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「こちら、大野さん」と言うみゆきを見つめたまま、どうしてか、僕は笑いたい気持ちとは裏腹に、うまく笑えなかった。みゆきのその一言が、どこか複雑な影を落としたのかもしれない。
ビールを飲みながら話していると、従業員がマイクを手渡してきた。しかし、僕もみゆきも歌わなかったので、従業員たちが『チェリーブラッサム』や『小麦色のマーメイド』を歌い始めた。僕たちはそれを、どちらともなく楽しそうに眺めていた。
そのうち、従業員たちが僕にそっと尋ねた。
「みゆきって、何の仕事をしているの?」
その質問を聞いた途端、みゆきの身体が硬くなったのがわかった。
「すごく綺麗なんだけど、謎多き女よね」
「けっこううちに来るけど、何している人なのか全然わかんないのよ」
そんな話が続くにつれて、僕とみゆきのあいだに気まずい空気が漂いはじめた。
おそらく彼女は、プライベートな客をこの店に連れてくることがなかったのだろう。みゆきは下を向き、困ったような顔で曖昧な笑みを浮かべていた。僕たちが返す言葉に詰まり、会話が途切れることも何度かあった。
そうこうするうちに、店のドアが開き、一人の男性客が入ってきた。
「いらっしゃい」
従業員の声に迎えられ、男性はカウンターに座ると、すぐにみゆきに目を奪われたように言った。
「いやあ、綺麗だ……」
彼はそう言って彼女を褒め、酒を注文した。しばらくはみゆきと会話を交わしていたが、やがて奥のテーブルへと移っていった。
ところが、その男性との会話がみゆきの機嫌を損ねてしまったらしい。何があったのか、僕にはわからなかった。ただ、店の空気が再び冷え込み、みゆきは黙り込んでしまった。そして、僕を店に残したまま、携帯だけを持って外へ出て行ってしまった。
従業員たちは困惑した様子で、彼女の後方を目で追っていた。呼び戻そうと声をかけたものの、その背中はもう見えなかったようだ。
従業員の一人が僕に向かって言った。
「ちょっと、何か話しなさいよ」
僕はただ微笑むだけで、何も言えなかった。
しばらくして、みゆきと話していた男性が再びカウンターに戻ってきた。酒のおかわりを注文すると、また飽きもせずみゆきのことを褒めそやす。
(なんなんだよ、お前は……)
僕は心の中でそう呟いた。だが、ひょっとすると、周りの人たちも僕に対して同じように思っていたのかもしれない。
こいつは一体、何なんだ、と。
その男とのやり取りを直接聞いたわけではないから、僕の思考は支離滅裂に思えるかもしれない。それでも、みゆきの存在がもたらす緊張感や、彼女の無自覚な魅力が周囲に与える影響は明らかだった。彼女は自分の美しさを無自覚に振りまいては、心ない言葉にうまく振る舞えず、苛立ちを覚えている。その尊大な態度のせいで、実は誰よりも孤独だったのかもしれない。
しかし――本当に孤独なのは、むしろ僕自身ではないかという気がしていた。どこにいても、どんな時も一人だと感じてしまう、このどうしようもない孤独からの脱出を、僕は心のどこかでずっと求めていたのだ。




