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その1  一年生



  春

 土曜の朝、ヤカンに火をかけます。朝食の用意。家中で、私だけが朝型です。

 やがて母が、妹が、父が、兄が起きてきて、賑やかな朝食が始まります。今日は半ドン。皆少し気分が緩んでいます。


 日の光が集まる、大きな窓のある南向きの部屋。

 家の真ん中にある広いサンルームの様なリビング。

 窓の外は、母好みの清楚な花を咲かせる草木が生い茂り、その先は見渡す限りの青々とした水田。

 端正に並ぶ青苗の間、水上を滑り通って来た風は、瑞々しく涼やか。

 

 その部屋にあるオーディオセットで、レコードを掛けなから三人掛けのソファーにゆったりと体を預け、本を読む兄。いつもの風景。


「お兄ちゃ〜ん、おやつだよ〜」


と弾みながら呼びに行く妹。


「……今、録音中だから静かに歩け。針が跳ねる」


と小声で叱かる兄。

 これも日常の事。


 おやつはダイニングルームで。大皿に数種類をたくさん盛り付けてあります。お菓子入れの大きな缶は空になることはありません。

 食が細い兄の為におやつは多目。だから私は太ったのでは?私だけぽっちゃり。すみません、食いしん坊さんです。

 母と兄姉妹三人一緒。取り合いなどしたことはありません。幼少期からの楽しみで和やかな時間です。


 

 兄が部活で悩む頃、私は中学一年生。部活は軟式テニス部。


「テニス部女子は人数も多くて楽しそうだよ。テニス部に入ったら?」


と兄が言ったので入部しました。


 体を動かすのは好きだけど運動は下手。人一倍努力しても人並。それでも入部して、早朝壁打ち、自主練もします。休まず一生懸命。

 三年間で公式戦に一回しか出られなかったけど、食べごたえの有りそうな焦げた御御足をスコートから晒しながらも、がんばります。


「そろそろ、ブラをしたら?」


と教えてくれなのはテニス部の先輩。

 母も私ものんびり。

 上下関係や女の戦いを学びます。

 下手でも、人に笑われても、我無者羅にやります。

 


 兄は中学時代に学習塾へ通っていました。近所のお兄さんが始めた寺子屋のような、温かみのあるこじんまりとした塾で、隣の一つ年上の友人に誘われて行き始めました。

 私も小6から一緒に行きました。高校受験の為の塾で、高校入学と共に皆辞めます。私が中学生になると兄はもういませんでした。


 私は没頭して通います。合格の為の勉強をひたすら教える先生も、合格することに懸命な友人達も、勉強だけをするその空気感も好きです。

 

 膝の上に参考書を開いたまま、食事をします。

 テレビを見ながら教科書を読みます。

 早朝に庭で歩きながら歴史を声に出して暗記をします。   

 学年で成績は1、2番で、もうそこまで勉強しなくても志望校へは入れます。

 それでも取り憑かれたように勉強します。

 


 兄は夕方走りに行きます。体力作りの為とかでダンベルも買いました。

 私は早朝に柴犬メイコを連れて走ります。夕方も兄を遠目に見ながら、メイコと走ります。

 メイコも連れていって欲しいけど、マラソンの練習だからダメらしいです。メイコもまだ4才で元気。

  私の犬だと思っていたけど、兄の犬だったみたい。 確かに名付け親は兄だけど、主に私が世話をしていたのに。

 兄の為に父が知人からもらって来て


「おまえの犬だよ」


と言ったのかもしれません。

 少し残念で寂しい気持ちになったけど、メイコは私に一番懐いているので良しとしよう。

 彼女(メイコ)は心友だから。



  夏

 兄と『漢字ゲーム』をして遊びます。

 教科書や辞書から私達が漢字を出題し、兄が書きます。驚く程よく知り、書けます。  

 私達が尊敬の念を抱くのは当然です。

  たまに間違うと何回も書いてその場で覚えます。

 漢字練習ノートはびっしりと細かく同じ漢字が連なります。

 私達も真似ました。


 そんなに教学が苦手だったのなら『数学ゲーム』でも考えればよかったね。

 

 

 とにかく兄は電話魔。人との対話が大好き。

 週末は長電話をします。 ダイニングルームの黒固定電話の前にイスを持っていき、電話を掛けたり、 掛かってきたり。お相手は男女ともにいらっしゃいます。

 夜遅くが多いですが、学校を休んだ日は夕方からたくさん掛ってきます。

 コーヒーとお菓子を持っていくと嬉しそうに受け取って


「今ね、ビスケットを食べてるの」


と電話口に報告します。

 親も電話代に嘆きながらも窘めません。私も妹も気にしません。

 兄がくすくす笑いながら薄明りのダイニングルームで話しているのを聞き、隣の部屋で勉強します。

 私は長電話はしません。

  


  秋

  お酒と煙草。

 子供が親のお使いで煙草を買いに行きます。教師は三者面談で煙草を吹かします。憤慨する私は反抗期扱い。そんな時代。


 未成年で夭折する兄が人生経験を積んだと嬉ぶべきなのか。

 体に負担を掛けて死期を早めたかもと後悔すべきなのか。

 楽しい、有意義な時間ならばと容認した親の意向だったと納得すべきなのか。

 

 全く気づかなかった私は、何もしません。

  知っていたら全力で、止めたと思います。反抗期と呼ばれる苛烈さで。



  冬

 兄は柔らかい言葉遣いを選ぶ会話好きで、人の機微に聡い人。

 男子の粗雑な言葉や行動に合わせることには、努力が必要なのかもしれません。

 大人や女性の方が無理せず対話しやすかったのでしょう。

 でも、そんなに彼女を欲しがっているとは思いませんでした。兄の周りには女性が居たように感じます。

 たぶん兄の熱量に女の子達は圧倒されるのだと思います。

 嫌われたのではなく、引かれたのではないかと。

 ノートに細かい端正な字でびっしりと書く兄は、想像に難くありません。

 きっと断られた手紙も交換日記もそうだったのでしょう。



 母方の叔母の結婚式に家族で参加します。お会いした叔母の友人が、グァムに住んでいると知った父。すっかり意気投合して、兄をグァムに行かせる話がまとまります。

 戸惑ったのは兄を含め家族一同。大慌てで旅行の準備をします。


 父は兄に海外旅行の、経験をさせたかったのでしょう。その後の体調を思えば、好機でした。元気だったら毎年訪れたことでしょう。

 グァムの友人達とはその後、何度も英文で文通しています。   

 私達は行きませんでしたが、彼の無事と、満喫してほしいという願いしかありませんでした。

 初めて、兄の居ないお正月を迎えました。話題は兄のことばかりの、味気無い年末年始でした。



 

 


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