道満と清明の関係、死によって進展
断片集になります
■ 断片:雑用
「道満、それを見ろ」
短い言葉とともに、紙の束がこちらへと飛んできた。
挨拶も前置きもない。生前、天下の陰陽師として名を馳せた二人の再会にしては、あまりにも雑な投げ方だった。
影の牢から呼び出された道満は、顔を上げるよりも早く、空を切って飛来する紙束を指先で鋭く挟み取る。ばさりと広がった数枚の紙に目を落とすと、そこには精緻な術式の草案や札式の組み替えが、独特の癖のある筆跡で書き殴られていた。
それを見た瞬間、道満の眉間に深い皺が刻まれる。
「貴様は人を使う態度というものを、死んでからも覚えんのか」
「手が空いているだろう」
向かい側の卓から返ってきた声は、ひどく平坦なものだった。
清明は机に向かったまま、手元にある別の札を淡々と捌いている。こちらを見ようともしないその態度が、道満の神経を逆撫でした。
「空いているからといって、人の顔面に投げつけていい理由にはならん」
「だが、受け取ったな」
「貴様という男は……」
道満は忌々しげに舌打ちを漏らしながらも、手の中の紙をめくった。口ではどれほど文句を連ねようとも、その視線はすでに術式の構造を冷徹に追い始めている。
清明はその様子を視線の端で捉え、満足そうに小さく唇を綻ばせた。
「読んでいるのなら問題はあるまい」
「次は読む前に燃やすぞ」
「燃やす前に読め」
「読ませているのは貴様だと言っているんだ」
激しい応酬のようでいて、その実、互いの呼吸は完璧に噛み合っている。端から見れば、それは遠い生前のあの日々から、何一つ変わらずに繰り返してきた馴染み深い光景そのものだった。
■ 断片:手癖
道満の筆先が、さらりと滑らかな音を立てて札の上を走る。
迷いなく引かれた墨の線は、最後にわずかだけ右へと鋭く払われた。それをつぶさに横から観察していた清明が、何でもない風を装って声を落とす。
「その右払いの癖、まだ抜けていないな」
その指摘に、道満の筆先が止まった。ほんの一瞬。だが、明確な動揺がその指先に宿る。道満は無言のまま、冷ややかな視線を清明へと向けた。
しかし、清明は札から視線を上げることなく、自分の筆先を整えながら淡々と言葉を紡ぐ。
「そこ、昔から少しだけ流れる。お前の悪い癖だ」
「……よくもまあ、そんな細かいことを覚えていたものだな」
「ずっと見ていたからな」
あまりにも自然に、あまりにも真っ直ぐに返されて、道満は次の言葉を失った。生前、誰よりも激しくぶつかり合い、誰よりもその一挙手一投足に目を凝らしていたのは、己だけではなかったのだと突きつけられる。
清明はそこでようやく顔を上げ、悪戯っぽく目を細めた。
「お前こそ、まだ人の筆ばかり見ているだろう」
図星を刺された道満は、それを誤魔化すように鼻で笑ってみせる。
「ふん、貴様の筆圧が随分と落ちたと思ってな」
「ほう?」
「年相応だな、清明」
「お前に見た目の話をされたくはない」
即座に返ってきた軽妙な応酬に、道満の口元にも、皮肉ではない本物の笑みが初めて小さく浮かんだ。
■ 断片:若作り
「その若い顔で、老人のような達観した口を利くな」
道満が忌々しげに吐き捨てると、清明は静かに筆を机に置いた。
「お前にだけは言われたくないな、道満」
「何だと?」
「そうやって年上ぶるのをやめろと言っているんだ」
清明の視線が真っ直ぐに道満を射抜く。
目の前にいる男の姿は若い。生前、術者としてもっとも力が冴え渡り、傲慢に満ちていた頃の全盛期の姿だ。端正で、静かで、いかにも昔のままで。
道満は不快そうに眉を顰めた。
「貴様こそ、その面で全てを悟ったかのような物言いは不気味だぞ」
「中身の話をしている」
「見た目が追いついていないと言っているんだ」
「それはお前も同じだろう」
即答だった。
道満は言葉に詰まり、沈黙が二人の間に落ちる。清明はそれを見て、可笑しそうに声を立てて笑った。
「互いにこれほど若い顔をしておきながら、話す内容だけが酷く古い。こうして昔話をしている時点で、だいぶ妙な光景だぞ」
そう言われると、道満も否定しきれなかった。
肉体は全盛期の若さを保ちながら、魂だけが膨大な時間を経て摩耗している。死後の境界とは、つくづく奇妙で、皮肉な場所だった。
■ 断片:張り合い
「またお前が、私より先に呼ばれたのか」
道満はあからさまに不機嫌な色を隠そうともせず、深く眉を寄せた。
清明は手元の札を丁寧に畳みながら、あっさりと首を縦に振る。
「戦場が近かったからな」
「私は呼ばれなかったぞ」
「そうだろうな」
そのあまりにも迷いのない即答に、道満の眉間の皺がさらに深くなった。
「貴様、私に喧嘩を売っているのか」
「その場に向いている術者が呼ばれ、行っただけのことだ」
「私であっても十分に、あの程度の異形は対処できた」
「できただろうな。お前の腕なら容易い」
清明はどこまでも淡々と、道満の怒りを受け流していく。
「だが今回は、私の方が一歩早かった。それだけだ」
道満の口から、激しい舌打ちが零れ落ちる。
生前であれば、家の格だの、朝廷の意向だの、張り合うための大義名分はいくらでも用意されていた。だが、死後の今となってはそんなものは何一つ意味を持たない。
どちらが早く術を解いたか。どちらが先に主の目に留まり、呼ばれたか。どちらが面倒な雑用を押しつけられたか。
客観的に見れば、実にくだらない競い合いだった。
しかし、くだらないと理解していながらも、道満は本気で腹を立て、清明に負けたという事実に身を焦がしている。清明もまた、そんな道満の頑ななプライドをすべて分かった上で、少しだけ楽しげに口元を緩めた。
「案ずるな、次はお前かもしれんぞ」
「ふん、当然だ。お前などに後れを取る私ではない」
返答の速度だけは、生前と変わらず異様なほどに速かった。
■ 断片:生者扱い
「少し休め、道満」
清明が何でもない平坦な声音で言った。
道満は新しい札を書きかけていた手をピタリと止め、ゆっくりと顔を上げる。
「……何と言った、貴様」
「煮詰まっていると言ったんだ」
清明の視線は、道満の手元へと注がれていた。そこには、全く同じ位置で書き損じられた札が三枚、無残に重なっている。道満ほどの完璧主義者にとっては、極めて珍しい手の乱れだった。
道満は激しい拒絶を示すように眉を寄せる。
「私はもう、休息などという生者の営みを要する身体ではない」
「知っている」
清明は遮るように即答した。
「私たちはもう眠ることもなく、腹が減ることもなく、身体がそう簡単に壊れることもない」
淡々と事実を並べ立て、それから清明は真っ直ぐに道満の目を覗き込んだ。
「それでも、少し休め」
道満は押し黙る。清明は置いた筆に視線を落としながら、静かに言葉を続けた。
「手が止まっている時点で、お前の効率は著しく落ちている」
「……私に理屈を説くな」
「お前が大人しく聞くのは、感情論ではなく理屈だろう」
返す言葉が、一瞬だけ遅れた。
清明はそれ以上、道満を追いつめるような真似はしなかった。ただ新しく札を一枚手元に引き寄せ、静かに、だが拒絶を許さないトーンで告げる。
「少し黙れ。続きは、頭を冷やした後でいい」
道満はその横顔を激しく睨みつけたが、しばらくの沈黙の後、小さく舌打ちを漏らして筆を置いた。
それ以上の反論はしなかった。
■ 断片:地獄の余白にて
地獄の外れは、意外なほどに静かだった。
絶え間なく響く責め苦の喧騒から完全に切り離されたその一角は、まるで世界の果てに一時的に切り取られた「余白」のような場所で、吹き抜ける風の音すら薄い。
その何もない空間に、清明は佇んでいた。
少し離れた場所には、こはくが静かに立っている。何かをするわけでもなく、ただそこに存在するだけ。清明はその掴みどころのない姿を見つめ、少しだけ間を置いてから、ぽつりと口を開いた。
「道満のことなんだけどな」
こはくはピクリとも動かない。その深い瞳の視線も、何一つ変わることはなかった。
それでも清明は、少しだけ視線を柔らかくして、慈しむように言葉を紡ぐ。
「あいつは素直じゃないし、あなたに対して常に不遜な態度をとるかもしれない。だが、あなたのことをかなり好いている」
一拍の間。清明は自分の言葉を吟味するように、少し考えてから苦笑交じりに言い直した。
「好いている、という言い方が正しいかは分からないが……。――『執着している』、と言った方が、あの男の本質に近いかもしれないな」
こはくは何も言わない。だが、清明は相手がその無言のまま、自分の言葉を確実に「聞いている」のだと確信していた。だからこそ、視線を逸らさずにそのまま続ける。
「それは、ただの歪んだ執着じゃない」
清明の視線が、どこか遠い過去を想起するように、わずかに泳いだ。
「あいつは……やっと見つけたんだと思う」
再び、こはくの方へと視線を戻す。
「誰かを一方的に守る側でもなく、何かを強引に奪う側でもない。守られる側でもなければ、都合よく利用する側でもない」
言葉を一つずつ丁寧に選びながら、ゆっくりと語りかける。
「ちゃんと対等に、自分の隣に置ける相手。そんな存在を、あいつは長い時間をかけて、ようやく見つけたんだ」
清明の声はどこまでも淡々としていたが、そこには道満という男の孤独を知り尽くしているからこその、整理された深い優しさがあった。
「それが、あなただ」
こはくは動かない。清明はその静寂を確認するように、一度だけ愛おしげに目を細めた。
「道満はたぶん、頭が良すぎるせいで、自分のその感情をまだ自覚していない。だから、あなたに対して色々と面倒な振る舞いをするんだろうけどな」
風の途絶えた空間に、言葉だけが静かに落ちていく。
清明は少しだけ歩み寄り、こはくとの距離を縮めた。距離を詰められても、こはくは逃げるような素振りは一切見せない。清明はその境界線のない佇まいに、静かに言葉を重ねる。
「私から見ている限りだと、道満はあなたという存在に、かなり救われている。……まあ、あなたにとっても、あいつの存在が何らかの救いになっているのかもしれないが」
そこで一度、明確に言葉を切った。清明は少しだけ視線を伏せ、その表情に微かな陰りを滲ませる。
「だから――」
声のトーンが、もう一段階優しく変化した。
「できれば、今後もあいつと一緒にいてやってほしい。見捨てずに、隣にいてやってくれ」
そこまで言ってから、清明は自分自身の過保護な物言いに気づき、少しだけ決まり悪そうに苦笑した。
「はは、何だかこれでは、あいつの親のようだな。同僚でもないし、今の私たちは……何だろうな、ただの腐れ縁か」
小さく息を吐き出し、視線をこはくへと戻す。こはくは相変わらず、深い無言のままそこに佇んでいた。清明はそれでも構わずに、最後に一番伝えたかった言葉を口にする。
「今の方が、ずっといい顔をしている。今のあいつの方が、ずっといい」
そこでようやく、清明は全ての言葉を止めた。
辺りを沈黙が支配する。やはり、こはくからの返事はない。
それでも清明は満足したように、もう一度だけ軽く頷いてみせた。
「……以上だ。聞いていたかどうかは、分からないけれどな」
少しだけ肩の力を抜き、いつもの軽妙な雰囲気に戻る。こはくは何も返さず、ただそこに静かに存在しているだけだった。清明はそれを見て、ふっと憑き物が落ちたように息を吐き出す。
「まあ、いいか」
そう言って、清明は静かに視線を外した。
その地獄の一角に残されたのは、説明でも命令でもない、ただ二人の現在地をそっと確かめ合うような、温かい境界の言葉だけだった。




