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痛みなし   作者: EXTRO
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17/25

限界を破る

大分市に、どんよりとした灰色の雲から朝の光が差し込む。

昨夜からの雨は冷たい霧へと変わり、街の外れに広がる廃線となった線路の上に漂っていた。ひび割れた線路の間で野生の草が静かに揺れ、忘れ去られたその場所を静寂が支配している。

仮面の使者が姿を消してから、すでに数時間が経過していた。

だが、彼が残していった重圧は、今なおそこに留まり続けている。

阿修羅アシュラは錆びついた鉄骨にもたれかかり、遠くを見つめながら目を半開きにしていた。

どれほど休もうとしても、あの圧倒的なオーラの記憶が頭から離れない。

近くでは、ダンテが痛む肩を伸ばし、苛立ったようなため息を漏らした。

「一晩中ここにいたってのに、一秒も眠れやしねえ」

彼は自分の胸をさすった。

「あの野郎のエネルギーが、まだ俺を押し潰してやがる」

阿修羅は静かに頷いた。

「目を閉じるたびに……あいつがまだ俺たちを見張っているような気がするんだ」

ダンテは舌打ちをした。

「ああいう奴は反吐が出る」

「使者だなんて言いやがるが、歩く災害の間違いだろ」

阿修羅は沈黙を守った。

彼の思考は、昨日告げられた言葉へと戻っていく。

『皇帝のゲーム』。

一体どんなゲームなら、あの仮面の男のような化け物が必要になるのだろうか。

どんな人間が、これほどのシステムを支配しているのだろうか。

答えは出ない。

代わりに――

朝霧の向こうから、足音が響き渡った。

遅く。

一定の。

意図的な足取り。

二人は瞬時に立ち上がった。

全身の筋肉が緊張する。

ダンテが目を細めた。

「戻ってきやがった」

霧がゆっくりと割れる。

黒い外套クロークを風にそよがせ、烏の仮面の男が再び姿を現した。

押し潰されるような圧迫感が戻ってくる。

昨日ほど暴力的ではない。

だが、空気そのものを重く変えるには十分すぎるほどだった。

彼は数メートル先で足を止め、二人を見据えた。

「予想以上に回復が早いな」

「まだ地面に転がっているかと思ったぞ」

彼の声は冷静なままだった。

どこか、面白がっているようでもある。

「いいだろう」

「ならば、話を聞く準備はできているな」

圧迫感がわずかに和らぎ、阿修羅とダンテは再び息を吹き返した。

仮面の男は腕を組んだ。

「阿修羅」

「ダンテ」

「皇帝は、すべてのSS級およびSSS級のチャンピオンに対し、これから訪れる事態を生き延びるに値する三名の代表者を推薦せよと命じた」

彼の視線が、二人の逃亡者に向けられる。

「お前たちは選ばれたのだ」

「武蔵野での事件が、私のあるじの目に留まった」

阿修羅は眉をひそめた。

「あんたの主ってのは、一体誰なんだ?」

仮面の男は、別の問いで返した。

「ガジールという名に聞き覚えがあるはずだ」

ダンテの表情が険しくなる。

「あの吸収能力の化け物か?」

「あいつが俺たちを推薦したって言うのか?」

仮面の奥から、かすかな含み笑いが漏れた。

「いや」

「ガジールは、推薦した御方に仕えているに過ぎん」

沈黙が流れた。

阿修羅はダンテと視線を交わし、それから口を開いた。

「……そのゲームってのは、一体何なんだ?」

使者は頷いた。

もっともな疑問だ」

「『皇帝のゲーム』とは、アースレルム(地球界)において、最も潜在能力の高い戦士たちを集めるために存在する」

「生き残るのは、最強の二十名のチャンピオンのみだ」

彼は遠くの地平線へと目を向けた。

「皇帝は、間もなく別のレルム(世界)が我がレルムへと侵攻してくると確信している」

ダンテは腕を組んだ。

「つまり、戦争の準備ってわけか」

「勝者が兵士になるんだな」

仮面の男は頷いた。

「その通りだ」

「だが、それだけではない」

「戦うごとに、お前たちの賞金バウンティは跳ね上がる」

「名声も、価値もな」

「そして、チャンピオンを倒すたびに、次のランクへと近づくことになる」

阿修羅の表情が冷徹に変わる。

「倒す……」

「殺す、という意味か」

使者の声のトーンが冷たくなった。

「何とでも呼ぶがいい」

「すでに多くの代表者は、A級やS級のチャンピオンだ」

「これは生存競争。それ以上でも以下でもない」

ダンテは苦々しく笑った。

「ってことは、俺たちみたいなC級やD級を、化け物だらけの戦場に放り込もうってわけか」

「自殺志願者のすることだな」

仮面の男は、阿修羅をまっすぐに見据えた。

「かもな」

「だが、お前たちを選んだ御方は、そうは思っていない」

彼の眼光が鋭さを増す。

「特に、お前だ」

「お前は、あの御方の興味を引いている」

阿修羅の目が細くなった。

使者は言葉を続けた。

「お前は『覚醒』したC級を倒し、生き延びた」

「ダンテは二人のC級を同時に屠った」

「そんな芸当ができる者は、極めて稀だ」

「だからこそ、お前たちは選ばれた」

一瞬、仮面の男は沈黙した。

仮面の奥で、秘められた思考が巡る。

(阿修羅……お前は本当に『彼ら』の一人なのか……?)

(『イレギュラー(規格外)』なのか……?)

ゲームが進めば、自ずと答えは明らかになるだろう。

風が線路を吹き抜けていく。

使者は再び口を開いた。

「この競争でお前たちの真の強さが暴かれる」

「想像を絶する力と遭遇することになるだろう」

「もし死ねば……」

「そこまでの器ではなかったというだけのことだ」

彼の声が、誰もいない線路に響き渡る。

「全世界が見守る中でのな」

「お前たちの『台頭』を目撃するか」

「あるいは『墜落』か」

彼は背を向けた。

「すぐに出発する」

「持てるものはすべて持ってこい。命を繋ぐ糧になるかもしれんからな」

数分後――。

ダンテは肩のバッグを揺らした。

「準備万端だ」

「で、そのゲームってのはどこで開かれるんだ?」

仮面の男は東の空を見つめた。

「首都だ」

「――東京」

ダンテが瞬きをした。

「東京?」

使者は頷いた。

「乗り物を使えば、十五時間はかかる」

彼は一度言葉を切った。

「あるいは……」

「走るか」

ダンテが片方の眉を上げた。

「……どれくらいかかる?」

「私単独なら?」

「二分だ」

阿修羅とダンテの身体が凍りついた。

使者は何事もなかったかのように続けた。

「だが、お前たちでは到底ついて来られまい」

ダンテの顔に不敵な笑みが浮かんだ。

「その挑戦、受けて立つ。ついて行ってやるよ」

「限界なんて、またブチ破ればいいだけだ」

阿修羅は静かに闘志を燃やしていた。

(二分……)

(想像以上に強いな)

旅が始まった。

三人は静まり返った大分の街を通り抜け、都市の郊外へと達した。

薄暗い空の下、果てしない平原が広がっている。

阿修羅がようやく口を開いた。

「あんたの名前は何だ?」

「名前も知らない相手を信用するわけにはいかない」

仮面の男が足を止めた。

初めて、烏の仮面の奥でかすかな笑みが零れた。

「私の名は……」

「――ガイウス」

彼は果てしない平原へと向き直った。

「私が先行する」

「二人はついてこい」

「できるのならばな」

阿修羅は冷静に頷いた。

「どこまで行けるか、試してみよう」

ダンテは首を鳴らした。

「足を引っ張るなよ、阿修羅」

次の瞬間――。

彼らの足元の地平が爆発した。

――轟音(BOOM)!!

音障壁を置き去りにし、三人のチャンピオンが前方へと弾け飛ぶ。

景色が、建造物が、色彩の奔流となって背後へと流れ去る。

彼らの踏み込みはアスファルトを砕き、衝撃波が窓ガラスを震わせた。

都市の中を、目に見えない嵐のような圧力波が駆け抜けていく。

ガイウスは彼らの前方で、何一つ苦にする様子もなく動いていた。

彼の身体は、大地を切り裂く一筋の黒い影と化している。

阿修羅とダンテは、その姿を視界に留めるためだけに、己の限界を限界まで引き絞っていた。

何時間が過ぎただろうか。

彼らの速度に、森が、谷が、山々が悲鳴を上げるようにして背後へと消えていく。

そして、ついに――。

地平線の彼方に、東京の高層ビル群が姿を現した。

阿修羅とダンテはその場に崩れ落ち、激しく空気を求めて あえいだ。

疲労困憊こんぱいの極みに達した身体が、小刻みに震えている。

ダンテは力なく笑った。

「……ま、マジで……冗談じゃなかったってわけか……」

阿修羅は天を仰いだ。

「……化け物め」

すぐ近くには、ガイウスが立っていた。

息一つ乱れていない。

彼の視線が、疲れ果てた二人の逃亡者を静かに観察する。

(面白いな)

(あの速度に、最後まで食らいついてくるとは)

(やはり、主の直感は正しかったというわけか)

彼は東京の巨大なスカイラインを見つめた。

「よくやった」

「お前たちのランクにしては、な」

ダンテが瞬きをした。

「……俺たちのランクにしては?」

そして、ある事実に気づき、ハッとした。

「てめえ……道中ずっと、俺たちに合わせて手加減してやがったな!?」

ガイウスはただ、不敵に微笑むだけだった。

「時間の無駄だ」

「行くぞ」

阿修羅とダンテは、重い身体を引きずってゆっくりと立ち上がった。

最後に、ひとつの懸念がダンテの頭をよぎる。

「俺たちは今でもお尋ね者の犯罪者だ」

「まともに東京へ入れるのかよ」

ガイウスは口元を歪めた。

「皇帝がすでに、すべての政府機関に対し、代表者への干渉を一切禁ずるよう命じている」

「今のところはな」

ダンテは吹き出した。

「皇帝ってのは、本当に何でもありなんだな」

彼は阿修羅を見た。

「いつか……」

「俺があいつを越えてやる」

阿修羅は静かに、しかし確固たる意志を込めて頷いた。

「俺もだ」

二人の若き戦士は、ガイウスの背を追い、光輝く東京の街へと歩を進めていく。

彼らの背後では、昇る太陽が地平線を黄金色に染め上げていた。

前方で彼らを待ち受けるのは、アースレルムの未来を決定づける、血と硝煙の戦場だ。


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