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青年になった清明はまだ若い

道満は、あの申告以来ずっと妙な苛立ちを抱えていた。


清明が何を考えているかなど、分かりきっている。あの男は昔からそうだった。思い込めば真っ直ぐ進み、余計な迷いを持たず、悪意もなく人の神経を逆撫でする。しかも今回は、よりにもよってこはくを相手にしていた。


「それを私のいないところでやれ」と吐き捨てた時、清明は妙に納得した顔をしていた。あの顔がいけなかった。余計なことを理解した時の顔だった。道満は後になってから気づき、己の発言をわずかに悔いた。


まさか本当にやるのではないか。


そう思い至ったのは数日後の夜だった。執務も終わり、屋敷が静まり返った頃、ふと清明の気配がいつもの場所にないことに気づいた。嫌な予感が背筋を這い上がる。


足は自然とこはくの自室へ向いていた。


廊下は薄暗く、灯りの残滓が壁に揺れている。夜の屋敷は妙に静かで、普段なら落ち着くはずのその静けさが、この時ばかりはひどく不吉に思えた。


襖の前まで近づいた瞬間、道満は立ち止まった。


中に、清明がいる。


それだけならまだいい。いや、よくはないが、まだ最悪ではない。だが、部屋の奥で動く気配が近すぎた。声は低く、熱を帯びている。清明のものだ。


「……こはく」


その声を聞いた瞬間、道満の中で何かが切れた。

考えるより先に手が動き、襖を猛烈な勢いで左右に撥ね開いた。


「何をしている?!」


飛び込んだ先で見た光景に、道満の血が一瞬で沸いた。


清明がこはくに触れていた。手を取り、髪に触れ、頬に触れ、あまりにも近い距離でその白い顔を覗き込んでいる。こはくは拒んでいない。ただ静かにそこにいる。その静けさが、余計に道満を激昂させた。


清明の肩がびくりと跳ねる。

振り返るよりも早く、道満は部屋へ踏み込み、清明の襟首を鷲掴みにして強引に引き剥がした。


「っ、道満?!」


「貴様!」


怒鳴り返しながら清明を後ろへ投げ飛ばす。その勢いのまま、道満はこはくを自分の方へ引き寄せた。守るため、という言葉で誤魔化すことはできた。だが実際には、清明の手がこはくに触れていたことが、ただただ腹立たしかった。


「何をしていると聞いた!」


清明は数歩よろめいたものの、壁際で体勢を立て直した。


「確認していた」


「何をだ!」


「どこまで嫌ではないかを」


あまりに平然とした返答に、道満の額へ嫌な熱が昇る。


「確認の手順を間違えるな!」


清明は本気で分からない顔をしていた。そこがさらに腹立たしい。悪意があるなら燃やせばいい。軽薄な欲なら叩き潰せばいい。だが清明は、本気で誠実に、確認していたつもりなのだ。


「嫌がっていなかった」


「そういう問題ではない!」


道満は苛烈に切り捨てる。


「拒まれなければ何でもしていいわけがあるか!」


清明が一瞬だけ黙る。その沈黙は、言い返せなくなったものではなく、言葉の意味を本気で考えているものだった。


「……それは、そうか」


「そうだ!」


道満は忌々しげに吐き捨てた。


「貴様は何故そういうところだけ素直に先へ進む!」


清明は何かを言いかけ、結局口を閉ざす。視線を斜め下へ落としたその顔に、道満はますます苛立った。反省しているようにも見える。だが、反省されても遅いのだ。

道満はこはくを腕の内側へ深く庇い込んだ。


「主は否定しない、だからこそ加減しろ」


自分でも声が低くなっているのが分かる。


「お前が考えろ」


清明は完全に押し黙った。

それでも道満は、なお険しい表情のまま清明を睨み据える。


「……今後は私のいないところで余計なことをするな」


清明が不満げに眉を寄せた。


「前は、いないところでと言った」


「今回は意味が違う!」


怒声が部屋を震わせる。道満は本気で頭が痛くなっていた。なぜこの男は、こうも言葉を素直に受け取り、最悪の方向へ実行するのか。


静けさが戻る。

清明は黙り込んだまま、自分の中へ深く沈んでいるようだった。


「……嫌がっていないなら、問題ないわけではない」


ぽつりと、自分に言い聞かせるように清明が呟く。


「当たり前だ」


道満は即座に返す。


「何故だ」


その問いに、道満は一瞬詰まった。


清明は本気で聞いている。そこには悪意も、誤魔化しもない。ただ、本気で理屈を知ろうとしている。だからこそ厄介だった。


「……何故でもだ」


「説明になっていない」


「黙れ」


切り捨てても、清明は退かない。


「知る必要がある」


その瞳は真剣だった。


「次に誤ると困る」


道満はいたたまれずに目を閉じた。正しい。あまりにも正しい。理由を知らなければ、清明はまた同じことをする。しかも次は、もっと丁寧に、もっと確実に、こはくへ近づくのだろう。

道満は重く息を吐いた。


「……人間はな」


言葉を選びながら口を開く。


「好いた相手には触れたくなる」


清明は黙って聞いている。


「近づきたくもなる。確かめたくもなる」

「それ自体はおかしくない」


清明がわずかに納得したように頷く。


「だろう」


「最後まで聞け」


道満は即座に切る。


「問題はその先だ」


清明は再び口を閉ざした。


道満は腕の中にいるこはくを一度だけ見下ろす。相変わらず無言だ。拒絶もしない。肯定もしない。だからこそ危うい。


「触れたいと思うのと、触れていいは別だ」

「欲しいと思うのと、奪っていいも別だ」

「拒まれないことと、許されていることも違う」


清明の眉がわずかに寄る。


「……同じではないのか」


「同じなものか」


道満は吐き捨てるように応じた。


「人間は口に出さない」

「嫌だと言えぬこともある」

「分からぬこともある」

「拒まぬのは、拒めぬだけの時もある」


言いながら、道満自身の胸の奥に冷たいものが落ちた。

そうだ。人間とはそういうものだ。好いた相手に触れたいと願い、触れればもっと先が欲しくなる。だが、欲しいことと許されることはまったく別の話だった。

そんな当たり前なことを、しばらく忘れていた。


こはくは拒まない。

だからこそ、線を引く者が必要になる。


閻魔は分かっている。だから決定的な一線だけは越えない。道満自身も分かっている。だからどれほど苛立とうと、どれほど執着が胸を焼こうと、最後のところで踏みとどまってきた。


だが清明は違う。

まだ若い。あまりにも真っ直ぐで、あまりにも誠実で、その誠実さのまま境界を確かめようとする。


どこまで嫌ではないか。

どこまで許されるか。

どこまで近づいていいか。

まるで術式を解くように、順序立てて確かめていくに違いない。そしてこはくは拒まない。


道満は深い沈黙に落ちた。


思ったより良くない。いや、かなり最悪に近い。清明は欲に流されるだけの男ではない。理解し、学び、手順を踏んで進む男だ。だからこそ止めづらい。


「……これは」


呻くように漏らす。


「思ったより大変かもしれん……」


清明が真面目に首を傾げる。


「何がだ」


道満は顔を上げた。心底嫌そうに、呪わしげな視線を清明へ向ける。


「お前だ」


そう突きつけると、清明は反論せずに黙った。


道満はこはくを抱きすくめたまま、深々とため息を吐く。守っているのか、囲っているのか、自分でも一瞬分からなくなる。腕の中にあるこはくは静かで、その静けさが余計に感情を乱す。


清明はその顔を見つめながら、珍しく深く考え込んでいた。

やがて、ぽつりと口を開く。


「……私の気持ちは、大変らしいな」


道満は不快そうに眉をひそめる。


「そういう言い方をするな」


だが清明は本気だった。好意がある。触れたい。近づきたい。伴侶になりたい。その全てを真面目に積み上げてきた男が、今になってようやく、自分の感情が誰かの負担になり得ると理解し始めている。


道満はその様子を見て、苛立ちと疲労と、わずかな安堵が入り混じるのを感じた。

清明がこはくを好きであることは変わらない。諦める気もないだろう。だが少なくとも、今この場で立ち止まることはできたらしい。


「……少し考える」


道満は泥棒を警戒するような顔で眉をひそめた。


「何をだ」


「どうすれば、困らせずに好きでいられるか」


あまりにも真摯で、一点の曇りもない声音だった。

道満は一瞬、返す言葉を失う。

面倒だ。恐ろしく面倒な男だ。


だが、先ほどまでの暴走寸前の状態よりはましだった。少なくとも、自分で立ち止まる気にはなったのだ。

道満は肺の底から深く息を吐き出した。


「……まず、人の距離を覚えろ」


清明は素直に頷く。


「分かった」


「本当に分かっているか?」


「分からないから覚える」


一点の曇りもない真顔で返され、道満はみたび額を押さえた。

こはくは相変わらず無言のままだ。その静かな視線の前で、清明はなおもしばらく深く考え込んでいる。


好きだ。触れたい。近づきたい。だが困らせたくはない。


その矛盾を抱えたまま悩む清明を見て、道満は心底疲れた顔で思った。


この男は本当に厄介だ。

そして、放っておけばいつか本当にこはくの隣へ辿り着きかねない。

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