表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/26

陰陽師 道満の死後、式神として使われる

断片集になります。

■ 断片:影の牢

 

そこには、音というものが存在しなかった。

ただ、符の擦れ合うかすかな気配だけが、時折ひどく遠いところで寂々と鳴り響いている。

 

縛り吊られたままの道満は、重い瞼を薄く開けた。視界の端から端までを埋め尽くす無骨な岩肌と、そこにびっしりと貼り付けられた符。変わらぬ暗がりであり、何一つとして変わることのない静けさだった。

 

「……来たのか」

 

姿を見ずとも、気配だけでそれと分かった。空気の密度がわずかに変質する、ただそれだけの変化で彼には十分だったのだ。

 

「暇潰しにしては、随分と静かな趣味だな。我が主」

 

返事はない。闇はただ沈黙を守っている。

 

「見に来ただけか」

 

やはり、返ってくる言葉はなかった。道満は小さく、諦めたように息を吐き出す。

 

「結構。喋らん相手には、こちらが勝手に喋るしかないというわけだ」

 

視線だけを不遜に持ち上げると、暗がりの向こうに、ぽつりと佇む「白」がいた。

 

「どうだ、使い心地は」

 

わずかに口の端を歪め、愉しげに、あるいは挑発するように言葉を紡ぐ。

 

「生前最強とまで謳われた術者を、こうして棚に吊るしておく気分というのは」

 

それでも返答はなく、対峙する視線はまっすぐ前を向いたままだ。

 

「我が主は昔から、寄越すものだけを一方的に寄越して、答えというものは一つも寄越さんな」

 

重苦しい沈黙が空間を支配する。

 

「炎だけを置いて消え、契約だけを結んで消える。そして死ねば律儀に回収して、今度はこうして棚に吊るすわけだ」

 

身体を拘束する縄が、身じろぎに応じてわずかに軋んだ。

 

「随分と、無駄がない」

 

道満は低く、喉を鳴らすように笑う。

 

「だからこそ、厄介極まりない」


 

■ 断片:召喚(退屈)

 

どろりと影が割れ、張り巡らされていた符がひとつ、またひとつと解けていく。それによって生じた洞のような暗がりが、こちら側の現世へと繋がった。

 

道満はその空間の裂け目から、まるで引き上げられるようにして大地に立つ。足が地を踏み締める感覚こそ確かにあったが、それは安定しているというより、あくまで「一時的な滞在を許されている」に過ぎない不安定なものだった。

 

周囲を見渡せば、そこはとある屋敷の外縁だった。歪んだ結界の隙間から、侵入を果たした異形たちの禍々しい気配が漂ってくる。戦場としては申し分のない舞台のはずだが、今の道満にとっては、すでに見飽きてしまった種類の「退屈の形」でしかなかった。

 

「……また、これか」

 

落胆を隠そうともせず、小さく息を吐き出す。

彼の指先に、ゆらりと黒い炎が灯った。揺らめく火の粉はどこまでも静かで、それは機嫌が悪いというよりも、もはやこの役割に深く慣れきってしまっている色を帯びていた。

 

前方で異形たちが蠢き始める。数もそれなりに多く、形状も様々だったが、どれもこれも似たような「壊し方」で片が付く程度の存在に過ぎない。

道満はそちらを見る価値もないと言わんばかりに、退屈そうに視線を逸らした。

 

「せめて、もう少し工夫くらいしたらどうだ」

 

誰に向けるでもない呟きと共に、彼は懐から符を一枚、無造作に投げ放つ。

符は空中で鮮やかに展開したが、その術式が完全に広がりきるよりも早く、容赦のない黒炎が空間を駆け抜けた。

 

文字通り、一瞬の幕切れだった。敵にとって、動きの予測も、必死の回避も、何一つとして意味を持たない圧倒的な速度。道満は煤混じりの風が吹き抜けるのを見届けながら、ほんのわずかに目を細めた。

 

「……退屈だな」

 

その声に、激しい苛立ちは含まれていない。ただ冷然と、目の前の事実を確認しただけのような淡々とした響きだった。

 

戦場はまだ続いている。だが、これはもはや戦いなどではなく、単なる処理であり、消化であり、不毛な繰り返しの変奏に過ぎない。

黒い炎が、彼の意思に呼応してもう一度激しく揺らめいた。

 

「まあ、いい」

 

道満はゆっくりと歩き出し、異形が崩れ落ちていく不快な音の中で、事も無げに言葉を続ける。

 

「呼ばれないよりは、まだマシというものか。永遠にあの暗がりに放置されるのは、どうにも私の性に合わん」

 

符が激しく燃え上がり、空気が悲鳴を上げて裂ける。

 

「こうして都合よく呼ばれ、いいように使われて」

 

そこで一拍、楽しむように間を置いた。

 

「そうされることで、少しは、この終わりのない退屈に刺激が入る」

 

猛然と炎が跳ね、視界のすべてが鮮烈な赤に染まっていく。

 

「……まったく、便利な身分にされたものだ」

 

吐き出された皮肉はひどく軽く、自嘲のニュアンスすら含まれていない。それはただの、彼にとっての口癖のようなものだった。

背後から、新たな敵の気配が迫る。しかし道満は振り返ることすらしないまま、言葉を紡ぎ続けた。

 

「なあ、我が主よ」

 

その声は目の前の戦場へ向けられたものではなく、時空を超えたどこか遠くの存在へと向けられている。

 

「せめて次は、もう少し退屈させない呼び方をしてくれ」

 

黒い炎が爆発的に収束し、一瞬の、耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。そしてすぐさま、次の凄絶な戦闘が幕を開けた。

道満はそれを見つめながら、ふと、低く小さく笑った。

 

「呼ばれなければ、永遠にあの中に囚われたままだ。……それでは困るからな」

 

再び燃え広がる炎の光が、彼の不敵な面構えを妖しく照らし出していた。


 

■ 断片:召喚終端

 

凄絶な戦闘は、すでに跡形もなく片付けられていた。

黒い炎が忌まわしい残滓を綺麗に飲み込み、それに応じて結界の歪みも静かに収束していく。地面にはただ、崩れ去った異形の無惨な残骸だけが転がっており、冷たい夜風がそれを乾いた音もなく静かに撫でていた。

道満はその光景を一瞥しただけで、たちまち興味を失ってしまう。

 

「……やはり、この程度か」

 

吐き出されたのは、押し寄せる退屈を辛うじて噛み殺すような低い声だった。式神としての肉体は未だ現世に繋ぎ止められているものの、その内側では、すでに次なる退屈の波が静かに始まりつつあった。

 

ふと視線を向けた先に、こはくが佇んでいる。

変わらず、揺らがず、確かに人の形をしておきながら、人としての有機的な反応を一切持たない。その「異様なまでの静止」が、今の道満の目には妙に引っかかった。

 

彼は吸い寄せられるように、ゆっくりと歩みを進める。距離は近かったが、それを縮めることに大した意味などないことは、これが単なる物理的な距離の問題ではないのだと、どこかで理解していた。

一歩。

そして、二歩。

やがて道満は、こはくの目の前でぴたりと足を止める。

そうして何の脈絡も前触れもなく、彼はこはくの細い首元へと、不躾に手を伸ばした。

 

指先がその喉元に触れかける、まさにその瞬間――当然のように止められるだろうと、道満は踏んでいた。しかし、予想に反して何の制止も入らない。

 

緊迫する空気の障壁も、術による防衛も、拒絶の言葉すらなかった。ただそこにあったのは、まっすぐに自分を見つめ返してくる、あの硝子細工のような赤い瞳だけだった。

動かず、逸らさず、決して逃げようともしない。

 

「……」

 

道満の指先が、標的の手前でわずかに泳ぐようにして止まった。

止めないのか、と。その驚きを含んだ理解が、時間差で脳裏に落ちていく。

今までの召喚は、純然たる使役であり、制御であり、明確な上下関係の誇示であったはずだ。だが、この目の前の光景は違う。これは制御などという枠組みの遥か外側で、奇妙に成立してしまっている静けさだった。

道満は薄く、品定めするように目を細める。

 

「……ふん」

 

小さく吐き出された息と共に、退屈の澱が溜まっていた時間の層へ、明確に質の異なる別の質感が混じり合っていく。反応のない木石のような相手ではない。目の前にいるのは、反応そのものの規格が根本から異なっている存在なのだ。

 

止まっていた指先が、ほんのわずかに動いた。

喉元を愛おしむように、あるいは脅すように、ただ一度だけ、境界線をなぞるようにして優しく触れる。

それを受けて、こはくの身体がわずかに反応を示した。ほんの一瞬だけ、微かに揺れた。それだけだった。

 

だが、そこには明確な拒絶もなければ、不快による押し返しもない。道満はそこで、自らの中の興味が鮮やかに更新されていくのを感じながら、酷薄に目を細めた。

 

「……ふむ。これは、面白いな」

 

満足したように手を離すと、彼はそのまま迷いのない足取りで数歩後ろへと下がった。距離を取るその動きには一片の未練もなく、執着ではなく、ただひとつの確認作業が終わったという明確な切り替えに過ぎない。

しかし視線だけは外さないまま、彼は短く告げた。

 

「ふん。早く術を解け」

 

それは命令でも哀願でもない、ただ導き出された結論としての言葉だった。

その言葉に応じるように、黒い式の輪郭が足元から静かに崩壊し始める。影がずるりと剥がれ落ち、まるで意志を持つ縄のように空へと還っていく。

現世との接続が希薄になり、身体が急速に軽くなっていくその感覚の中で、道満は小さく、愉快そうに笑った。

 

「……酷く飽きていたところだったが」

 

影が彼の膝元まで沈み、現世の光景を覆い隠していく。

 

「少しは、退屈が紛れた」

 

視線の先には、最期まで変わることのない、あの鮮烈な赤。別れ際に一度だけそれを見据えてから、彼は言葉を落とした。

 

「またな」

 

その声は、いつもの刺々しい皮肉よりも、ほんの少しだけ軽やかに響いた。そうして、式は完全に解かれ、彼の姿は闇へと消えていった。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ