果てしない隔たり
アシュラとダンテは、崩れかけた岩の尾根の裏で硬直していた。
二人の身体は震えていた。
怪我のせいではない。
――恐怖のせいだ。
目の前の戦場は、もはやジャングルの面影を留めていなかった。
木々はなぎ倒され、丘は引き裂かれている。
見えない攻撃が通り抜けた軌跡には、大地を深く削り取る傷跡が無数に刻まれていた。
そして、その壊滅的な破壊の中心に、男が立っている。
エルリックだ。
無傷のままで。
数メートル先では、ミラが膝を突いていた。
口の端から血が滴り落ちている。
彼女の腕は震えていた。
だが、どういうわけか、彼女はまだ笑うことができた。
「なるほど、これか……」
彼女の声は弱々しかった。
「Aランクと、Sランクの差……」
彼女は彼を見上げた。
「まるで、終わりのない壁を登ろうとしているみたいだ」
エルリックは彼女を見下ろした。
無表情に。
それから、彼はゆっくりと手を挙げた。
金色のプラーナが、彼の指先に集まっていく。
周囲の空気が歪み始めた。
微かな、不快な音が戦場を満たす。
死が、迫っていた。
その時――
――ドゴォォォォンッ!!
一筋の、蒼いエネルギーの奔流がジャングルを切り裂いた。
その一撃はエルリックのオーラに激突し、大爆発を起こした。
衝撃波が何百本もの木々を粉砕する。
もうもうとした土煙が天へと舞い上がった。
ミラの目が見開かれた。
煙の向こうから、二人の人影が現れる。
一人は、巨大な三日月型の矛を背後に引きずっていた。
その刃には蒼い炎が揺らめいている。
彼が一歩踏み出すたびに、足元の地面がひび割れた。
もう一人は、地面から浮遊していた。
彼の腕には、まるで生きている蛇のように、黒い稲妻がとぐろを巻いている。
アシュラの目が見開かれた。
「あいつらは……誰だ……?」
矛を携えた戦士が、ミラの隣で足を止めた。
彼の鋭い視線が、彼女の傷を走査する。
「立て」
その声は冷静だった。
「血が出すぎているぞ」
ミラはよろけながらも立ち上がった。
稲妻を纏った男が、低く笑った。
「俺の登場シーンを台無しにするわけにはいかないからな」
レベル2に足を踏み入れて以来、初めて――
エルリックが眉をひそめた。
ほんの僅か。
だが、アシュラは見逃さなかった。
エルリックの金色の瞳が細められる。
「まだいるのか?」
矛の使い手は、武器を鋭く一閃させた。
蒼い炎が外側へと爆発する。
「いや」
彼は低く身構えた。
「これで十分だ」
稲妻の男が消えた。
――バリバリィィンッ!!
黒い雷鳴が天を引き裂いた。
戦闘が始まった。
まず動いたのは、矛の戦士だった。
彼の武器が、まるで流れ星のように振り下ろされる。
――ドォォォォンッ!!
エルリックはそれを片手で受け止めた。
その衝撃が、周囲の森を平らにならす。
エルリックが反撃に転じるより早く――
彼の背後で、黒い稲妻が爆発した。
二人目の戦士が出現する。
彼の拳が真っ直ぐに突き出された。
――ズガァァァンッ!!
電撃が戦場を丸ごと呑み込んだ。
ジャングルは、蒼い炎と黒い雷鳴の嵐の中に消え去った。
アシュラは彼らの動きを追うのがやっとだった。
衝突のたびに、森を根こそぎにしかねない強力な衝撃波が発生する。
攻防のたびに、周囲の景色が粉砕されていく。
矛の戦士は、まるで軍神のように戦っていた。
容赦なく。
精密に。
彼の矛が一振りされるたび、大地が真っ二つに裂けた。
稲妻の男の戦い方は違っていた。
速く。
荒々しく。
彼のあらゆる挙動が、黒い雷鳴の閃光と化す。
一人が正面から攻め立て。
もう一人が、あらゆる角度から襲いかかる。
初めて……。
エルリックが動いた。
彼は横にステップを踏み。
防ぎ。
カウンターを放ち。
避けた。
矛が彼の肩をかすめた。
稲妻が彼の脇腹で爆発した。
そして――
静寂。
戦場が凍りついた。
煙がゆっくりと晴れていく。
破壊の嵐の中に、三つの影が立っていた。
矛の戦士の呼吸は荒い。
稲妻の男は片膝を突いていた。
彼らの攻撃は、ジャングルの半分を平らにしてしまっていた。
それなのに――
エルリックは立っていた。
彼の手で、一本の切り傷が頬を走っている。
一滴の血が、静かに滴り落ちた。
世界が、静まり返った。
稲妻の男が笑った。
「やったぞ……一撃入れた」
エルリックはその血に触れた。
指先を見つめる。
それから、微笑んだ。
退屈そうな笑みではない。
面白がっている笑みでもない。
――極めて危険な笑みだ。
アシュラは胃の腑が凍りつくような感覚を覚えた。
プレッシャーが変わった。
大気そのものが暗転していくかのようだ。
エルリックを覆う金色のオーラが、一層激しさを増していく。
木々が倒れ、地面が割れた。
息を吸うことすら苦しい。
稲妻の男が突如として硬直した。
彼の笑みが消え去る。
「な、にが……」
彼の声が震えていた。
奇妙な圧力が、彼の胸を圧迫していた。
彼の纏う稲妻が明滅し。
消え失せた。
彼の直感が絶叫する。
(逃げろ!)
だが、身体が動かなかった。
「これは、一体……?」
一本の赤い線が、彼の胸に浮かび上がった。
さらにもう一本。
また一本。
地面に血がこぼれ落ちる。
彼の目が見開かれた。
攻撃を見たわけではない。
気配を感じたわけでもない。
何一つ、触れられた感覚すらなかったのだ。
矛の戦士の顔が暗く歪んだ。
「セントー!」
セントーはよろよろと後退した。
そして前方へ――。
それが、致命的なミスとなった。
彼の足が、見えない「境界線」を越えた。
――パリィン。
一瞬、世界の時間が止まったかのように思えた。
次の瞬間、セントーの身体がバラバラに弾け飛んだ。
綺麗に。
音もなく。
まるで砕け散るガラスのように。
悲鳴はなかった。
雷鳴もなかった。
最期の攻撃もなかった。
ただ、静寂だけが残された。
セントーが、消えた。
アシュラの血の気が引いた。
ダンテは呼吸を忘れた。
ミラの目さえも、驚愕に見開かれていた。
優秀なAランクが。
跡形もなく、消し飛ばされた。
エルリックが手を下ろした。
「言ったはずだ」
彼の声は、酷く冷静だった。
「お前たちは全員、死ぬと」
矛の戦士は、かつて相棒が立っていた空白の場所を見つめていた。
そして、彼の中から怒りが爆発した。
――ゴオォォォォォンッ!!
蒼い炎が天に向かって噴き上がった。
彼のオーラは燃え盛る烈火と化す。
周囲の森が瞬時に炎上した。
「ヘラクレス!」
ミラが叫んだ。
しかし、遅すぎた。
戦士は突撃した。
彼の矛は、太陽よりも眩しく輝いていた。
身体の中に残されたすべてのプラーナが、外へと爆発的に解放される。
ジャングルが鳴動した。
空の雲が裂けた。
あのエルリックでさえ、歩みを止めた。
初めて……。
彼は興味深そうな目を向けた。
ヘラクレスが咆哮した。
矛が振り下ろされる。
――ドゴォォォォンッ!!
その衝撃が戦場を粉砕した。
何度も。
何度も。
何度も。
容赦のない乱撃。
その一撃一撃が、山をも平らにせんとする威力を秘めている。
一撃ごとに、その威力は増していった。
アシュラには、もはや視覚が追いつかなかった。
見えるのは、金色の閃光。
炎の火花。
そして爆発だけだ。
そして――。
すべてが止まった。
エルリックは、ヘラクレスの背後に立っていた。
音もなく。
予兆もなく。
戦士の身体が凍りつく。
エルリックの声が、彼の耳元に流れた。
「お前の相棒は、好奇心のせいで死んだ」
――シュルッ。
一本の血の線が走る。
「お前は、怒りのせいで死ぬ」
ヘラクレスが絶叫した。
彼の右脚が、胴体から滑り落ちた。
太ももの位置から、綺麗に切断されている。
彼は泥の中に叩きつけられた。
喘ぎ。
血を流し。
完全に破壊されて。
「お、れは……」
彼の声が震える。
「見え、なかった……何も……」
エルリックは彼を見下ろした。
「そういうことだ」
ジャングルが深い静寂に包まれた。
ただ、炎だけが燃え盛っている。
アシュラは拳を強く握りしめた。
これはもうトーナメントではない。
ただの「狩り」だ。
そしてエルリックは競い合ってはいない。
彼は、排除しているのだ。
その時――
――ゴゴゴゴゴ……。
地響きがした。
レベル2の奥深くから、遠く離れた神聖なエネルギーの脈動が沸き起こる。
エルリックは地平線の向こうへと視線を向けた。
彼の顔に、薄い笑みが浮かぶ。
「ほう?」
この戦闘が始まって以来初めて――
彼は本気で興味を惹かれたようだった。
「まだ玩具があるか」
アシュラは、ジャングルを通り抜ける衝撃波を肌で感じた。
ダンテは生唾を飲み込んだ。
「あいつ、殺しやがった……」
アシュラはエルリックの背中を睨み据えた。
彼の表情が暗く沈む。
「違う」
「あいつは、俺たちを狩っているんだ」
エルリックはヘラクレスを一瞥した。
「生き残った奴に伝えておけ」
彼の金色の瞳が怪しく光る。
「レベル2の『中心』で待っている、と」
そう言い残し、彼は歩き去った。
炎の中を。
瓦礫の山を。
後に残されたのは、ただの静寂だけだった。
レベル2のジャングルは、ようやく静まり返った。
エルリックが残していった破壊の爪痕は、何マイルにもわたって広がっていた。
焦げた木々。
砕け散った大地。
景色を深く引き裂く無数の深い溝。
アシュラは砕けた巨石に背を預け、荒い息を吐いていた。
彼の身体を、薄い光が包み込む。
『エクストラ・ライフバー』に蓄えられた残りの生命力が全身を駆け巡り、損傷した筋肉や砕けた骨を修復していく。
痛みがゆっくりと引いていった。
すぐ近くでは、ダンテも自身のライフバーを発動させていた。
金色の光が彼を包む。
傷が塞がり、火傷が消えていく。
ものの数秒で、残ったのはただの肉体的な疲労だけになった。
それほど遠くない場所で、ミラ、レイズ、ヘラクレスも同じように治療を行っていた。
戦場は少しずつ、静寂を取り戻していく。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
ジャングルの奥から、遠くの自然の音だけが聞こえてくる。
ようやく、ダンテがその沈黙を破った。
「どうやら、全員まだ生きてるみたいだな」
レイズが鼻で笑った。
「かろうじてな」
彼の金色の瞳が細められる。
「あのSランクの怪物……」
獣のチャンピオンはチッと舌打ちをした。
「あんな殺し方をする奴は、見たことがない」
再び沈寂が訪れた。
誰も反論しなかった。
できるはずがなかった。
数メートル先では、ヘラクレスが自分の矛を肩に載せ、静かに座り込んでいた。
他の者とは違い、彼はライフバーを起動させてから一言も発していない。
彼の視線は、ずっと地面の一点に固定されていた。
彼の隣のスペースは、ぽっかりと空いていた。
そこには、本来ならセントーがいるはずだった。
その事実に気づき、彼は矛を握る手にぐっと力を込めた。
アシュラはそれに気づいた。
だが、何も言わなかった。
言葉を必要としない喪失もあるのだ。
やがてアシュラは身体を起こし、立ち上がった。
全員の視線が彼に集まる。
「逃げるのは、もう終わりだ」
全員が静まり返った。
アシュラの声はどこまでも冷静だった。
「俺たち一人ひとりの力じゃ、エルリックには勝てない」
彼の視線が、グループ全体を見渡した。
「だから、共に戦う」
ダンテが眉をひそめた。
「同盟か?」
「ひとまずな」
アシュラは頷いた。
「弱点を見つけるまでの間だ」
「あるいは、生き残る手段を見つけるまでのな」
すぐには誰も答えなかった。
やがて、ミラが肩をすくめた。
「一人で死ぬよりはマシね」
レイズが不敵に笑った。
「へっ。乗ったぜ」
全員の視線が、ヘラクレスへと集まった。
戦士は数秒間、沈黙を保っていた。
それから、彼はゆっくりと立ち上がった。
その表情が硬化する。
「もし、次にエルリックの野郎に会ったら……」
彼の矛を握る手が、きつく締め上げられた。
「……こいつを奴の胸にぶち込んでやる」
アシュラは深く頷いた。
それで答えとしては十分だった。
一人ずつ、自己紹介が始まった。
「アシュラ。Dランクだ」
「ダンテ。Cランク」
「ミラ・リン。Aランクよ」
「レイズ。ビーストタイプのチャンピオンだ」
「ヘラクレス」
矛の使い手は一瞬だけ言葉を濁した。
「……Aランクだ」
ダンテが両腕を伸ばしてストレッチをした。
「よし」
彼は深く息を吐き出す。
「で、計画は何だ、ボス?」
アシュラが呆れたように目を丸くした。
ヘラクレスが言った。
「レベル2の中心地だ」
レイズが即座に頷く。
「賢いな」
アシュラが彼を振り返った。
「場所が分かるのか?」
レイズがニヤリと笑った。
「獣の血が流れてると、他の奴らには嗅ぎ分けられないものが嗅ぎ取れるんだよ」
ダンテが眉をひそめた。
「方角を『匂い』で嗅ぎ分けられるのか?」
「エネルギーの匂いだよ」
レイズがジャングルのさらに奥を指差した。
「あの方角から、あり得ないほどの量が漂ってきてる」
アシュラは前方を見つめた。
中心地。
まさにエルリックが、待ち伏せていると言った場所だ。
背筋を微かな悪寒が駆け抜けた。
それでも、彼は一歩を踏み出した。
他の者たちもそれに続いた。
彼らが森の奥深くへと進むにつれ、アリーナの人工太陽はゆっくりと光を失っていった。
数時間が経過した。
ジャングルは徐々に密度を増していく。
巨大な木々がほとんどの光を遮っていた。
レイズが先頭を進む。
ヘラクレスは最後尾に位置していた。
静かに。
警戒を怠らず。
時折、彼の片手が隣の何もない空間へと彷徨いかけ、再び矛のシャフトを強く握り直していた。
アシュラはまたそれに気づいた。
やはり、何も言わなかった。
その間、ミラは退屈し始めていた。
これは危険な兆候だった。
彼女はダンテの隣へとふわりと滑り寄る。
「ずいぶん真面目な顔をしてるね」
ダンテが横目で彼女を見た。
「死にかけたばかりだからな」
「でも、まだ生きてる」
ミラが笑った。
「それだけでも価値はあるよ」
ダンテは視線を逸らした。
「お祝いは後でするさ」
ミラは近くの枝からクリスタルの果実をもぎ取った。
そして何の警告もなく、それを彼に向かって投げつけた。
ダンテはそれを受け止めた。
「……何でだ?」
「エルリックに殺される前に、お腹が空いて倒れられたら私が退屈しちゃうからね」
ダンテは彼女を見つめた。
それから、深いため息をついた。
「お前、本当に変な奴だな」
ミラがニッと笑う。
「よく言われるよ」
前方から、レイズの唸り声が聞こえた。
「お前らの声、丸聞こえだぞ」
ミラが即座に指を差した。
「嫉妬?」
レイズが言った。
「反吐が出るな」
アシュラが笑った。
今日初めて、張り詰めていた緊張が少しだけ和らいだ。
ヘラクレスの表情すら、一瞬だけ和らいだ。
だが、それはほんの一瞬のこと。
再び静寂が彼らを包み込んだ。
グループはさらにジャングルの奥深くへと進んだ。
やがて彼らは、クリスタルの果実の木に囲まれた開けた場所にたどり着いた。
ヘラクレスがその果実を一つ掴んだ。
一口、かじる。
咀嚼する。
全員が彼を凝視した。
「……で?」
ダンテが尋ねた。
ヘラクレスが肩をすくめた。
「食えるか、あるいは俺が今すぐ死ぬか、どちらかだ」
アシュラが瞬きをした。
「それがお前の戦略か?」
「これまでは上手くいってきた」
レイズが大爆笑した。
ミラも我慢できずに吹き出した。
ほんの数分間だけ、彼らは「普通」の感覚を味わっていた。
ほんの少しだけ。
だが、風向きが変わった。
その瞬間、レイズが足を止めた。
笑い声が消え失せる。
彼の獣の本能が激しく警鐘を鳴らした。
金色の瞳が鋭く細められる。
空気の匂いが違っていた。
煙。
プラーナ。
それも、膨大な量の。
レイズの笑みが完全に消え去った。
「中心地だ」
全員が表情を引き締めた。
木々の遥か向こうで――
莫大なエネルギーの奔流が、レベル2を激しく脈打たせていた。
足元の地面が微かに揺れる。
アシュラは胃のあたりが締め付けられるのを感じた。
ダンテの表情が暗くなる。
それが誰なのか、誰も尋ねる必要はなかった。
エルリックだ。
待ち受けている。
宣言通りに。
束の間の安らぎは、一瞬にして崩壊した。
鬱蒼としたジャングルを抜けると、そこは荒涼とした荒野だった。
地平線の向こうまで、巨大なクレーターが広がっている。
大地は引き裂かれ。
石は熱で融解してガラス質と化していた。
空気そのものが焦げ付いているかのようだ。
アシュラはその縁で足を止めた。
他の者たちも彼の隣に並んで立ち止まる。
レイズの獣の本能が絶叫していた。
ミラの無邪気な表情が完全に消え去る。
ダンテは無意識に、己の武器を強く握り直した。
ヘラクレスすらも、眉をひそめている。
クレーターのちょうど中心に、一人の人影が座り込んでいた。
エルリックだ。
片膝を立て、もう片方の腕をその上に無造作に乗せている。
彼の銀髪が、風に吹かれて気だるげに揺れていた。
まるで、ずっと待っていたかのように。
彼らが来ることを、最初から知っていたかのように。
ゆっくりと、彼の顔に笑みが浮かび上がった。
「遅かったな」
彼の声がクレーター全体に響き渡った。
「道にでも迷ったのかと思ったぞ」
誰も笑わなかった。
彼が放つプレッシャーだけで、息を吸い込むことすら困難だった。
まず、レイズが一歩前に出た。
彼の目が細められる。
「ここから信号が出ていたわけか」
エルリックが深く頷いた。
「当然だ」
彼は立ち上がった。
その動作はごく普通のものだった。
それなのに、クレーター全体の重力が増したかのような錯覚を覚える。
――みしみし。
彼のブーツの下から、細かなひび割れが広がっていった。
ダンテが生唾を飲み込む。
あいつはまだ、プラーナすら解放していない。
アシュラは静かに彼を見つめていた。
何かがおかしい。
いや。
最初から、エルリックには決定的な「違和感」があった。
ただ、これまではそれが何なのかを理解できていなかったのだ。
――今、この瞬間までは。
レイズが彼を指差した。
「何のために俺たちをここに呼んだ?」
エルリックは、本気で意外そうな顔をした。
「まだ理解していないのか?」
彼の視線が、一行を順番になぞっていく。
レイズ。
ミラ。
ヘラクレス。
ダンテ。
アシュラ。
薄い笑みが浮かび上がった。
「お前たちをここに呼んだのは、その『差』を証明するためだ」
沈黙。
「生き延びるということと……」
彼の目が、ナイフのように鋭く光った。
「……頂点に立つということの差をな」
空気が一変した。
アシュラが持つすべての生存本能が、最大級の危険信号を脳内に叩き込んだ。
ヘラクレスが突然、一歩前に進み出た。
矛を肩に担ぎ直す。
「おしゃべりが過ぎるぞ」
エルリックの笑みが深まった。
ヘラクレスはさらに一歩進んだ。
もう一歩。
そして――
――シュルッ。
大気を引き裂く奇妙な音が響いた。
ヘラクレスが凍りついた。
全員が、その場で硬直した。
何かが、地面に落ちる音がした。
――ゴトッ。
一本の、人間の脚だった。
ヘラクレスは呆然とそれを見つめた。
自分の右脚が、数メートル先に転がっている。
クレーターに、真っ赤な血が爆発した。
一瞬、誰も何が起きたのか理解できなかった。
次の瞬間、ヘラクレスが絶叫した。
「ぐ、あああああああッ!!」
彼は泥の中に転がり落ちた。
切断面を強く抱え込み、指の間から大量の血が溢れ出す。
ミラの顔から血の気が引いた。
ダンテがよろよろと後退する。
「今のは、一体何なんだよ!?」
エルリックはただ、冷ややかに彼を見下ろした。
「近づきすぎだ」
アシュラの目が細められる。
(近づきすぎ、だと……?)
レイズが即座にヘラクレスの身体を掴み、背後へと引きずった。
「下がるぞ!」
全員が後退する。
エルリックは追ってこなかった。
彼はただ、それを観察していた。
どこか楽しそうに。
アシュラの脳細胞が高速で回転し始める。
武器は使っていない。
動作もなかった。
目に見える攻撃の予兆すら皆無。
――なら、今のは何に斬られたんだ?
エルリックはその混乱を敏感に察知したようだ。
くつくつと、低い笑いを漏らす。
「迷い顔だな」
彼はゆっくりと、一本の指を立てた。
その指の周囲の大気が、僅かに歪んでいる。
肉眼では辛うじて視認できるかどうかという、微細な歪み。
まるで、現実そのものが薄く引き伸ばされているかのようだ。
「俺の天性のアビリティには……」
その歪みが徐々に拡大していく。
「……二つの『型』がある」
誰も喋らなかった。
ヘラクレスでさえ、痛みを堪えて沈黙していた。
エルリックの笑みは崩れない。
「一つ目は――『スリット(一閃)』」
突如として、周囲の木々が一斉に細かく切り裂かれ、爆発した。
枝が落ち、木の葉が舞い散る。
ジャングルが激しく鳴動した。
「十秒ごとに」
彼の声はどこまでも平坦だ。
「見えない斬撃を、周囲に自動で解き放つ」
アシュラは即座にその数値を脳裏に刻み込んだ。
(十秒。覚えたぞ)
エルリックは続けた。
「二つ目は――『スプリット(切断領域)』」
彼の身体の周囲の空間の歪みが、さらに濃密になっていく。
まるで見えない刃の防壁が、彼の周囲を取り囲んで守っているかのようだ。
貪欲に、獲物を待ち構えるかのように。
「『スプリット』は、俺の絶対領域に存在する」
彼の笑みが極限まで広がった。
「ここに足を踏み入れたものは……」
彼の視線が、転がっているヘラクレスの脚へと動いた。
「……何であれ、自動で切り離される」
静寂。
もはや、彼の言葉を疑う者は一人もいなかった。
アシュラはついに理解した。
あれは防御ではない。
ただの自動迎撃による「処刑」だ。
エルリックは腕を組んだ。
「これで理解できたか?」
誰も答えなかった。
理解できすぎていたからだ。
エルリックは、単にパワーが強いから無敵なのではない。
彼と戦うということ自体が、ルール無用の不条理なのだ。
黒髪の王者は、ゆっくりと肩を回した。
ボキボキと関節が鳴る音が、静まり返ったクレーターに響き渡る。
そして、彼は一歩前に踏み出した。
彼のオーラがゆっくりと身体に纏わりつく。
極限までコントロールされ、洗練された、あまりにも危険なエネルギー。
彼の視線が、一行を順番に捉えていく。
薄い笑みが浮かぶ。
「慈悲をくれてやろう」
全員が身体を強張らせた。
「『スプリット』は使わない」
だが、誰も警戒を解かなかった。
むしろ――
恐怖はさらに色濃くなっていた。
レイズが獰猛に歯を剥き出した。
「上等だ!」
――ドゴォォォンッ!!
地面が爆発した。
レイズの姿が消える。
獣のチャンピオンが、エルリックの目の前に文字通りワープした。
彼の爪が風を引き裂いて襲いかかる。
エルリックは上体を僅かに反らした。
その一撃は、数センチの差で虚空を切る。
間髪入れずに、レイズの強烈な回し蹴りが放たれた。
ドカンッ!
レイズはカウンターの衝撃で後方に吹き飛ばされた。
だが、彼は空中で器用に身を翻し、四つん這いの体勢で着地した。
彼は獰猛にニヤリと笑う。
「速いじゃねえか」
次に動いたのはダンテだった。
両手に蒼いプラーナの刃が点火される。
蒼光が彼の周囲に吹き荒れた。
彼は低く突進する。
クロスされた二つの刃が、エルリックの胸元へと肉薄した。
キィィィンッ!
激しい火花が散った。
エルリックはそれを前腕だけで受け止めていた。
そのまま、彼の鋭い肘打ちがダンテの脇腹にめり込む。
――ゴキッ。
ダンテが血を吐き出した。
それでも、彼は攻撃を止めなかった。
一撃。
二撃。
三撃。
執念の連撃。
エルリックはそのすべてを完全に躱し続けた。
――だが、最後の一撃が、僅かに届いた。
エルリックの頬に、薄い切り傷が走る。
静寂。
全員が動きを止めた。
一滴の赤い血が、ゆっくりと流れ落ちる。
初めて……。
エルリックが自分の顔に触れた。
指先を見つめ、それから低く笑った。
低く、冷酷な笑い声。
「面白い」
ミラが即座に追撃を仕掛けた。
彼女の両手から、極大の超音波パルスが放射される。
――ボォォォォォンッ!!
衝撃波がクレーターの表面を剥ぎ取りながら突き進む。
土煙が爆発的に舞い上がった。
エルリックは衝撃に耐えながら、数メートル後退した。
この戦いで初めて、彼が「押し込まれた」瞬間だった。
「今だッ!!」
ヘラクレスが絶叫した。
彼は傷の痛みを完全に無視し、矛に金色のプラーナを爆発的に収束させた。
その矛が振り下ろされる。
――ドゴォォォォンッ!!
クレーターの大地が真っ二つに裂けた。
アシュラがそれに続いた。
上空から、完全にタイミングを合わせた奇襲を仕掛ける。
エルリックが頭上を見上げた。
そして、微笑んだ。
あまりにも冷静に。
あまりにも余裕を崩さずに。
彼の右手が電光石火の速さで伸び。
アシュラの脚を、難なく掴み取った。
「何っ……!?」
アシュラの目が見開かれる。
ズドォォンッ!
エルリックはアシュラの身体を、そのままヘラクレスに向かって叩きつけた。
二人の身体は、クレーターの壁を突き破って瓦礫の山に埋もれた。
エルリックは肩についた砂埃を軽く払った。
未だに笑みを絶やさず。
リラックスしたまま。
圧倒的な優位を保ち続けている。
レイズが再び突撃した。
ダンテが続く。
ミラが後方から全力でカヴァーに入る。
戦場が再び大爆発した。
爪。
刃。
音波。
プラーナ。
そして衝撃波。
組み合わされた同時攻撃が、クレーターそのものを消し去らんばかりに荒れ狂う。
そして初めて――
エルリックが、本気で「動き」始めた。
守るだけでなく。
その場に留まるだけでなく。
能動的に動き始めたのだ。
彼の身体は、あらゆる攻撃を水のように受け流していく。
すべての回避が完璧であり。
すべてのカウンターが致命傷となる。
エルリックの鋭い肘打ちがレイズの突進力を粉砕し。
回し蹴りがダンテを弾き飛ばし。
掌打がミラの音波の壁を容易く霧散させた。
彼は四人の実力者を同時に相手にしながら。
――未だに笑っていた。
アシュラは瓦礫の中からそれを見つめていた。
荒い呼吸を繰り返しながら。
思考を巡らせる。
(十秒だ)
(『スリット』は、きっちり十秒ごとに自動発動する)
(九秒でもなく、十一秒でもない。ジャスト十秒)
彼の目が鋭く細められた。
(もう一度だ。十秒)
(必ずパターンがある。リズムがある)
(弱点は……どこかに必ず存在する)
もし生き残りたいのであれば。
エルリックがこの「お遊び」に飽きて、全員を殺しにかかる前に、その弱点を暴かなければならない。
戦場の中心で――
エルリックの笑みが、さらに深く、獰猛に広がった。
彼のオーラが爆発的に膨れ上がる。
クレーターが激しく揺れ動き、空が急速に暗転していった。
この戦闘が始まって以来初めて――
その捕食者の瞳に、本物の「歓喜」が宿っていた。
「ようやく……」
見えない圧力が、さらに重さを増していく。
「……面白くなってきたな」
一筋の赤い血が、エルリックの頬を伝い落ちる。
一瞬の間、彼は自分の指先に付着したその赤い汚れを、ただじっと見つめていた。
そして……。
彼は微笑んだ。
「……やってくれたな」
低く不気味な鳴動が、クレーター全体に広がった。
地面が震える。
クモの巣のような細い亀裂が地表を走り、転がっていた小石がふわりと宙に浮き始めた。大気そのものが物理的な重みを持って、生存者たちの肩にのしかかる。
本能が、同じ警鐘を最大音量で鳴らしていた。
――死ぬぞ。
レイズの獣の本能が、限界を超えて絶叫した。
彼の瞳孔が、獣の縦スリットへと収縮する。
「全員ッ!」
彼の怒声が戦場に響き渡る。
「身構えろ!!」
だが、その警告すらも、一瞬だけ遅すぎた。
エルリックの姿が、かき消えるように消えた。
土煙に隠れたわけではない。
速すぎて見えなくなったわけでもない。
彼は文字通り、その場所から「消失」したのだ。
レイズの目が見開かれた。
次の瞬間、彼の腹部に、骨を砕くほどの衝撃が突き刺さる。
――ドゴォォォォンッ!!
エルリックの膝蹴りが、レイズの身体を文字通り二つ折りにした。
肺からすべての空気が強制的に絞り出され、彼の足が地面から浮き上がる。
重力が彼の身体を地面に落とすよりも早く――
エルリックが再び消えた。
彼は遥か上空に再出現していた。
彼の脚が、ギロチンの刃のように容赦なく振り下ろされる。
――バゴォォォォンッ!!
レイズの身体が、クレーターの底へと叩きつけられた。
岩盤が丸ごと爆発し。
彼の身体の形に、新たな穴が削り取られた。
「クソったれがァッ!」
ダンテの両腕に、蒼いプラーナが爆発的に吹き荒れた。
両手に二本のプラーナブレードを生成し、彼は一切の躊躇なく突撃した。
体勢を低く保ち、弾丸のような速度で距離を詰める。
蒼く輝く二つの刃が、エルリックの首元で交差した。
――キィィィンッ!
激しい火花が飛び散る。
エルリックは、自分の両前腕だけでその二つの刃を完全に受け止めていた。
視線を向けることすらなく――
彼は手の甲を鋭く振り抜いた。
――ドカッ!
その一撃が、ダンテの顎を正確に砕いた。
ダンテの身体は空中で激しくきりもみ回転し、へし折れた岩の山へと突っ込んでいった。
「下がって!」
ミラが両の手のひらを前方へと突き出した。
彼女の周囲のプラーナが、狂ったように波打つ。
「サウンド・バースト――」
「――ツイン・リバーブ(二重反響)!!」
二つの、超圧縮された音波の爆弾が彼女の手から放たれた。
その爆発は、エルリックの存在を完全に飲み込んだ。
大地が激しく揺動する。
土煙と瓦礫が、何百フィートもの高さまで舞い上がった。
後に残されたのは、深い沈黙。
そして……。
足音。
ゆっくりと。
一定の歩幅で。
まるで散歩でもしているかのように。
煙の向こうから、一つの影が歩み出てきた。
エルリックだ。
彼の身体には、傷一つついていなかった。
先ほどと同じ、薄い笑みがその顔に張り付いている。
「いいリズムだ」
彼は首を少しだけ傾げた。
「だが……」
「……テンポがズレている」
彼の指先が、退屈そうに軽く払われた。
「――『スリット』」
何も起きなかった。
――そう見えたのは、一瞬だけだった。
次の瞬間、戦場全体が大爆発したかのように弾けた。
見えない無数の刃が、クレーターの至る所を容赦なく切り裂いたのだ。
木々が倒れ。
岩が両断され。
地面は無数のカミソリほどの細い溝に細分化された。
ミラは直感的に身体を捻って回避行動を取った。
だが、遅すぎた。
彼女の脇腹に、真っ赤な切り傷が開いた。
鮮血が虚空に舞う。
「くっ……!」
ヘラクレスは直感的に矛を盾代わりに掲げた。
見えない斬撃が、その武器に激突する。
――キィィィンッ!
エンチャントされた彼の矛が、悲鳴を上げた。
見えない刃は、シャフトの半分まで食い込んだところでようやく停止した。
ヘラクレスは信じられないという目でそれを見つめた。
彼の手が怒りに震える。
「……お前は、一体何なんだ?」
エルリックは低く笑った。
静かに。
愉快そうに。
その声は、無力な獲物たちの間を悠然と練り歩く捕食者のそれだった。
そこへ――。
一人の男が、前に進み出た。
アシュラだ。
彼の金色の瞳は、真っ直ぐにエルリックを射抜いていた。
冷静に。
集中を極めて。
「ダンテ」
「ミラ」
彼の声は、囁き声ほどの音量だった。
「伏せろ」
二人は何も問い詰めることなく、即座にその場に伏せた。
アシュラは両の手のひらを合わせた。
極大の、神聖なプラーナが彼を中心に大爆発を起こす。
周囲の空気が激しく歪み。
土煙が竜巻のように立ち上った。
彼の両手の隙間に、小さな、真紅の球体が生成される。
サイズはビー玉ほど。
だが、そこから放たれる圧倒的な質量に、クレーター全体が悲鳴を上げて軋み始めた。
エルリックの笑みが、さらに深く広がった。
「ほう?」
彼の瞳に、本物の「好奇心」が宿る。
「次は何を見せてくれるんだ?」
アシュラは奥歯を噛み締めた。
あまりの負荷に、彼の筋肉が引き千切れんばかりに震えている。
小さな球体が、ゆっくりと拡大していく。
その周囲の空間がぐにゃりと不自然に歪んだ。
重力そのものが、その赤い球体に向かって内側へと収縮していく。
「――『コラプシング・スター(崩壊する星)』!!」
彼は両手を前方へと突き出した。
球体が、エルリックに向かって射出される。
一瞬の間。
何も起きなかった。
次の瞬間、世界が内側へと折りたたまれた。
大気が崩壊するように収縮する。
周囲の巨大な岩が地面から引き剥がされ。
何百年も佇んでいた大木が、雑草のように根こそぎ吸い寄せられていく。
周囲のすべての物質が、凄まじい引力でその真紅の球体へと吸い込まれていくのだ。
あのエルリックのブーツでさえ、地面の岩を深く削りながら、引きずられていく。
初めて……。
彼の身体が、本人の意志に反して動かされていた。
彼の表情が、ほんの僅かに変わる。
「面白い」
超圧縮された重力場が、その臨界点に達した。
そして――。
――ドゴォォォォォォォォンッ!!!
大爆発が、すべてを飲み込んだ。
光が戦場を完全に支配する。
その衝撃波は、何マイルも離れた場所にまで到達した。
岩は蒸発し。
木々は消滅し。
上空の雲さえも、その凄まじい風圧で真っ二つに引き裂かれた。
……。
深い、静寂。
漂う土煙だけが残された。
ミラがゆっくりと腕を下げた。
彼女の呼吸は完全に上がっている。
「や、やったの……?」
「……倒したの?」
レイズが、破壊されたクレーターの底から這い上がってきた。
彼の口の端からは血が流れていた。
だが、彼の獣の本能は、未だに最大音量で警鐘を鳴らし続けていた。
彼の視線は、煙の向こうから一瞬たりとも逸れない。
「……いや」
彼の声は低かった。
「油断するな」
風が吹き、土煙が少しずつ晴れていく。
その中心に、一人の男が立っていた。
エルリックだ。
彼のシャツはボロボロの細切れになり。
彼の左脇腹には、深い傷跡が刻まれていた。
そこから、真っ赤な血が彼の腰に向かって絶え間なく流れ落ちている。
彼はその傷を見下ろした。
指で触れ、その血を見つめる。
そして、笑った。
「……今のは、本当に痛かったぞ」
彼の瞳から、温度が完全に消失した。
親しみも。
好奇心も。
すべてが消え失せた。
そこに残されたのは、冷徹な「捕食者」の眼光だけだった。
彼はアシュラを正面から見据えた。
「今度は……」
彼の声は、不気味なほどに静かだった。
「……俺の番だ」
彼は消えた。
戦場が、一瞬にして地獄と化した。
レイズは辛うじて防御の体勢を取ったが、遅すぎた。
エルリックの拳が、彼の胸部に深く突き刺さる。
――ドガァンッ!!
その衝撃だけで、レイズの身体は巨大な岩を突き抜けて遥か彼方へと吹き飛んだ。
背後の岩が粉々に粉砕される。
「ダンテ!」
ダンテの足元に、蒼い稲妻が爆発した。
彼は再び突撃する。
二本のプラーナブレードが、左右からエルリックを挟み撃ちにするように閃いた。
エルリックは、ただ一振りのキックでそれに応えた。
――バキィィンッ!!
二本のブレードが、ガラスのように同時に粉砕された。
破片が宙に舞い散る中、ダンテの身体は戦場の端まで蹴り飛ばされた。
ミラが背後から急襲を仕掛けた。
もう一度、極大の音波がエルリックに向けて放たれる。
だが、それは彼に届くことすらなかった。
エルリックは、すでに彼女の目の前に立っていた。
二人の額が、激しく衝突する。
――ゴッ!
音波の防壁が瞬時に崩壊した。
ミラの身体は宙を舞い、巨大な大木に激突してそのまま意識を失った。
「オオオオオオッ!!」
ヘラクレスを覆う金色のプラーナが爆発した。
彼の矛が、目も眩むような黄金の光を放つ。
彼は咆哮を上げながら突撃した。
エルリックはその矛を、ただ片手で受け止めた。
そして、捻る。
武器は彼の腕力に抗えなかった。
矛のシャフトが激しく回転し、そのままヘラクレスの負傷した脚を容赦なく強打した。
――メキッ。
嫌な骨折音がクレーターに響き渡る。
ヘラクレスは悲鳴を上げながら、その場に崩れ落ちた。
アシュラはすでに、二発目の『コラプシング・スター』を形成し始めていた。
だが、その球体はまだ形を成したばかり。
「……遅すぎる」
耳元で、冷ややかな囁きが聞こえた。
アシュラのアシュラの目が見開かれる。
エルリックは、すでに彼の背後に立っていた。
彼の鋭い肘打ちが、アシュラの脊椎に深く突き刺さる。
――グシャッ!!
神聖なプラーナが四散し、赤い球体は霧散した。
アシュラは力なく片膝を突いた。
一人、また一人と。
すべてのチャンピオンたちが、地面に沈んでいく。
戦場は、再びエルリックだけのものとなった。
彼の脇腹の傷からは、今も血が滴り落ちている。
彼の呼吸も、僅かに荒くなっていた。
だが……。
彼の表情には、微塵の動揺もなかった。
「……楽しかったぞ」
彼は、クレーターに転がっている満身創痍の挑戦者たちを見渡した。
「だが……」
彼は、退屈そうに小さくため息を吐いた。
「……やはり、期待外れだ」
冷たい風が、荒廃したクレーターを吹き抜けていく。
見えない『スリット』の残滓が、空気の中にゆっくりと溶けて消えていった。
その時……。
静寂を引き裂いて、乾いた笑い声が響いた。
弱々しく。
苦痛に満ちた。
だが、確かな意志を持った笑い声。
エルリックが、ゆっくりと振り返る。
「……まだ、立つか」
数メートル先で……。
ダンテが、よろよろと片膝を突いて立ち上がろうとしていた。
彼の身体には、数十箇所もの切り傷が刻まれており。
衣服は完全に血で染まっていた。
それなのに……。
彼は、笑っていた。
「お前……」
彼は激しく咳き込んだ。
「……お前の力じゃ、まだ俺を殺しきれねえよ」
彼の脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。
――シロ。
あの圧倒的な敗北。
あの耐え難い重圧。
あの絶望。
彼は、そのすべてを生き延びてここまで来たのだ。
こんな場所で、終わるわけにはいかない。
彼の身体の周囲に、再び青い稲妻が激しくパチパチと音を立て始めた。
呼吸が劇的に安定していく。
彼の瞳が、ゆっくりと開かれる。
そこには、一切のブレのない、強固な決意が宿っていた。
「限界を、超えてやる……」
青い稲妻が、彼の周囲で爆発的に膨れ上がった。
「お前を……絶対にぶっ潰す……!」
彼の怒声が、荒れ果てたクレーターに響き渡る。
「――エルリックッ!!」
大気が、震動した。
戦闘が始まって以来、初めて――
エルリックの笑みが、純粋な「歓喜」と「期待」によって、さらに大きく広がった。




