9 腕試し
ラシュが手を振り上げた瞬間、先に動いたのはソルだった。
(視界から消えた……?)
音も立てずに土埃だけ残して消えた男。朝は即座に気を集め、手のひらに雷を凝縮させる。爆ぜる空気の音と共に現れた薙刀を、力強く握りしめた。
右か、左か、或は後ろか。時間にして一秒にも満たない刹那の駆け引き。息を吐く間も許されない。
僅かに風が髪を揺らした。
「――――っ!」
朝は自身の首を守るように防御の体勢をとる。
同時に、腕が痺れるような衝撃が走った。真正面から。突き上げるように。薙刀が防いだのは天雷のように鋭く、容赦無き蹴りだった。
「あっは」
足元に見えるのは体を片手で支え、逆立ちするような体勢のソル。一瞬見えた彼の目は獲物を追う獣のように輝き、口は高揚を表すように弧を描いている。本人も無意識なのか、失笑が溢れていた。
(殺す気で――とは言われたけれど……手合わせの範疇を超えてるな…………)
これはあくまで力量確認のための親善試合。初手で急所を狙ってくるとは、想定外だった。
無意識に油断していたのか、朝の首裏に冷や汗が滲む。あと一拍、防御が遅ければ直撃は免れなかっただろう。顎を蹴られ、一撃で黒星確定である。
鎬を削る朝とソル。いくら朝に戦闘経験があるとはいえ、男女の筋力はそう簡単に覆らない。このまま続けば押し返されるだろう。
「流石だな……でもこれならどうよっ!」
――と、考えあぐねる朝を他所に、ソルは足を一度離し、体を捻る。僅かに緩んだ好機、朝は反射的に刃を流し、自身のペースを掴み取る。
ソルの地面に着いた手が入れ替わり、旋回する駒のような流れる動きが風を生む。間髪入れずに次の攻撃が朝を襲う。
(型に嵌った武術ではない……かといって無秩序な暴力という訳でもない? 彼特有の独特な調子があるのか……)
相手が文字通り「殺しに来る」というのならば……と、朝も狙いを変えた。
もはやこれは戦力としての誇示ではなく、命さえも賭けられるという覚悟の証明なのだ。
ソルの追撃を防ぐこと無く、朝は薙刀を回す。彼の軸になっている腕を切り払う算段で。
防御に徹するよりも、攻めに転じる。肉を切らせて骨を断つのが、鷹槌朝の戦闘理念。
薄皮を撫でた感覚と、頬を擦る熱が訪れる。僅かに視界が揺れた。
「アイツらまじか…………」
刻まれた草木が舞うと同時に、ラシュらしき声が聞こえる。集中した朝の耳でははっきりと判別できなかったが、呆れたような、信じられないと言うような声であった。
「っはは! あっぶねー」
朝の殺意を察したソルが跳ねるように距離を取る。彼の腕に一筋の裂傷が描かれている。
朝も頬を滴る血を雑に拭う。ヒリヒリと目が覚めるような刺激が脳髄へ走った。
「やるじゃ〜ん、朝ちゃん。前の人攫いの時も思ったけど、やっぱりアンタ殺し慣れてるな?」
「慣れたい訳ではなかったんだけど…………待って? なんで知ってるの」
「そりゃあ勿論、見てたから」
両手で薙刀を握り、腰を落とす。攻めの体制に入る朝に、ソルが雑談を誘う。
指で作った円を覗くような仕草をする彼。狼のルフと難なく会話していたことを察するに、彼は動物と意思疎通ができるのかもしれない。
「今の季節は寒さから逃げるために渡り鳥が集まってくるんだよ。この島これでも暑い方だからね」
と、続けるソル。単なる交流にも思えるが、油断は禁物。話で気を逸す策略の可能性も捨てきれない。
朝は薄く、細く、気配を研ぎ澄ますように息を吐く。
薙刀の刃が日光を反射する。
一方、再び地面に手を付き、四足獣のような構えをとるソル。その四肢が土を抉り、バチバチと音を奏でる。それはまるで朝の雷術のように、小さな火花を散らしていた。
「おぉ、怖。でも殺し慣れてるって、別に貶してる訳じゃないぜ。アンタのそれは生存戦略だ。褒め言葉だよ――!」
言い終わるや否や再び姿を消したソル。先の移動は見えなかったが此度は痛みが効いたのか、覚醒した朝の動体視力がはっきりと影を捉えた。上だ。
「…………あれは、鳥?」
高く飛び上がったソルの身体は、とても人のものとは呼べなかった。肩から先に生えているのは腕と言うよりも翼。衣服に隠れて判別つかないが、足に当たる部分には猛禽類のような枝分かれした指。鋭い爪が朝に狙いを定めている。
(――――っ、眩しい……!)
上を向いてしまったのが朝にとって運の尽き、否、失態だった。
若草色の瞳がソルの異形姿を捉えたまでは良かった。しかし、彼女の瞳孔は天にて燦然と輝く火輪をも受け入れる。
視界が暗く染まり、瞼の裏で星が瞬いた。
「余所見する暇はねぇぞ!」
煽るようなソルの声が響く。
不意をつかれた朝。僅かに視認できる靄の向こうで、風を切る音が聞こえた。
気道を頼りに手探りで長柄を振る。何かを打ち返すような振動があるものの、芯を外したのか鈍く痺れるような波が襲う。
(まずい……目がチカチカする…………)
数回の瞬きを繰り返し、朝の視界は漸く元に戻った。
同じ轍を踏まぬよう目を細めながら空を見ると、勝ち誇ったように見下ろす異形のソル。
自然界全てを味方に付ける彼の方が一つ上手であった。
「よし……だいたい力量は掴めた。朝ちゃんもそうだろ?」
「……なんの事かな」
「はは! 白々しい。この手合わせ、おれがアンタの戦力を見定める体で始めたけど……逆もまた然りだった。違うか?」
ソルの言葉には、軽い口調の裏に、獲物を狩る獣のような獰猛さが隠れているかのよう。何よりその目が、こちらを捉えて離さない。
「ま、そこの真偽はどうだっていいさ。重要なのはそこじゃあね〜」
空に羽ばたくソルが体勢を変える。翼を広げ、朝を目掛けて爪を向ける。まるで弦に引かれる鏃のように。
「なんとなくだけどわかったぜ、アンタのこと」
ソルの声に嘲るような愉悦が混ざる。あえて怒りを引き出そうとしているのか、或は別の……朝の持つ本性を暴こうとしているのか。
「アンタは強い。そして斬り捨てられる人間だ。倫理観も、道徳心も、人間性さえも。感情はあるけれど、行動には然程影響しない。非情なまでに機械的で合理的だってことが」
心理を見抜かれた気分だった。全くもってその通り。
朝の鼓動が徐々に早足になっていく。血の巡りが加速し、全身を駆ける。
「さぁ、名残惜しいがこいつで最後にしよう! これを防ぎ切れば、おれはアンタを文句無しに最適解と言える」
逆光ではっきりとは見えないが、朝は、ソルの全身が歓喜に打ち震えているような気配を感じた。
高揚し、悦楽し、これ以上なくこの手合せを謳歌している。
その証拠に、今彼が撃とうとしているものはたかが手合わせには役不足。ソルという戦士の本気、その一端が垣間見える。
「だから……頑張って死ぬなよ――――朝ァ!!」
高らかに叫んだソル。再び逆光に隠れ、空気の流れが嵐の前を表すように息を潜める。
静寂を切り裂くように、空を駆ける星のように、ソルは一直線に蹴り込んだ。
「防ぐ…………? ふふ、まさか!!」
対する朝の頭には、初めから防ぐ事など毛頭ない。一歩前に踏み出し、薙刀を振り上げる。雷鳴を奏でる刃が、男の足へ向かって軌道を描く。
真正面から、引き寄せられるように爪と刀が距離を縮め――――
「――――両者そこまで!!」
間に入った者の手によって、歩みを止めた。
☆
行き場を失った勢いが風となって草木を揺らす。木々から見ていた鳥たちが一斉に逃げ出した。
「やっぱりこうなるのか……ソル、これはあくまで手合わせなんだろ?何楽しくなってるんだよ」
「いやぁ〜、つい?」
「つい、じゃねえよ本当……勘弁してくれ」
「ごめんって」
朝、ソル、両者ともに自身の中でも上位の技を放ったつもりだった。――が、それらが相手を傷つける前に、物理的に静止を余儀なくされていた。
「朝も朝だ。お前さん、強いのは確かだが自分を顧みないのは危険だぞ。このバカ野郎は止まれないからな」
「あ、はは……善処します…………止まれないのは私もだけど…………」
「似た者同士だったか……」
朝が持つ薙刀の刃を自身の大剣で受け止め、鳥の形をしたソルの趾を握るラシュ。
彼は顔色一つ変えずに二人の間に割って入り、双方の衝撃を無傷で同時に防いでみせた。
呆れ顔で朝を諌めるラシュ。バカ野郎と称したソルの足からパッと手を離し、脱力するようにフラフラと手を振った。
「ま! とりあえず止めてくれてサンキューな。朝ちゃんも付き合ってくれてありがとね。お陰で希望が見えたぜ」
火花を散らすソルの腕から羽が消え、次第に人のものへと戻っていく。足も同様、気が付けば彼が元々履いていた靴が存在していた。
「だから言ったろ? 朝はわたしたちの最適解。間違いなく、戦える迷イ人だって!」
離れたところに座っていたセシラも近づいて来た。彼女は風で崩れた朝の髪を手で梳かしながら、自慢げに微笑んでいる。
ふわふわと撫でる手つきが、戦闘後のピリついた精神を解いていくようだ。
死の淵にあっても崩れなかった朝の顔も、戦いから離れれば自在に心を表す機能を取り戻す。今は、セシラによる慣れない温もりに動揺を隠せずにいた。
「で? どうなんだよソル。満足したのか?」
「あぁ、正直想像以上。ひっさびさに楽しかった〜!」
朝がセシラに釣られてソルを見ると、彼は随分と清々しい顔で笑っている。しかしすぐに真剣な眼差しに戻り、徐に手を差し伸べた。
「んで、だ。――朝ちゃん、改めて言わせてもらうぜ。
おれたちの……いや、これからも来るだろう迷イ人の為に、アンタのその異界の力を貸してほしい」
真っ直ぐ朝を射抜く金色の視線。不安も無ければ緊張もない、断られることなど想定外と言いたげの愚直さ。
朝は一切躊躇うことなく、差し出されたその手を取った。
「――勿論。私の刃、あなた方に預けます」
空に登った太陽が、声援を送るように輝いていた。




