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痛みなし   作者: EXTRO
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12/16

光が滲み出る場所

夜の間に雨は止み、フクルの郊外には薄い霧のヴェールだけが漂っている。

遠くの屋根からは鳥のさえずりが微かに聞こえ、昇り始めた太陽が街を淡い黄金色に染めていく。

廃アパートのひび割れた窓から差し込む陽光が、夜の嵐が残した暗闇を追い払っていく。

黄金の光条の中で埃がゆったりと舞い、古いコンロの上では凹んだ鍋からインスタントヌードルの湯気が立ち上っていた。

ここ数週間で初めて、この部屋に本当の平穏が訪れたかのようだった。

ダンテは使い古されたソファに寝そべり、片腕をだらしなく垂らしながら、チカチカと明滅するホログラムのニュース画面をぼんやりと眺めていた。

キャスターの声が室内に静かに響く。

『――当局は、街全体で報告されている原因不明の『神聖プラナ』の濃度低下について調査を続けています。政府高官は、事態は完全に制御下にあると市民に説明しており――』

ダンテは鼻で笑った。

「たとえ原因を知ってたとしても、上の連中が正直に話すわけねえだろ」

部屋の反対側では、アシュラが謎の少女が眠る布団の傍らに静かに腰掛けていた。

手の届く壁には刀が立て掛けられている。

彼の真紅の瞳は、じっと少女の顔に向けられていた。

彼女の白い皮膚の下で、かすかな黄金の光の糸がゆっくりと血管を巡り、まるで小さな光の川のように現れては消えていた。

アシュラは自分に言い聞かせるように呟いた。

「……安定してきている」

「彼女の神聖プラナが、戻ろうとしているんだ」

その瞬間、少女の指先がピクリと動いた。

呼吸が深くなる。

彼女の鎖骨の下に、一瞬だけ光り輝く紋章が浮かび上がり、そして再び皮膚へと溶けて消えた。

ダンテが即座に跳ね起きる。

「……おい、それって正常な反応なのか?」

アシュラは視線を外さない。

「落ち着け」

次の瞬間、少女が大きく息を吸い込んだ。

弾かれたようにその体が跳ね起きる。

一瞬だけ、彼女の瞳が目も眩むような純白の光を放ち、すぐに温かみのある茶色の瞳へと戻った。

彼女は胸をかきむしり、必死に呼吸を整えようとする。

「あ……ここは、どこ……?」

アシュラは敵意がないことを示すように、ゆっくりと両手を上げた。

「大丈夫だ、安全だよ」

「東部地区の廃墟で倒れているお前を見つけて、ここに運んだんだ」

少女は怯えたように周囲を見回した。

見知らぬ部屋。ひび割れた壁。見ず知らずの男たち。そして、自分の腕に巻かれた包帯。

困惑は、瞬く間にパニックへと変わっていく。

「私……」

「何も、思い出せない……」

彼女の呼吸が乱れる。そして、真っ直ぐに二人を見つめた。

「あなたたちは……誰なの!?」

ダンテがソファから気怠げに片手を上げた。

「俺の名前はダンテ」

「そっちの無口なのがアシュラだ」

「安心しな。料理の腕は最悪だが、誘拐犯の類じゃねえよ」

目を覚まして以来初めて、少女は驚いたように瞬きをした。

その瞬間、記憶の断片が彼女の脳裏をよぎる。

眩い光。

悲鳴。

崩壊していく都市。

そして、果てしない黄金の海――。

その映像は、現れた時と同じ速さで掻き消えた。

彼女は激痛に頭を抱える。

アシュラが即座に一歩踏み出した。

「無理に思い出そうとするな」

「記憶ってのは、準備ができれば自然と戻ってくるものだ」

痛みが徐々に引いていく。

ダンテが布団の横にしゃがみ込み、彼女の体を包む微かなオーラを観察した。

その顔から、いつものふざけた表情が消える。

「……プラナの流れは戻ってる。だが、ボロボロだ」

「まるで、誰かに中身をごっそり引き裂かれて、無理やり繋ぎ合わされたみたいだな」

アシュラは静かに頷いた。

「神聖プラナを力づくで奪われたんだ……」

「肉体が癒えた後も、魂はその傷を覚えている」

部屋に沈黙が降りた。

ミノリはゆっくりとアシュラに視線を向けた。

なぜかは分からないが、彼の声にはどこか聞き覚えのある響きがあった。

悲しく、重い響き。

「……あなたも、誰かを失ったことがあるのね……?」

アシュラは窓の外へと視線を逸らした。

長い沈黙。

彼がようやく口を開いた時、その声は囁きに近いものだった。

「誰だって何かを失う」

「問題は、残されたもので何をするかだ」

再び静寂がアパートを包み込む。

ミノリは頭を垂れ、膝の上で両手を震わせていた。

「……じゃあ……私はこれから、どうすればいいの?」

ダンテが立ち上がり、体を伸ばしながらコンロへと歩いていく。

その口元に笑みが浮かんだ。

「とりあえず?」

「食うんだよ」

「お前がまた倒れたら、アシュラは俺に担がせる気満々だからな」

彼は湯気を立てる鍋を指さした。

「そのあとで……お前の光を盗んだ泥棒野郎を突き止めに行こうぜ」

目を覚まして以来初めて、ミノリの顔に小さな笑みが浮かんだ。

儚く、弱々しい。だが、本物の笑みだった。

外では、フクルの屋根という屋根に陽光が降り注いでいた。

一羽の烏が静かに電線に降り立ち、暗く微動だにしない瞳で下のアパートを見つめている。

街の境界の向こう側で、見えない力がすでに動き始めていた。

神聖プラナそのものが消えつつある世界で、三つの漂泊する魂が交錯した。

一人は目的を抱き。

一人は覚悟を秘め。

そして一人は、未だ目覚めぬ過去を宿して。

一瞬だけ、すべてが平和に見えた。

まるで都市そのものが、息を潜めているかのように。

夕暮れがフクルに舞い降り、街を淡い紫と銀の影で包み込んでいく。

通りにはネオンの灯りがともるが、その輝きは奇妙に鈍く、まるで都市自体が疲弊しきっているかのようだった。

アシュラは一人、フードを深く被って狭い路地を歩いていた。

足音がひび割れた舗装路に静かに響き、夜風が誰もいない通りに紙屑を運んでいく。

彼の真紅の瞳が怪しく明滅した。

彼は人間を見ていない。見ているのは『プラナの潮流』だ。

普通の人間にとって、この路地は何の変哲もない空間だ。

だが彼にとっては、目に見えないエネルギーの奔流が、消えゆく光の川のように大気中を漂っているのが見える。

やはり、何かがおかしかった。

彼は古い石壁の前で足を止めた。

膝をつき、指先をその表面に当てる。

小さな青い火花が散り、すぐに消え去った。

彼の表情が硬化する。

「この痕跡は……」

戦いによって残されたものではない。

何かがプラナを完全に吸い尽くし、跡形もなく空っぽの殻だけを残していったのだ。

痕跡があまりにも綺麗すぎる。精密すぎる。

これを仕掛けた者は、神聖エネルギーに対して恐るべき制御力を持っている。

「これだけじゃない。プラナの地脈( veins )そのものが細くなっている」

街のエネルギーを強引に一箇所へ凝縮させているような違和感。

まるで、歩くブラックホールだ。

アシュラは静かに立ち上がり、再び街の闇へと消えていった。

一方、フクルの別の区画――錆びついた鉄塔と廃工場が連なる広大な工業地帯。

そこには、混沌を体現する別の勢力がいた。

彼らの名は**『タスマニアン・デビルズ』**。

中央評議会の権威を拒絶した、中堅チャンピオンたちで構成される荒くれ者のローグギルド。

ある者にとっては犯罪者であり、またある者にとっては、この街に残された最後の自由な戦士たち。

廃駅の操車場を利用した彼らのアジトでは、ドラム缶の中で炎が踊り、トロフィーのように散らばった武器の山に長い影を落としていた。

喧騒と狂気が渦巻く中、一人の男が静かに佇んでいる。

無造作な黒髪に、落ち着いた面持ち。

長い黒のコートを片方の肩にだらしなく羽織っている。

その瞳は、鋼鉄さえも切り裂きそうなほどに鋭い。

彼の名は**アッシュ**。

チャンピオンたちの間では**『狡猾な悪魔スライ・デビル』**と呼ばれ、野生の炎のように戦いながらも、全ての戦局を氷のような精密さで支配する男。

評議会から『フクル四大危険ギルド』の一つとして指名手配されている『タスマニアン・デビルズ』の頭領だった。

「ボス」

銀髪の巨漢、カエルが歩み寄ってきた。その表情はいつになく真剣だ。

「第十五区画から新しい報告だ。例のパターンと同じだよ」

「大規模なプラナの枯渇……そのあと、完全な沈黙だ。生き残った連中はみんな同じことを言ってた。大気そのものが『喰われている』みたいだったってな」

アッシュは腕を組んだ。彼の目が細められる。

「……なら、何かが世界の血管をすすっているわけだ」

数秒の沈黙の後、アッシュは不敵に笑った。それは残酷な笑みではなく、極上の玩具を見つけた者の笑みだった。

「野郎ども、全員集めろ」

「何者がこの世界の生命線を盗んでるのか知らねえが……そいつの心臓を抉り出して、中に何が詰まってるか拝んでやろうじゃねえか」

ギルドの連中が一斉に動き出す。背中に刃を背負い、プラナライフルが鋭い金属音を立てて装填される。

彼らは知らなかった。

フクルのもう一方の闇から、二人の逃亡者が全く同じ足跡を辿ってこちらに向かっていることを。

一方は答えを求め、一方は戦いを求めて。

そのふたつの軌跡が交わるとき、運命は爆発する。

星のない夜がフクルを包み込んだ。

大気そのものが落ち着きなく震え、歪んだプラナの波動が見えない煙のように街に漂っている。

アシュラとダンテは人通りの絶えた通りを歩き、数日間にわたって追跡してきた歪んだプラナの気配を追っていた。

二人は言葉を交わさない。空気が重すぎる。

突如、足元の地面が激しく揺れ動いた。

地鳴りとともに舗装路が大きく裂け、その暗黒の割れ目から、底なしの深淵から湧き出るかのように黒い霧が噴き出した。

その直後、鼻を突く悪臭にアシュラは表情を一変させた。

不浄で、飢えた、この世のモノとは思えない不吉な気配。

――**『闇プラナ』**。

生命を育む『神聖プラナ』とは完全に対極に位置する、ただ万物を喰らい尽くすためだけに存在する禁忌の力。

世界の底にある監獄**『地獄界ヘルレム』**の封印が弱まったときにしか現れない絶望のエネルギー。

黒い霧が激しくのたうつ。

その中から、生きる影で形成された歪な異形の群れが現れた。

煙のように形を変えながら、果てしない飢餓感に飢えた赤い瞳を爛々と輝かせている。

crawling nightmares(這い寄る悪夢)が、一瞬にして通りを埋め尽くした。

アシュラはゆっくりと刀を抜いた。その刃に銀色の光線が宿る。

「手短に終わらせるぞ」

ダンテは首の骨を鳴らし、凶悪に笑った。

「やっと俺の言語で話し始めたな、相棒!」

二人は同時に突撃した。神聖プラナの銀の弧が闇を切り裂き、影の怪物を次々と消滅させていく。

しかし同じ頃、通りの反対側からも凄まじい衝撃波が炸裂した。

『タスマニアン・デビルズ』を率いるアッシュが、大剣を振るって影の群れを蹂躙していたのだ。

「**『衝撃のショック・ファング』**!!」

圧縮されたプラナの斬撃が爆発し、三体の影の獣を一瞬で黒い煙へと還す。

その乱戦の最中、激しい霧の向こう側から、目も眩むような銀色の剣光が閃くのをアッシュは目撃した。

一切の無駄がない、絶対的な精度を持った孤高の剣技。

一瞬の間、アッシュとアシュラ――二人の怪物の視線が激突した。

お互いの名前も知らない。なぜ相手の存在がこれほどまでに圧倒的なのかも分からない。

だが、確信した。

「……化け物がいるな」アッシュは小さく笑った。

その直後、大地が完全に崩落した。

深淵の中心から、濃縮された闇プラナの塊である巨大な巨獣が這い上がってきたのだ。

ビルを遥かに見下ろす巨体が、夜空に向けて鼓膜を破らんばかりの咆哮を轟かせる。

凄まじい衝撃波が通りを駆け抜け、全員の体が弾き飛ばされそうになった。

アシュラとアッシュが本能的に武器を構え直した、その時――。

突如として、その巨獣の動きが凍りついた。

その巨体が、信じられない力で内側に向かって収縮し始める。

黒い霧は目に見えない単一の「点」へと急速に巻き取られ、完全に消失してしまったのだ。

静寂が戻る。

後に残ったのは、空っぽの通りに響く、不気味に歪んだ笑い声だけだった。

それは気の遠くなるほど古く、辛抱強く、そして圧倒的に遠い場所からの響き。

アシュラは刀の柄をきつく握り締めた。

「……誰かが、裏にいる」

壊滅した通りの向こう側で、アッシュの目も鋭く細められていた。

「どうやら……今夜のハンターは俺たちだけじゃなさそうだな」

フクルの遥か上空、誰の目にも留まらぬ場所で、黒い雲がゆっくりと蠢きながら、巨大な『眼』の形を形成しつつあった。

世界の底で、何かが完全につむりを上げたのだ。


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