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10 故郷の味、這い寄る危機

 静まり返った大広間。相変わらずの淀んだ紫煙が男の肺を襲う。燻した香木の匂いが服に染みついていく。

 男が初めて訪れたときは、あまりの煙たさから盛大に咳き込んだものだが、今となっては慣れたもの。長の偉大さを視覚、嗅覚から直接的に表す記号として、脳に刷り込まれていた。

 

「して、ゼイルよ。一昨日の迷イ人、あやつはどうなった」

 

「いつも通り、大陸のゴロツキを雇ってこちらに渡すよう指示をしました…………が」


 長の低く(しわが)れた声が男の頭上に降りかかる。男は、自身を見下ろす冷徹な視線に耐えきれず、ほんの僅かに目を泳がせた。


「接触したという報告は来ましたが、その後一切の連絡が途絶えております」

 

「チッ……よもやあの外道ども、他の者に売ったわけではあるまいな?」

 

「…………僭越ながら申し上げますが、それはないかと。少なくともこの時代、迷イ人に対して護リ人以上に金を出す者はおりませぬ」


 『迷イ人』という存在が世間に知られ始めたのはここ数年。興味を抱き、奴隷や飾りとして手を伸ばす輩は稀にいるが、大陸に住まう貴族の殆どは未だ価値を測りかねている段階だった。


「万が一居たとして、あのゴロツキ達が護リ人以外を優先する――つまり我らとの縁を切ることはないでしょう。それ即ち、威を借る虎を失う狐になり果てるということですから」


「ならば何故来ない。神は既に次の贄を待っておるというのに」


 長の声がさらに低く震え、筋肉の衰えた足が床を鳴らす。彼の行動の全てが苛立ちを表している。

 

 側近の男は、長の殺意に似た禍々しい魔力に僅かな生命の危機を抱いた。膨大な記憶と思考が脳神経をかけめぐる。それはまるで走馬灯のようで、どうにかして生存の希望を探そうと足掻いていた。

 

「見つけられなかった、あるいは邪魔が入った…………まさか!?」


 男の思考の網に、僅かな可能性が引っかかった。ハッと上げられた男の顔は、薄暗い部屋の中でもわかるほど青ざめている。

 その様子を冷やかに見つめる長。彼もまた同じ結論に至ったらしい。抑揚のない声が鼓膜を撫でた。

 

「のぅゼイル=ドラッド。貴様の息子、今何をしておる」

 

「…………森に引きこもったまま連絡が途絶えております。奴が……あの愚息が大人しくしていろと言われて従うはずもない。直ちに確認して参ります!」


 弾かれたように男が立ち上がる。その勢いで、部屋を漂う煙が道を開けるように流れていく。


「はっ……あのクソガキどもめ。奴ら如きが何をしようが神の御前では蛆虫よりも非力なのだと、いい加減学ぶがよい」


 礼をして広間から姿を消した後、長の嘲笑が静かに消えた。


 

 ☆。.:*


 

「セシラ……これ一人で作ったの?」


「その通り! お前達がヤバめの試合してる間にな」


「す……すごい…………美味しい…………」


「え、泣くほど?」

 

 ソルとの手合わせ後、「打倒天神・護リ人の古株達」の会議を行っていた朝達。彼女達は会議を兼ねて、セシラが作ったのだという昼食を取っていた。


「セシラが朝ちゃん泣ーかせたー!」


「はぁ?! え? これ、わたしのせい?」


「ぐすっ……すみません、故郷の味に似てて……なんか、懐かしくて…………」

 

 突き抜けるような晴天の(もと)、森の動物達を交えた食事会。元の世界でも久しく目にすることの叶わなかった、和気藹々とした交流の場。

 

 近日決行の作戦確認を兼ねているとはいえ、肌を撫でる森林の空気と囁かな小鳥の歌声の前では、そんな喧騒些細なこと。

 そして何より、舌を包む素朴な旨み。不慮の事故にて単身異世界に放り出された朝にとっては、遅効性の毒のように緩やかに効く特攻剤であった。


「特にこれ、お芋の……餅? 団子? 甘くて、私が好きだったやつとそっくり。あとこのお魚。今朝も見たやつ……なんか見た事ないけど、これもふわふわで美味しい……」


「朝ちゃん意外と語彙が貧弱だよな」


「しっ、余計なこと言わない」


 「美味しい」、「甘い」、「もちもち、ふわふわ」しか言わなくなった朝。ポロポロと涙を零しながら頬張る様子は、彼女の隣で木の実を溜め込むリスと同様。

 

 自分でも気が付かないうちに、ずっと気を張っていたのだろう。目の前で交わされるソルとラシュのやり取りさえも、かつての平穏を思い出させじんわりと胸に染み渡った。

 

「あぁほら、涙拭けよ……飯がしょっぱくなっちゃうだろ?」


「アゥ〜〜」


 嗚咽を漏らしながら泣き腫らす朝を、セシラが甲斐甲斐しく世話をする。

 ルフを始めとした子供動物達も慰めようとしているのか、次々に朝の周りに集まった。彼等はまるで団子のようになっていき、毛玉の温もりがふわふわと包み込むようだった。


 

 ☆


 

「さて、まぁ大体の作戦はさっき言った感じ。各員なにか質問は?」


 微笑ましい光景を横目に見ながらソルが話題を切り替える。いつまでものんびりしている訳にもいかないのだろう。

 朝は舌に残る懐かしさを名残惜しく思いながらも涙を拭い、真剣な顔で手を上げた。


「……質問という訳では無いのですけれど、肝心の神を殺せるかが不安……というか、不確定要素が多すぎるというか」


「それはそう。けど別に神は不死身じゃあねぇ。神話の中にも神の死は記述されてるからな〜。それも殺したのは異世界人だし」

 

「ふむ。こうして見ると、今の作戦はまるで神話の再演だな」


「いいじゃね〜か、それ! なんかかっこいい…………ん?」


 朝の問いに答えたソル。曰く、天神よりもずっと昔に存在した神達は、何千年も前に死んでいるとのこと。彼はラシュの例えに無邪気に目を輝かせた。

 

 しかし、会話の途中で舞い戻ってきた小鳥の姿を見て、ソルの眉間にしわが寄る。

 小鳥は彼の肩に止まり、慌てふためくようにバサバサと翼を羽ばたかせた。鳥の鳴き声が何を意味しているか分からない朝でさえ、その(さえず)りに焦燥と恐怖が混ざっているのが分かった。


「ソル、どうした?」

 

「まずいな……親父達がおれ達を疑い始めてる。朝ちゃんを匿ってるのがバレたかもしれねぇ」


 黙って小鳥の訴えを聞いていたソルは、唐突に立ち上がった。肩に止まっていた小鳥が逃げるように飛び去っていく。

 心配そうに見つめる森の動物達の視線。ソルはそれらを一切気にすることなく、酷く焦った様子で自身の周りを片付け始めた。

 

「一回帰らねぇと。あの野郎は動物殺してでも森を抜けてくるだろうから」


 朝が恐る恐る覗き込んだ彼の顔は、酷く青ざめていた。しかし、そこには確かな怒りが滲んでいる。

 

「……ならばオレも一度帰るか。ソルの親父さんが動くなら、こっちにも話が来る可能性がある。二人揃って家にいないのが知られたら、何か企んでると思われかねない」


「はぁ……仕方ねぇ。片付けはわたしがやっとくから、お前ら早く行け、な?」


 ソルに続いて渋々立ち上がるラシュ。ソルほどでは無いが、ラシュも又苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 

 一方、嵐のように慌ただしく動き回る彼等を制したのはセシラだった。彼女だけは、我関せずと言うように未だに食事を続けている。まるで一人だけ流れる時間が違うように、サラサラと長い髪が揺られている。


「セシラサンキュー! んじゃあ、計画はさっき伝えた通り。近日……って言ったけど決行は明日に変更!」

 

「それがいいだろうな。先送りにして朝だけ連れてかれるのがいちばん最悪なシナリオだから」


「だろ? で、念の為セシラと朝ちゃんはこの森から出るな。家適当に使っていいから、ちゃんと休んでろよ」


 セシラに手を感謝を述べながらあっち、こっち、指示を飛ばすソル。そしてそれに頷くラシュ。弾かれた小石の如く、テキパキと手を動かしていた。

 

 あまりに急な展開に話が読めない朝。なんの実感も湧かないが、彼等の中では間違いなく、不穏な何かが迫っていることは理解した。

 

「おーけーおーけー。明日、お前らは戻ってこなくていいから、そのまま作戦続けるぜ」

 

「頼んだぁーーーー!」


 セシラが了承したのを確認し、颯爽と走り去っていく男二人。目立つ金髪と白髪が森の奥に消えていくのを、朝や動物達はただただ呆然と眺めていた。

 気が付けば暖かな平穏を覆い隠すように、晴天に雲が増えていた。

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