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道満、力を追うが逃げられる

こはくと契約する前の話。シリアス寄りです。

空は低く、歪んでいた。

結界の外れ。祓いの痕跡がまだ熱を持って残る領域に、上位存在は膝をついていた。


その姿はすでに“神格”ではなかった。

力を削がれ、形を保つのがやっとの残骸だった。

それでも、口だけは動く。


「……どうか」


掠れた声が、地に落ちる。


「どうかお力を……」


震える指先が、何もない空へ伸ばされる。


「我らに、力を……」


言葉は祈りの形をしていた。

だがそれは救いではなく、執着だった。


道満は少し離れた位置に立っていた。

黒い気配が、足元からゆっくりと広がっている。


戦闘は終わっている。

周囲には破れた結界の残骸と、祓いの痕が散っていた。

その中心で、ただ一つだけ“生き残っているもの”が祈っている。

 

「力?」


道満はその言葉を繰り返す。

感情のない声ではない。

だが温度もない。


「今、力と言ったか」


一歩、踏み出す。

地面に落ちた霊的な残滓が、微かに軋む。

上位存在は顔を上げる。

その目には恐怖が浮かんでいる。

だがそれ以上に、必死さがあった。


「我らは……従う……」

「ただ、滅びを避けるために……」


言葉は途切れ途切れだ。

祈りの形をした取引だった。

道満は小さく息を吐く。


「……教えろ」


短い命令だった。

その声音に、迷いはない。


「その“力”とは何だ」


上位存在の体がわずかに震える。

今この場で最も恐れているのは、死ではない。

“語らないまま終わること”だった。


「我らが祈るものは……」

「白き気配……中心……」


言葉を選びながら、必死に繋げる。


「神々すら……その名を伏せる……」

「崇めるしかない存在……」


道満の視線がわずかに細くなる。

風が止まったように感じられた。


「続けろ」


それだけだった。

圧ではない。

だが拒否を許さない空気だった。

上位存在は喉を鳴らすようにして続ける。


「力を与えるもの……」

「我らが存在を許されるための……上位の源……」

「触れれば逃げられぬ…」

「白い……ただ白い気配……」


その言葉が落ちた瞬間、空気が一段変わる。

道満はその“白”という単語だけを、静かに拾った。

少しの沈黙。

そして道満は、ようやく口を開く。


「……それでいい」


上位存在の肩がわずかに緩む。

助かった、と錯覚した瞬間だった。

だが次の瞬間、道満は何の躊躇もなく術式を展開する。


「では死ね」


静かな声だった。

逃げる間もなかった。

上位存在の祈りは、途中で途切れる。

術式が空間を焼き、残滓ごと存在を削り落としていく。

焼き尽くされた後、そこに残るのは静寂だけだった。

道満は崩れた地面を見下ろす。


そして、先ほどの言葉を反芻する。

白い気配。

神々が崇めるもの。

力を与えるもの。

存在の中心。


道満はゆっくりと目を閉じる。

その中で、その言葉だけが形を持ちはじめる。

ただの噂ではない。

ただの祈りでもない。


「……力、か」


低く呟く、目を開く。

そこにはもう、迷いはなかった。


道満は歩き出す。

その先に何があるのかは知らない。

だが、辿るべきものだけは決まっていた。

“白い気配”という名の、まだ見ぬ中心へ。




山の気は低く、湿っていた。

踏み荒らされていない土は深く、夜を含んだまま馬の蹄を鈍く沈める。枝は高く、葉は重く、月の光すら地へ届くまでに幾度も砕けた。風は通るが、道はない。ただ獣だけが通る細い獣道の痕を、道満の馬だけが拾って進む。


前を行く白が、木々の間を滑るように駆けていた。


獣の骨格に近い、馬のような体躯。だが蹄ではない。地を掴む四肢は獣じみてしなやかで、踏み切るたびに鱗の下で筋が滑る。長い尾が枝を払い、鬣に混じる白毛が夜気を裂く。頭部は竜の骨格を残し、半ば獣、半ば異形のまま、振り返るでもなく森を駆けていく。


速い、という言葉では足りなかった。

あれは走っているのではない。ただ地の上を移動しているだけだ。山そのものが白を通して流れているように見える。


「……相変わらず、手間をかけさせる」


馬上で道満は低く呟き、片手で手綱を絞った。

揺れる視界の中で符を抜く。指先で折り、歯で裂き、短く呪を噛む。霊力を通された札は細く捻れ、矢の形へと収束する。封の術式を幾重にも重ねた拘束の矢。射抜くためではなく、動きを止めるための術具。


弓を引く。


狙う先、白は一度だけ振り返った。

赤い目が夜の奥で細く光る。逃走の最中だというのに、焦りはない。獣が背を見せて逃げているのではない。追わせているだけだ。


矢が放たれる。

風を裂き、木々の隙間を縫い、白の前肢を狙って落ちる。


着弾の直前、白が身をひねった。

避けるというより、術の軌道そのものを見切っていた。矢は前肢の外を掠め、地に刺さる。次の瞬間、封が起動し、地面から黒い縄のような呪縛が跳ね上がる。絡みつくように白の脚を狙うが、白はその場で軽く跳ねただけで、それを越えた。


まるで子どもの遊びだった。


「……そう来るか」


道満の声に熱はない。

ただ、わずかに口元だけが歪む。


袖の内で印を切る。

次いで、馬の影から黒が零れた。


影は一つではない。

地を這うように伸びた闇が四肢を得て、狼の形を取る。骨の浮いた痩せた輪郭、目だけが仄白く灯る黒い獣。道満の式で組まれた追跡の影。声もなく地を蹴り、左右へ散り、白を囲うように森へ走る。


前方の一体が白の進路を裂き、もう一体が側面へ回る。

遅らせるための追い立て。止めるためではない。白の足を乱し、わずかでも歩を鈍らせるための布陣。


白は速度を落とさない。


影狼が喉元を狙って跳ぶ。

白はそれを避けもしなかった。身を沈め、走る勢いのまま肩で受け、影を木へ叩きつける。霊で組まれた狼は音もなく弾け、散った黒が再び地を走る。別の一体が脚へ食らいつく。白は煩わしげに尾を振るい、それだけで影を払った。


速さではない。

戯れている。


木々の合間を抜けるたび、白の尾がわずかに揺れる。

追いつけるものなら追ってみろとでも言うように、距離だけを絶妙に残して前を行く。振り切ることは容易いはずなのに、それをしない。逃げるためではなく、追わせるための走り方だった。


「……暇潰しか」


道満はもう一本、矢を番える。

今度は封ではなく、鈍化の術式。足場ごと沈める類のものだ。放つ。着弾。白の前方で術が開き、地が泥のように沈む。


白は止まらない。

沈む前に飛ぶ。白い体躯が木々の間を大きく越え、枝を踏み、幹を蹴り、そのまま山肌へ降りる。重さを感じさせない着地だった。獣の形をしていても、あれは重力に従っていない。


追いかけながら、道満は手綱を引く。

馬が荒く息を吐く。こちらは生身だ。霊力で補強してなお、地を走る以上は限界がある。


前方、白がふと足を止めた。


開けた岩場の縁。月光がようやく落ちる場所で、白は振り返る。

白毛の混じる鬣が風に揺れ、赤い目だけが静かにこちらを見る。息一つ乱れていない。追跡の全てが遊戯でしかなかったと告げるような顔だった。


影狼が左右から詰める。

道満も最後の札を指に挟む。


白はしばらく、ただこちらを見ていた。


それから、満足したように尾を一つ振る。


次の瞬間には、もういなかった。


跳んだ気配だけが残る。

影狼が崖際へ飛びつき、空を裂いて落ちる。追いつかない。白は岩場の向こう、森のさらに奥へ、最初からそこに道があったかのように消えていた。


残ったのは、踏み荒らされた土と、裂けた枝と、夜気の冷たさだけだった。


道満は馬上で息を吐き、弓を下ろす。

逃した、という感覚は薄い。最初から捕まる気などなかった。


「……満足したなら、それでいいか」


返事はない。

あるはずもない。


影狼だけが岩場の縁で低く唸り、主を見上げる。


道満は崖の先を一瞥し、手綱を返した。


「戻るぞ。……あれは、追わせたい時だけ振り返る」

道満の出会い編が始まります。

しばらくシリアス展開にお付き合いよろしくお願いします。

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