ。体も……大きな外傷はない。
すると後ろから騎士を起こしていたジアス様が「何があった? クレイン様は?」と叫んでいる。
そうだ、クレイン様がいない⁉
慌てた私が振り返ると、ロレント公爵が起こしていた騎士が掠れる声で呟いた。
「突然、カール殿下が現れて……クレイン様を無理矢理連れて行こうとされたので、お止めしようとしたのですが、何者かに背後から頭を殴られてしまい……」
「「「!」」」
目を見開く私たち三人に、頭を押さえながら「申し訳ありません」と謝罪する騎士。
カール殿下がこの場に現れてクレイン様を攫って行った⁉
背後から殴られたという事は、どうやら協力者がいるらしいが、今の殿下に手を貸す者がいるのか?
いや、そもそもカール殿下がどうしてここにクレイン様が居る事を知っていたのだ? 部屋に監禁されていたはずだが。
頭を抱える私の前で、ジアス様がスッと立ち上がる。
「追います。後はよろしくお願いします」
ロレント公爵にそう告げたジアス様の顔を、私は見てしまう。
オッドアイである黄色の方の瞳が金色に光り、瞳孔が縦長になっているように見えたのだ。
思わず息を呑む私を無視して、彼は脱兎の如く駆け出した。
その速さは、人間業には見えなかった。
あっという間にその姿を消したジアス様の去った方向を唖然と見ていると、ロレント公爵に「宰相!」と怒鳴られた。
「城に戻って人を呼んできてくれ。それと医師の用意を。あと、陛下にこの事を伝えてカール殿下の自室を確認してくれ。急げ!」
私はロレント公爵に背中を押され、もつれる足を叱咤して城へと走り出す。
ああ、もう一体何がどうなっているんだ?
全く理解できない状況に錯乱しながらも、まずはカミュウ殿下の容態の確認と、そして消えたクレイン様の足取りを追わなければいけない。
だが、どうしてこんな事までしてクレイン様に会いたかったのか?
最後に話がしたかっただけ、なんて事はないよなぁ。
ああ、お願いですからカール殿下、最悪の行動だけはとらないでくださいよ。
私は軽率な行動をとったカール殿下に、それでも最悪な事態にだけは発展してくれるなと願うしかなかったのだった。




