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痛みなし   作者: EXTRO
PR
22/28

獲物の居場所はない

ジャングルが静まり返った。

戦場には、へし折られた木々が散乱している。

アシュラの右腕は、プラーナ・バーストの反動で激しく震えていた。

その肌からは、細い煙が立ち上っている。

その隣で、ダンテはかろうじて立ち上がっていた。

開けた場所の向こうで、瓦礫が動いた。

レイズが姿を現す。

口の端から、血が滴り落ちていた。

だが、彼は笑っていた。

ハンターは肩を回し、首を鳴らした。

「驚かせてくれるな」

彼のオーラが、再び急上昇する。

足元の地面が、クモの巣状にひび割れた。

アシュラの表情がこわばる。

(クソッ……まだこれほどの余力があるのか)

レイズが一歩、踏み出す。

さらにもう一歩。

その足取りは、一歩ごとに重みを増していく。

ダンテが、自嘲気味に笑い声を絞り出した。

「ああ……死んだな、こりゃ」

アシュラが突然、片手を挙げた。

「待て」

レイズが足を止める。

ジャングルは、再び深い静寂に包まれた。

木の葉のこすれ合う音だけが、耳に届く。

ハンターは退屈そうに首を傾げた。

「命乞いか?」

アシュラが片膝を突いた。

彼の肉体は、すでに限界を迎えていた。

「命乞いをするつもりなら……もっと早くやっている」

レイズの目が細められる。

アシュラはゆっくりと息を吐き出した。

「俺たちは戦いを望んでいたわけじゃない」

レイズが鼻で笑った。

「負けた奴はみんなそう言う」

「負けてはいない」

即答だった。

レイズが瞬きをする。

ダンテが思わず吹き出した。

アシュラは言葉を続けた。

「あんたが仕掛けてきて、俺たちは応戦した。そして今、俺たちの誰もこれ以上戦える状態じゃない」

数秒間、誰も沈黙を破らなかった。

風が木々の間を吹き抜けていく。

レイズは二人を注意深く観察した。

言葉ではなく、その呼吸を。

姿勢を。

鼓動を。

嘘はない。

隠された殺気もない。

あるのはただ、極限の疲弊だけだ。

ハンターの顔に、ゆっくりと笑みが戻ってくる。

「面白い」

彼はアシュラの前で屈み込んだ。

金色の瞳と、深紅の瞳が至近距離で交差する。

「名前は?」

「アシュラだ」

レイズが視線を動かした。

「お前は?」

「ダンテ」

ハンターは深く頷いた。

「アシュラ……ダンテか」

彼の笑みが、さらに大きく広がった。

「そうか。お前らがあちこちのランキングを荒らしまわっているバカどもか」

二人の身体が凍りついた。

レイズがくつくつと喉を鳴らして笑う。

「そんな驚いた顔をするな」

彼は、ジャングルの天蓋の上に浮かび上がっているホログラフィックのボードを指差した。

「Dランクの分際でトップ5に入りやがって。目立たないわけがないだろう」

アシュラの目が見開かれた。

レイズが立ち上がった。

戦闘が始まって以来初めて、彼の周囲のプレッシャーが霧散していく。

「俺の名はレイズだ」

ダンテが眉をひそめた。

「待て……」

彼の目が細くなる。

「レイズ? あのランキングにいるレイズか?」

ハンターの顔に、獰猛な笑みが広がった。

「他にあるかよ」

ダンテが深くうめき声を漏らした。

「勘弁してくれ。またトップ5の怪物に半殺しにされたってわけか」

レイズが大声で笑った。

その豪快な声が森に響き渡る。

「なら運が良かったと思え」

彼の爪が完全に引っ込んだ。

殺気が消え去る。

――少なくとも、今は。

アシュラがゆっくりと立ち上がった。

「もう攻撃してこないのか?」

レイズはジャングルの奥深くへと視線を向けた。

彼の獣のような感覚が、戦場を遥かに超えた領域を捉えている。

何かが動いている。

とてつもなく強い何かが。

彼の笑みが消えた。

「このトーナメントには、俺よりデカい怪物がいるんでな」

アシュラとダンテは顔を見合わせた。

瞬時に、あの男――エルリックの顔が頭に浮かぶ。

レイズが背を向けた。

「死ぬなよ」

そして、彼は一瞬だけ足を止めた。

振り返ることなく、彼は言葉を付け加える。

「このトーナメントを本気で生き残りたいなら……」

彼の目が鋭く光った。

「強くなれ」

ダンテはレイズの背中を見つめ、そのまま地面にへたり込んだ。

「……クソったれなトーナメントだぜ」

アシュラは思わず笑ってしまった。

レベル2に入って以来初めて、二人は自分たちが「獲物」ではないと感じていた。

レイズが腕を組んだ。

「お前ら、レベル1から降りてきたんだろ?」

アシュラが頷く。

ダンテが地面に血を吐き捨てた。

「ああ」

レイズが眉をひそめる。

「上で何があった?」

アシュラの表情が暗くなった。

「逃げてきたんだ」

その答えに、レイズは驚いたように眉を上げた。

「逃げただと?」

「ある男からな」

一瞬、アシュラもダンテも口を閉ざした。

そして、アシュラがついにその名を口にした。

「エルリック」

空気が一瞬にして変わった。

風さえも吹くのを躊躇っているかのようだ。

レイズがチッと舌打ちをした。

「その名前、見たことがあるな」

彼の視線が、ジャングルの上空に浮かぶ遠くのランキングボードへと向かう。

【1位:エルリック(Sランク)】

ハンターが不敵に笑う。

「こんなに早くお目にかかれるとは思わなかったぜ」

ボキボキと指の骨が鳴る。

「ここに来るなら、俺が直々に相手をしてやる」

だが、微かな「音」が彼の言葉を遮った。

全員が凍りつく。

奇妙な、不快な音だ。

まるでガラスを金属で引っ掻くような。

無数の刃が、一斉に囁き合っているかのような。

アシュラの直感が絶叫する。

(危険だ!)

ジャングルが小刻みに震えだした。

そして、突如として――

――シュルルルッ!

何十本もの木々の幹に、一本の「線」が走った。

次の瞬間、木々の上半分が静かにズレ落ち、森が崩壊した。

レイズが瞬時に動く。

しかし、彼の腕から血が噴き出した。

肩から手首にかけて、深い斬り傷が走っている。

彼の目が見開かれた。

攻撃の軌道すら見えなかった。

霧の向こうから、足音が響いてくる。

ゆっくりと。

一定のテンポで。

焦る様子もなく。

一人の男が姿を現した。

金色の瞳。

冷徹な表情。

風に静かに揺れる黒髪。

――エルリック。

誰も声を出せなかった。

彼が放つ圧倒的なプレッシャーだけで、息をすることすら困難だった。

エルリックは戦場を見渡した。

へし折られた木々、クレーター、そして飛び散った血痕に視線が留まる。

それから、彼はレイズを見た。

「騒がしいな」

その声は、酷く冷静で、退屈そうだった。

レイズが歯を剥き出して笑う。

「お前がエルリックか」

返答はない。

エルリックはただ、歩みを進めるだけだ。

その完全な無視は、どんな罵倒よりもレイズを苛立たせた。

彼の周囲に、深紅のエナジーが爆発的に吹き荒れる。

ジャングルが激しく揺れた。

「肯定と受け取るぜ!」

――ドドンッ!

ハンターの姿が消えた。

足元の地面が爆発する。

アシュラの目では、その動きを追いきれなかった。

さっきまで隣にいたレイズが、次の瞬間には――

エルリックの目の前に肉薄していた。

彼の拳が突き出される。

しかし、次の瞬間に血が噴き出した。

レイズが絶叫する。

彼の腕が宙を舞った。

根元から綺麗に切断されている。

アシュラは硬直し、ダンテの目が見開かれた。

何が起きたのか、誰の目にも見えなかった。

斬られた本人であるレイズにすら。

ハンターはよろよろと後退した。

その顔は困惑に歪んでいる。

「何が……ッ」

失われた彼の腕が、瞬時に再生していく。

新しい肉、骨、そして鋭い爪が。

彼の笑みが戻る。

しかし、今度の笑みは明らかに無理やり作られたものだった。

「面白いじゃねえか……!」

レイズのオーラが再び爆発した。

彼の『野生の本能ビースト・インスティンクト』が限界を突破する。

ハンターは突撃した。

何度も。

何度も。

何度も。

衝撃波がジャングルを切り裂く。

木々が倒れ、大地が割れた。

しかし、激突の結末はすべて同じだった。

増えていく血。

増えていく傷。

増えていく裂傷。

エルリックは動いていない。

ただの一歩も。

その事実に、アシュラは恐怖で身震いした。

(あいつはただ立っているだけだ……なのに、なぜレイズが一方的にやられている!?)

数メートル先に着地したレイズの呼吸は、すでに荒れ狂っていた。

半身が血に染まっている。

初めて――

あのハンターの顔に「焦り」が浮かんでいた。

エルリックは無表情に彼を見つめる。

「終わりか?」

その一言は、どんな攻撃よりも重く響いた。

レイズが咆哮した。

残された全ての力を外へと爆発させる。

捨て身の突撃が、足元の地面を完全に粉砕した。

一瞬にして距離がゼロになる。

しかし、彼の体が「何か」を越えた瞬間――

――ブシャッ!

血飛沫が舞った。

彼の肩が吹き飛び、脇腹の一部が削ぎ落とされ、肋骨が露出する。

突撃の勢いは完全に削がれ、レイズは泥の中に激しく叩きつけられた。

静寂。

ハンターは立ち上がろうとするが、崩れ落ちた。

もう一度試みるも、やはり動けない。

エルリックは、まるで道端の枯れ枝でも避けるように、彼の横を通り過ぎた。

「いい本能を持っている」

声はどこまでも冷ややかだ。

「だが、本能だけでは届かない」

レイズは拳を強く握りしめた。

出会って以来初めて――

彼は笑えなかった。

そして、エルリックの視線が動いた。

アシュラへ。

ダンテへ。

二人の身体が凍りつく。

背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。

エルリックが薄く微笑む。

「見つけたぞ」

アシュラの心臓が跳ね上がった。

ダンテが悪態をつく。

何の予兆もなく――

――シュババババッ!

ジャングルが爆発した。

不可視の力が森を蹂躙する。

木々は木っ端微塵になり、巨石は砕け散り、大地が引き裂かれた。

「走れ!!」

アシュラが叫び、一歩を踏み出した。

ダンテもそれに続く。

二人は背を向けて全力で走り出した。

彼らの背後で、森が「死んで」いく。

ジャングルの区画が丸ごと消滅していく。

見えない斬撃が、進路上にあるすべてのものを削り取っていくのだ。

ダンテの肩を斬撃がかすめ、血が吹き飛ぶ。

別の一撃がアシュラの足元の地面を消し去った。

二人とも、後ろを振り返る度胸はなかった。

言われずとも分かっていたからだ。

エルリックは追ってきていない。

彼はただ、歩いているだけだ。一歩、また一歩と。

そして……その事実こそが、何よりも恐ろしかった。

「止まるな! 走り続けろ!」

アシュラが叫ぶ。

ダンテが頷く。彼の腕から血が滴る。

「クソっ、こんなの戦闘じゃねえ!」

またしても不可視の攻撃が炸裂した。

二人の間の地面が爆発し、瞬時に巨大な亀裂キャニオンが形成される。

アシュラは急ブレーキをかけた。

「ダンテ!」

「生きてる!」

立ち込める土煙のせいで、お互いの姿が辛うじて見える程度だ。

そこへ、エルリックの声がジャングルに響き渡った。

静かで、絶対的で、逃れられない死の宣告。

「隠れても無駄だ」

アシュラの全身が冷たくなった。

すぐ近くにある、山のように巨大な岩が真っ二つに裂けた。

触れられることもなく。

予兆もなく。

力を込める様子すらなく。

「お前たちを見つけた瞬間から……」

森が激しく鳴動する。

「……すでに死んでいるのだから」

不可視の刃の嵐が、再び二人に降り注ぐ。

アシュラの全身が悲鳴を上げた。

ダンテは立っているのがやっとだ。

前方では、エルリックが微動だにせず佇んでいる。

片手はポケットに突っ込まれ、もう片方の手はだらりと下げられたまま。

まるで、彼らを狩ることに何の労力も必要としていないかのように。

彼の金色の瞳が細められ、ジャングルが震えた。

次の瞬間、大気が引き裂かれた。

――キィィィィンッ!

アシュラは身体を硬直させ、ダンテは奥歯を噛み締めた。

「死」が迫る。

――ドコォォォォンッ!!

凄まじい衝撃波が戦場に炸裂した。

迫り来る不可視の斬撃がことごとく粉砕される。

木々は根こそぎ吹き飛び、地面が内側へと陥没した。

アシュラとダンテは衝撃で吹き飛ばされ、耳から血を流しながら地面を転がった。

ジャングル全体が、まるで巨大な鐘を叩いたかのように激しく共鳴している。

初めて……。

エルリックの眉が不快そうにひそめられた。

彼の耳から、一条の血が伝い落ちる。

アシュラは息を呑んだ。

誰かが、あの怪物に傷を負わせたのだ。

彼らの頭上、へし折れた大木の上に、一人の少女が立っていた。

紫色の髪が風に舞う。

耳元には、半分壊れたヘッドセット。

その唇には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。

――ミラ・リン。

彼女は枝から一歩踏み出した。

重力を無視するようにゆっくりと落下し、ひび割れた大地に軽々と着地する。

「あんたたち、うるさいよ」

彼女の声は奇妙に反響していた。

言葉を発するたびに、周囲の大気が小刻みに振動する。

「レベルの反対側まで、戦う音が丸聞こえだったんだから」

ダンテは呆然と見つめた。

また別の参戦者プレイヤーか。

最高だな。

今一番いらない存在だ。

エルリックは耳の血を指先で拭った。

その視線は、真っ直ぐにミラへと向けられている。

「お前がやったのか?」

ミラがニッと笑う。

「まだ耳は聞こえてるみたいだね」

静寂。

そして、エルリックが笑った。

いつもの、人を舐めたような笑みではない。

退屈を紛らわすための笑みでもない。

「本気」の笑みだ。

捕食者が、ついに面白い獲物を見つけた時に見せる、狂気染みた笑み。

ジャングルが震動する。

アシュラの背中を、冷たい汗が流れ落ちた。

何かが、決定的に変わってしまった。

エルリックが一歩、前に踏み出す。

次の瞬間、彼の姿が完全に消失した。

――ドガァンッ!

地面が爆発する。

ミラの目が見開かれた。

彼女は瞬時に両腕を交差させたが――

――遅すぎた。

ガードの上から拳が叩き込まれる。

その衝撃だけで、周囲の木々がドミノ倒しのように吹き飛んだ。

弾き飛ばされるミラ。

エルリックは一瞬でその背後を追う。

二撃目。爆発。

三撃目。新たなクレーター。

彼はスキルや技術アーツを使っていない。

ただの、純粋な身体能力による暴力。

それなのに、一撃一撃が文字通り天変地異の重さを持っていた。

ミラは空中で身を翻した。

彼女の全身から、強力な波動が放たれる。

――ボォォォォンッ!

圧縮された音波の壁が、前方に展開された。

エルリックの突進が、ほんの僅かに減速する。

しかし、彼は地面に力強く足を踏み込み、大地を砕きながら――

さらに加速した。

より速く、より容赦なく。

ミラの目が鋭くなる。

彼女の周囲に、超振動する音波の鎖が生成された。

それらが槍のように前方へ射出される。

ジャングルに、金属が擦れ合うような不快な絶叫が響き渡った。

――ギィィィィンッ!

初めて、エルリックが防御の体勢を取った。

音波の鎖が彼の腕に絡みつく。

凄まじい振動が、彼の防壁を突破して肌を切り裂いた。

戦場に血が飛び散る。

アシュラの目が見開かれた。

(あいつに、本当にダメージが通っている……!)

エルリックは自分の腕の傷を見つめ、そして、笑った。

低く、獰猛な笑い声だ。

彼の周囲を覆う金色のオーラが、一層その輝きを増す。

放たれるプレッシャーが倍加した。

周囲の木々が自重に耐えかねてへし折れ、大地が細かく裂けていく。

呼吸をすることすら困難なほどの重圧。

アシュラは耐えきれずに片膝を突き、ダンテが毒づいた。

ミラの表情から、徐々に笑みが消えていく。

彼女もようやく理解したのだ。

エルリックは、これまで全く本気を出していなかった。

今までの攻防はすべて――

ただの準備運動に過ぎなかったのだと。

次の瞬間、彼の姿が消えた。

ミラですら彼の動向を見失う。

背筋を戦慄が駆け抜けた。

(上――ッ!?)

見上げる。

しかし、手遅れだった。

エルリックの膝が、ミラの腹部に容赦なくめり込んだ。

――ドコォォォンッ!

衝撃波が、二人の下にあるすべての物質を平らにならす。

ミラの口から、鮮血が吐き出された。

彼女が体勢を立て直すよりも早く――

蹴り。

拳。

そして、さらなる追撃。

一撃が終わる前に、次の猛撃が彼女の身体を破壊していく。

空、地面、木々。

すべての景色が高速で混ざり合う。

ミラはただ一方的に、圧倒されていた。

アシュラはそれを見つめることしかできなかった。

彼の拳がぎりりと握りしめられる。

これはもう、戦闘ではない。

ただの「蹂躙」だ。

何十本もの木々をなぎ倒しながら吹き飛ばされ、ミラはようやく動きを止めた。

ジャングルに静寂が戻る。

立ち上る煙が、静かに辺りを満たしていく。

ゆっくりと……。

ミラが立ち上がった。

口元から血を流し、両腕は小刻みに震えている。

それでも、彼女は不敵に笑っていた。

「これが……Sランクの力、ね……っ」

数メートル先に着地したエルリック。

呼吸一つ乱れておらず、傷一つ残っていない。

その金色の瞳が、無感情に彼女を射抜く。

彼の周囲の大気が、不気味に歪み始めた。

足元の地面に、不可視の「切り傷」が刻まれ始める。

一つ。

二つ。

十。

そして、数百。

それはまるで、今まさに解き放たれようとしている「刃の嵐」のようだった。

今度こそ――

捕食者は、遊びを終えるつもりのようだ。


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