表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/45

陰陽師 清明、転生する

地獄の獄卒区画は、いつもと同じように淡々としていた。

責務は流れ、処理は進み、感情の入り込む余地は最初から設計されていない。


その静かな業務の隙間で、清明はふと立ち止まった。

いつも通りの顔で、いつも通りの声で、だが少しだけ違う間を置いてから言う。


「道満」


呼ばれて、道満が不審げに顔を上げる。


「何だ」


清明は一瞬だけ、自身の足元へ視線を落とした。

それから、まるで天気の変化でも告げるかのように、何でもないこととして言葉を続けた。


「そろそろ輪廻に戻ることになった」


空気が一段だけ遅れる。

道満の表情が変わるより先に、沈黙だけが先に落ちた。


「……は?」


ようやく出た声は、いつもの調子よりわずかに低い。

清明は変わらないまま頷く。


「役目は終わりのようだ」


「急だな」


「急だ」


淡々としたやり取りが、冷えた石を投げ交わすように交わされる。

だが、その“淡々”の中にだけ、妙な現実感があった。

道満は少しだけ目を細める。


「そうか」


短く言ってから、わざとらしく肩をすくめた。


「ではようやく地獄も静かになるな」


皮肉をまとったその言葉を、清明は否定しようとはしなかった。ただ少しだけ、困ったような笑みを唇の端に浮かべる。


「そうでもないと思うけどな」


「どういう意味だ」


「お前がいるし」


その一言で、道満の眉がわずかに動く。


「私は関係ないだろ」


すぐさま返された拒絶。だが、言い切った残響のあとに、ほんの僅かな空白が混ざる。清明はその繊細な綻びを、決して見逃しはしなかった。


「そういうところだよ」


軽く言う。

道満は鼻で笑う。


「勝手に評価するな」


だが、拒絶とは裏腹に、その視線は清明から外されることはなく、いつもより少しだけ長く見つめている。そんな視線を受け止めながら、清明は言葉を重ねた。

 

「正直、もう少し時間があると思ってた」


その言葉は、少しだけ柔らかかった。


「やっと、ちゃんと共有できるようになってきたところだったからな」


その瞬間、道満の指先がわずかに止まる。

共有――その単語が、胸の奥深くに小さな棘のように引っかかる。だが、それを口にして形にすることは選ばない。清明は彼の沈黙を見届けると、少しだけ視線を遠く、地獄の果てへと泳がせた。


「まあ、こういうもんなんだろうな。残る方が長いかと思ってたけど」


小さく息を吐く。


「案外、そうでもなかった」


沈黙が落ちる。しばらく、どちらも何も言わない。

業務の気配だけが遠くで動いている。

やがて道満が口を開く。


「勝手に来て、勝手に戻るのか」


「そうだな」


「迷惑なやつだな」


清明は少しだけ笑う。


「よく言われる」


その反応が気に入らないのか、道満は軽く舌打ちする。


「……最後くらい、もう少し引き留めるようなことを言ったらどうだ」


清明は一瞬考えて、それから素直に言う。


「引き留めても意味ないだろ。お前はそういうの嫌うし」


道満は返す言葉を失い、ただ黙り込む。そこに否定の言葉は生まれなかった。清明はそれを見届けると、慈しむように少しだけ目を細める。


「でもまあ、惜しいとは思ってる」


その言葉は、先ほどよりも少しだけ率直だった。

道満はすぐに返さない。珍しく、ほんの少しだけ遅れる。


「……そうか」


短く吐き捨てるように言ってから、視線を逸らす。

だが完全には離さない。

清明はそんな彼の不器用さを見つめ、静かに頷いた。


「じゃあな」


軽いはずの別れの言葉。

だが道満はそれに即座に返さない。

少しだけ間が空いてから、ようやく言う。


「勝手に消えるなよ」


清明は目を瞬かせる。

そして、少しだけ困ったように笑った。


「消えるわけではないけどな」


「似たようなものだ」


道満の声はいつも通りだが、わずかに硬い。

清明はそれ以上何も言わない。ただ一度だけ頷く。


「じゃあ、そのうちまた」


そう言って、背を向ける。

輪廻へ戻る流れの気配が、少しずつ清明の周囲に集まっていく。

その背中を、道満は最後まで見ていた。


何も言わず。何も呼ばず。

ただ、ほんの少しだけ舌打ちしてから、ぼそりと呟く。


「……面倒なやつだな」


その声は、誰にも届かない。

届かなくていい、とでも言うように。


清明の気配は、やがて静かに地獄から離れていった。



屋敷の執務室は、いつもより少しだけ空気が張り詰めていた。


紙の音、術式の微かな残滓、整えられた結界の揺らぎ。

その中心に、屋敷の主であるこはくがいる。

そしてその横に、屋敷付きの上役・獄露が立っていた。


道満は呼び出される形でその場に現れる。

足元の転移の余韻が消えきる前に、違和感が一つ、視界に刺さった。


――知らないはずの“知っている顔”。


そこにいたのは、一人の少年だった。

だが、ただの人間であるはずがない。その立ち姿からは、術の濃密な気配が、骨の奥深くまでしっかりと通っているのが見て取れた。

そして、何よりもその目。

その瞳と視線が交わった瞬間だった。道満の胸が激しく脈打ち、呼吸がほんの一拍だけ凍りつく。


「……っ」


視線が合う。

見覚えがあるどころではない。


「……清明?」


思わず零れた声は、ほとんど確認というより反射だった。


少年は一瞬だけ目を瞬かせる。

そして、少しだけ首を傾げる。

その動きが、妙に“あの頃のまま”だった。

驚きに固まる道満を他所に、獄露が淡々と、業務報告のように説明を始めた。


「今日から護衛に配属になる術師だ」

「人間だが、術を扱う。お前が面倒を見ろ」


道満は弾かれたように、獄露へと鋭い視線を転じる。


「……面倒を見る?」


「そうだ」


返答は簡潔を極めていた。そのすぐ横で、こはくは一切の感情を削ぎ落としたように何も言わない。ただ、底の知れない視線だけが静かにそこに据えられている。道満は拒絶を噛み殺しながら、もう一度、少年を見据えた。

 

清明だった。輪廻を経たはずの、あの清明。

だが見た目は少年の形に変わっている。

それでも、目の奥の“質”だけは変わっていない。


少年は軽く頭を下げる。


「よろしく頼む」


声も同じだった。

あまりにも、自然に。

あまりにも、何事もなかったように。


道満の口元がわずかに歪む。


「……は」


小さく息を吐く。


「随分と忙しい再会だな」


獄露はそれを聞き流すように続ける。


「現場判断だ。こいつは戦力になる」

「お前が潰すなよ」


道満は一瞬だけ黙る。

そして、少年――清明を見たまま言う。


「輪廻というのは、もう少し穏やかなものだと思っていたがな」


清明は少しだけ目を細める。


「そうでもなかったようだ」


短く返す。その言い方が、昔とまったく変わっていない。

道満の眉がわずかに動く。


「……変わってないな」


「そうか?」


「そういうところだ」


こはくは相変わらず無言で二人を見ている中で、獄露が淡々と場を締める。


「説明は以上だ。配置につけ」


空気が動く。

道満は清明に視線を落としたまま、軽く肩をすくめる。


「護衛か、随分と大層な役職を貰ったものだな」


わざとらしく息を吐く。


「精々頑張れ」


皮肉の形をした言葉。

だがその奥に、ほんのわずかだけ違う温度が混ざる。

清明はそれをそのまま受け取るように、静かに頷いた。


「ありがとう」


変わらない。その一言が、逆に少しだけ引っかかる。

道満は視線を逸らさずに言う。


「……面倒な再配置だな」


誰に向けたでもないその言葉は、執務室の空気に溶けていく。

こはくは何も言わない。獄露はすでに次の書類を見ている。

そして清明だけが、そこに当然のように立っていた。

まるで最初から、そこにいるべきだったかのように。



屋敷に来たばかりの清明は、まだ少年だった。

背丈も低く、顔立ちも幼い。だが、目だけは妙に落ち着いていた。

人間の子どもらしくない、と最初に思ったのは道満だった。


次に思ったのは、やはり清明だな、だった。

拾われたばかりの清明は、屋敷の仕事も術の扱いも覚えが早かった。

術を見る目も、見えないものを見分ける感覚も、年齢に対して妙に出来すぎていた。


獄露は便利な新戦力として使い、閻魔は面白がり、

こはくは相変わらず何も言わず、ただ必要な場所へ置く。

そして清明は、それを“選ばれた”と受け取った。


ある日、執務室の端で術具の整理をしていた清明が、ふと道満へ言った。


「こはくは優しいな」


唐突だった。

道満は書類から目も上げずに答える。


「どこがだ」


「拾ってくれた」


「お前をか」


「そうだ」


清明は素直に頷く。


「前は、ああいうのは気味悪がられることの方が多かった」


術が見える。見えないものが見える。

触れなくていいものに触れてしまう。

人間の世では、そういう子どもはだいたい扱いに困られる。

清明はそれを、特に恨みもなく淡々と言った。


「でもこはくは違った。気味悪がらなかった」

「見えてるなら使えばいい、みたいな顔してた」


道満はそこで、ようやく重い腰を上げるように顔を上げた。見下ろした先にある清明の表情は、至って真面目そのものだった。


「だから好きだ」


あまりにも自然に、息をするように彼は言う。道満は理解が追いつかず、不快そうに眉をひそめた。


「……何だと」


「好きだ」


清明は繰り返す。


「初めての友達だし」


少し考える。


「初恋でもあるかもしれない」


道満の手が完全に止まる。


「は?」


清明は、冗談の欠片もない真顔のまま、淡々と言葉を紡ぎ続けた。


「大人になったら、こはくと結婚しようと思う」


道満はしばらくの間、ただただ絶句して無言に陥るしかなかった。

目の前にあるのは、まだあどけない少年の顔。揺るぎない真顔。どこをどう探しても、悪ふざけや冗談の気配など微塵も存在しない。

本気だ。この歪な少年は、大真面目でこの恐ろしいことを言っている。


「……お前」


ようやく絞り出す。


「それは……どうだろうな……」


否定も肯定もできない声音だった。

清明は不思議そうに首を傾げる。


「難しいか?」


「難しいというか」


道満は必死に反論の言葉を探したが、結局、常識の範疇に収まる答えは見つからず、諦めたように自らの額を深く押さえた。


「……お前はまず人間の常識から学べ」


清明は素直に頷いた。


「分かった」


だが分かっていない顔だった。


その横で、こはくは無言のまま書類を見ている。

聞いているのかいないのか、分からない。

ただ、道満だけが妙に落ち着かない。


何が厄介かと言えば、清明が冗談ではなく、本気で言っていることだった。

そしてもっと厄介なのは、清明がそのまま真っ直ぐ育ったことだった。

 

清明ルートの道満視点の話が始まります。

別編で清明目線の作品もありますので、そちらも合わせてお楽しみください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ