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痛みなし   作者: EXTRO
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29/39

出発

朝は静かに訪れた。

陽光が高層ビル群に降り注ぎ、帝国グランドホテルの外には記者たちが群がっていた。

衛星カメラが頭上に浮かび、ニュースヘリが空を旋回する。

主要な放送局の見出しはただ一つ。

「地球界のイレギュラー、今日旅立つ。」


ホテルの中…

アシュラは旅行鞄のストラップを締め直した。

チャンピオンになって以来初めて…

戦いの準備ではなく、故郷を離れる準備をしていた。

ダンテは自分のバックパックを肩に掛けた。

「…荷物少ないな。」

アシュラは鞄の中を覗いた。

着替え一式。

それだけ。

「持ってるものが少ないんだ。」

ダンテは頭をかいた。

「…まあ、そうだな。」


ノックの音。

ホテルの扉が開く。

皇帝が数人の帝国役人と共に入ってきた。

昨日の式典とは違い…

今日は質素な白い服を着ていた。

装飾も玉座もない。

ただ、十二歳の少年が一つの界の重荷を背負っていた。

彼はアシュラを見た。

「準備はできたか?」

アシュラはうなずいた。

「たぶん。」

皇帝はかすかに微笑んだ。

「帰ってきたとき…」

「強くなっていてほしい。」

「だがそれ以上に…」

「賢くなっていてほしい。」

アシュラは黙って聞いた。

「力だけでは界を救えない。」

「他国を理解する者こそ…」

「彼らを結びつけることができる。」

彼は一歩近づいた。

「ブラジルを訪れるとき…」

「地球界のイレギュラーとしてではなく…」

「アシュラとして行け。」

「学べ。」

「聞け。」

「必要な時だけ戦え。」

「いつか…」

「彼らはお前と共に戦うかもしれない。」

アシュラは軽く頭を下げた。

「わかりました。」


外では…

帝国の車列が待っていた。

今回は兵士に囲まれてはいなかった。

代わりに…

数千人の市民がホテル前に集まっていた。

子供たち。

家族。

チャンピオンたち。

労働者。

観光客。

誰も叫ばず、押し合わず。

ただ見守っていた。

小さな少女が紙の旗を持って前に出た。

「チャンピオン・アシュラ…」

「無事に帰ってきてください。」

アシュラは旗を受け取った。

「…必ず。」

ダンテは笑った。

「…もうファンがいるな。」


車列が空港へ向かう間…

街は少しずつ後ろへ消えていった。

アシュラは窓の外を見た。

東京はすべての始まりの場所だった。

ダンテとの出会い。

カザン事件。

トーナメント。

発表。

すべて。

いつ戻れるのか、彼は思った。


空港にて…

巨大な航空機が待っていた。

銀色の機体には日本ではなくブラジルの紋章が描かれていた。

空港全体が封鎖され、残っていたのはチャンピオンと役人だけ。

搭乗の準備をしていたアシュラに…

声が響いた。

「アシュラ。」

振り返ると、ミノリが政府チャンピオンの制服姿で立っていた。

隣にはアッシュ。

二人とも出発前に間に合うとは思っていなかった。

ミノリは微笑んだ。

「本当に行くんだね。」

アシュラはうなずいた。

「しばらく。」

彼女は歩み寄り、小さな木の御守りを渡した。

「これ、作ったの。」

「幸運のお守り。」

アシュラは慎重に受け取った。

「…ありがとう。」

滑走路にアナウンスが響いた。

「最終搭乗。」

エンジンがゆっくりと始動する。

風が吹き抜ける。

アシュラは最後に皆を見た。

そして機体へと足を踏み入れた。

ダンテも続いた。

扉が閉まり、エンジンが轟音を上げる。

機体が加速する。

数百万の人々が生中継を見守った。

地球界のイレギュラーは…

初めて故郷を離れた。


ブラジルの航空機は果てしない雲海を突き抜けた。

月光が太平洋を銀色の鏡に変え、地平線まで広がっていた。

日本を出発して二十八時間。

ファーストクラスのキャビンの中…

ようやく平穏が訪れた。

アシュラは窓にもたれ、星々を静かに眺めていた。

向かいでは…

ダンテが豪華なキャビンを自分の居間のように変えていた。

ブーツをテーブルに乗せ、ブラジルのホログラフィックガイドを浮かべていた。

目を輝かせながら。

「アシュラ。」

「ん?」

「着いたら…」

「俺は消える。」

アシュラは窓から目を離した。

「…消える?」

ダンテは真剣にうなずいた。

「少なくとも二日間。」

アシュラは瞬きをした。

「…皇帝は学べって言ってたぞ。」

「学ぶさ。」

ダンテは笑った。

「でもまず…」

指を折りながら数えた。

「ブラジルのバーベキュー。」

「カーニバル。」

「サッカー。」

「アマゾン。」

そして近づいて…

「…ブラジルの女性。」

アシュラは数秒間彼を見つめ…

そして笑った。

心からの笑い。

「本気で計画してたのか?」

「東京からずっと。」

ダンテは誇らしげにうなずいた。

「別の大陸に来て、会議と戦い方だけ学ぶなんてありえない。」

帝国の護衛の一人が笑った。

「本当にチャンピオンなのか信じられない。」

別の護衛も笑った。

「冷たい謎めいた英雄を想像してた。」

「なのに…」

ダンテを指差した。

「…これだ。」

ダンテは胸に手を当てた。

「深く傷ついた。」

キャビンは笑いに包まれた。

役人たちも微笑んだ。

老外交官が眼鏡を直した。

「新聞は君たちを地球の未来と呼んでいた。」

ダンテは肩をすくめた。

「間違ってない。」

アシュラはため息をついた。

「でも新聞は彼が馬鹿だって書き忘れた。」

さらに笑いが広がった。

トーナメント以来初めて…

誰も死を考えず。

誰も戦いを考えず。

ただ明日を思った。


時は過ぎ…

外は夜に完全に包まれた。

月光だけが果てしない海を照らす。

キャビンの中…

静寂が広がった。

役人たちは後方のキャビンに退き、護衛が交代で見張っていた。

起きていたのはアシュラとダンテだけ。

アシュラは星を見続けた。

「…美しい。」

ダンテは伸びをした。

「ああ。」

「…死にかけたことを忘れそうだ。」

アシュラはかすかに笑った。

しばらく沈黙。

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