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痛みなし   作者: EXTRO
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8/10

天が震えた日

ダンテ・カイルの処刑まで、残り三日。

街の至る所に設置された巨大なホログラムスクリーンが、雨の降る夜を冷たく照らし、何百万人もの人々がその生放送を固唾を呑んで見つめていた。

『――視聴者の皆様にお知らせします。大罪人であるチャンピオン、ダンテ・カイルの公開処刑が本日執行されます』

画面の中で、報道アナウンサーが緊張した面持ちで告げる。

『国家資産である政府施設に一千五百万強の損害を与えた罪により、市長、およびギルドマスター・カザン立ち会いのもと、厳刑が下される予定です』

街全体が、その時を待っていた。

奴らはそれを『正義』と呼ぶ。

――その喧騒から遠く離れた、薄暗く狭いアパートの一室。

アシュラは一人、静かに座っていた。

彼の上半身には、未だ真新しい包帯が幾重にも巻き付けられている。

皮膚の至る所を覆う凄まじい痣は、あの『ブラッド・ピット』のトーナメントを生き抜いた証、血の土産物だ。

彼の目の前には、新調された一本のカタナが置かれていた。

磨き上げられた漆黒の刃が、窓から差し込むかすかな朝の光を鋭く反射している。

死線を潜り抜け、その血で稼ぎ出した賞金で購入した獲物だ。

アシュラは静かに目を閉じた。

両手をそっと突き出す。

すると、彼の肉体から青、紅、銀、そして紫――四色のプラーナが立ち上り、まるで夜空を漂う星々のように彼の周囲を緩やかに旋回し始めた。

六つのプラーナ。

彼が打ち倒した、六人のチャンピオンたちの残滓。

その力は確かに彼の一部となった。

――しかし、彼の『進化』の兆しは未だ訪れない。

アシュラは深く眉をひそめた。

「こいつらの流れを、俺の深淵と同調させることができれば……」

「俺のプラーナは、より純粋に、より強くなるはずだ」

そうなれば、ついに壁を突破できるかもしれない。

チャンピオンたちの世界における『進化』の真実は、至極単純であり、同時にあまりにも残酷だった。

上のランクへと昇格するためには、ただ勝利を重ねるだけでは無意味。

先天性固有技術インネイト・テクニック】を目覚めさせたチャンピオンを倒し、その系譜をその身に刻まなければ、真の進化は絶対に起こらない。

この世界のランクは、以下のような冷酷な方程式で成り立っている。

#### 【世界ランク・絶対絶対基準】

* **一般人 \times 5** \rightarrow **Eランク \times 1**

* **Eランク \times 5** \rightarrow **Dランク \times 1**

* **Dランク \times 10** \rightarrow **Cランク \times 1**

* **Cランク \times 15** \rightarrow **Bランク \times 1**

* **Bランク \times 20** \rightarrow **Aランク \times 1**

* **Aランク \times 15** \rightarrow **Sランク \times 1**

* **Sランク \times 10** \rightarrow **SSランク \times 1**

* **SSランク \times 5** \rightarrow **SSSランク \times 1**

* **SSSランク \times 10** \rightarrow **【帝王境界エンペラー・レアルム】**

アシュラはこれまでに、地獄の闘技場で数え切れないほどの敵を屠ってきた。

だが、彼の中にその固有技術を覚醒させている者は一人もいなかった。

力は蓄えられた。

しかし、彼のランクの器はDランクのまま変動しない。

それから二日間、彼は眠ることも、言葉を発することもなかった。

ただひたすらに、瞑想を続けた。

呼吸を刻み。

耳を澄まし。

身体の奥底を流れるプラーナの細かな電流を、完璧に掌握していく。

そして、三度目の朝日が昇った時。

確かな変革が、彼の内側で起きていた。

暴風のように荒れ狂っていた彼のオーラは消え去り、そこには鏡のような静寂と、完璧な調和の元に流れる一本の、恐るべき大河が存在していた。

アシュラは立ち上がった。

漆黒のロングコートを羽織り、腰にカタナを深く帯びる。

鏡の中に映る自分を見つめる。そこにはもう、何かに怯える少年の姿はなかった。

あるのは、ただ一つの絶対的な決意。

彼は深くフードを被った。

「ダンテ……」

「待ってろ。今行く」

――その頃、執行広場は割れんばかりの群衆で埋め尽くされていた。

プラットフォームの周囲を重武装の軍隊が厳重に包囲している。

高台のバルコニーからは政府の要人たちが冷たい視線を投げ下ろし、無数のドローンカメラがその一挙手一投足を全国へと生中継していた。

押し寄せた暴徒のような群衆が、一斉に声を張り上げる。

「正義を!」

「悪人に死を!」

処刑台の中央には、ダンテ・カイルが跪かされていた。

全身に酷い傷を負い、プラーナを封印する重厚な精神拘束鎖に縛り付けられながらも、彼の特徴である不敵な笑みがその唇から消えることはない。

一人の兵士が前に進み出た。

「最期の言葉はあるか?」

ダンテは、低く嘲笑うように言った。

「臆病者どもにくれてやる言葉なんて、一言もねえよ」

その時だった。

広場の遥か後方、群衆の隙間から、一人の男が静かに足を踏み入れた。

風にたなびく、漆黒のコート。

深く被られたフードが、その素顔を完全に遮断している。

男の左手は、腰に差した剣の柄に静かに添えられていた。

急ぐ風でもなく、彼は歩む。

その一歩一歩の足音が、自らの心臓の鼓動と完璧に同調していた。

乱れなく。

静かに。

揺るぎなく。

そして、男は微かに唇を動かし、二つの言葉を紡いだ。

「――『帝王の虚空インペリアル・ヴォイド』」

ゴオォォォォォォッッ!!!!

世界が、凍りついた。

濃紺と鮮烈な紫の混ざり合ったプラーナの津波が、男を中心に爆発的に吹き荒れた。

空間そのものが、耐えがたいほどの超重圧によって激しく歪み始める。

石畳が目に見えない圧力に圧し潰され、蜘蛛の巣のような亀裂を広げていく。

ドサドサドサッ……!!

周囲にいた数千人の一般市民が、悲鳴を上げる間もなくその場に崩れ落ち、気絶した。

報道陣はカメラを取り落とし、武装した兵士たちまでもが呼吸を奪われ、次々と膝を屈していく。

街全体が、ただ一人の圧倒的な『存在』の前に、完全な沈黙を強制されていた。

それは炎ではない。

嵐でもない。

――ただ純粋な、絶対的な『支配の権威』。

あまりの格の違いに、未熟な魂の持ち主たちは本能的に平伏するしかなかった。

アシュラはあの地獄で、新たな固有技術を奪うことはできなかった。

しかし彼は、奪い取った全ての断片的なプラーナを自らの深淵の底で完全に融合させ、略奪ではなく【完璧な調和】の果てに、全く新しい概念の技術を自ら創造したのだ。

> **[システム技術統合完了]**

> **【固有技術:帝王の虚空インペリアル・ヴォイド】**

> * 特性:絶対領域の展開。領域内のすべての適格者を精神的・肉体的に完全圧殺します。

>

処刑の時間は、完全に停止した。

運命の歯車が、いま激しく回り始める。

粉塵の舞う静寂のなか、黒いコートの男が歩を進める。

一歩歩くたびに、足元から青紫色の同心円状の波紋が広がり、周囲の空間を陽炎のように歪めていく。

彼は処刑台を見つめ、真っ直ぐに歩む。

プラットフォームの最上段で誇らしげに胸を張っていた市長が、突然、激しく咳き込みながら床に四つん這いになった。

その胸に輝いていた高価な儀礼用バッジが、見えない圧力によってピキピキと音を立てて砕け散る。

「ば、馬鹿な……これほどの、圧を放つ者が……一体、何者だ……!?」

彼の声は、完全な恐怖によってガタガタと震えていた。

鎖に繋がれたダンテもまた、重い頭をゆっくりと持ち上げた。

汗と血で霞む視界の向こうから、一人の影が近づいてくる。

この、魂の芯まで凍りつくような圧倒的なオーラ。

――なぜだろう。

あまりにも、馴染み深い気がした。

捕縛されて以来、初めて、ダンテの顔から不敵な笑みが完全に消え去った。

少し離れた場所で、ギルドマスター・カザンが掌から血が滴るほどに拳を強く握りしめていた。

周囲の者が例外なく圧殺されていく中、彼は全身の筋肉を限界まで膨張させ、凄まじい形相でその場に踏みとどまる。

カザンが鋭い眼光を男に向け、吼えた。

「……貴様、何者だ!」

フードの男は、処刑台のすぐ手前で足を止めた。

素顔は見えない。だが、彼の存在そのものが、この大都市の全神経を逆撫でし、黙らせていた。

響いたのは、あまりにも静かで、冷徹な声。

「――大した者じゃない」

「ただ、友達を助けに来ただけだ」

その声を聞いた瞬間。

ダンテの傷だらけの顔に、いつもの、あの締まりのない笑みがゆっくりと戻ってきた。

「へっ……」

「遅えんだよ、相棒」

カザンの背後の影から、凄まじいプラーナをまとった三人の影が飛び出してきた。

ビーム、アッシュ、ダビ。

カザン直属の、三人の精鋭Cランクチャンピオンたちだ。彼らは主君の威厳を守るため、その強力なオーラを爆発させながら男を取り囲む。

カザンの表情が、怒りでどす黒く染まった。

「私の領域に足を踏み入れ、生きて帰れると思っているのか?」

黒コートの男は、短く答えた。

「いいえ」

カザンが冷酷に笑う。

「自分が誰を相手にしているのか、分かっているのか?」

「分かっている」

答えは一瞬だった。

「――だが、俺には関係のないことだ」

「ならばここで、二人まとめて肉塊にしてくれるわ!」

カザンが狂ったように右手を振り下ろす。

「ビーム! アッシュ! ダビ!」

「――殺せッッ!!」

三人の精鋭が同時に地面を蹴り、爆発的な速度で突進した。

ドゴォォォォン!!

だが、誰の目にも彼らの突進が捉えられた次の瞬間――。

フードの男の姿が、完全に掻き消えた。

「なっ――!?」

観客が驚愕の声を上げる。

ガキィィィンッ!!!!

一瞬の後、男はすでにダンテの目の前に直立していた。

彼の移動速度が引き起こした凄まじい衝撃波が処刑台を直撃する。

ダンテを縛り付けていた、あの強固な精神拘束鎖が、まるでおもちゃのガラス細工のように一瞬で粉々に爆発し、広場へと激しく飛び散った。

「がはっ……!」

自由を取り戻したダンテの身体が前方へと崩れ落ち、激しく荒い呼吸を繰り返す。

上空では、政府のドローンカメラがこの異常事態を休むことなく全世界へと送り続けていた。

画面の向こうの何百万人の人々が、全く同じ信じられない光景を目撃している。

気絶した市長。

一歩も動けずに敗北した兵士たち。

そして、ただ一人の謎の男によって完全に行進を止められた国家の処刑執行。

通信機越しに、ニュースレポーターの震える声が辛うじて響いた。

『緊急事態です……! 正体不明のチャンピオンが公開処刑場に乱入……! 軍および防衛部隊は機能停止、現在、迎撃不能です……! 繰り返します、男の正体は――』

アシュラは右手で、腰にあるカタナの柄を静かに握り直した。

雲の隙間から覗いた月光が、漆黒の刃の境界線を鋭く白く浮かび上がらせる。

彼の心にあるのは、ただ一つの絶対的な事実。

(ダンテ……お前の処刑は、今この瞬間に終わった)

広場のあちこちで、強靭な精神を持つリポーターたちが意識を取り戻し、震える手で壊れたカメラを必死に構え直した。

全てのレンズが、カザンの全戦力を前に、たった一人で立ち塞がるフードの戦士へと集中する。

ビームは恐怖で身体を強張らせていた。

アッシュの目は限界まで見開かれている。

常に冷静沈着な判断を下すことで知られるダビでさえ、その喉を鳴らして冷や汗を流していた。

「信じられん……速すぎる……」

ダビの視線は、目の前の怪物から一歩も動かせない。

「Cランク……? いや……」

「あのプラーナの密度。あり得ん……」

「まさか、こいつは――Aランクなのか!?」

男の周囲には、青紫色の魔力が底なしの深海のように果てしなく溢れ返っていた。

空間そのものが、その男の呼吸一つでカタカタと震えている。

三人のCランク、そして最強の一角であるカザンを前にして、アシュラはただ静かに牙を剥く。

世界はまだ、この瞬間に何が産声を上げたのかを知らない。

一人の少年が、真の伝説へと駆け上がる『真の昇格( ascension)』が、いま始まったのだ。


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