11 理想と現実のヒーロー
「行っちゃった……」
あっという間に姿を消したソルとラシュ。
朝が護リ人の村がある方向をぼーっと眺めていると、やがて足元で黒い毛玉がうろうろ歩き回っていることに気がついた。
「あ……ルフは行かないの?」
「ウゥ〜〜」
大慌てで走り出したソルに置いていかれたのか、子狼が寂しげに唸り声をあげていた。
朝が優しく抱き上げると、彼女は甘えるように鼻を舐めてくる。ちぎれんばかりに尾を振る姿は、狼と言うよりも近所にいた犬のようで実に愛らしい。
「村の人間は森を危険視してるからな。森に住む動物たちの事は害獣だと思ってるんだよ」
「なんて失礼な……」
黒い柔らかな毛並みにセシラの白い手が埋まった。ルフを撫で回す彼女の手には、大きめの風呂敷が握られている。いつの間にか昼食の片付けが終わっていたようだ。
セシラに撫でられるルフの顔が段々と蕩けていく。幸せそうに舌を出すルフだが、村の人間はそんな彼女達のことを邪険にしているらしい。
「ルフもだけど、ここにいる動物の半数は迷イ人だから……ま、人ではないけど」
「えっ、転移するのって人間だけじゃないの?」
セシラの口から零れた事実に、朝の目が丸くなった。異世界人とひとつの単語になっているため、てっきり転移するのは人間だけだと思っていたのだ。
「当たり前だろ? 人も動物も、物だって流れ来る。それが異世界との繋がりってもんだぜ。現にルフだって魔法っぽい力が使えるはずだ。まだガキだから下手だけど」
「ガウッ」
「ほら下手くそ」
セシラの言葉に対抗するように力むルフ。よく見れば毛先が煙のように揺らぎ、ぱちぱちと強めの静電気が音を立てた。ただの獣でないことは確かなようだ。しかし、すぐに疲れたのか、ぐったりと拗ねたように朝の腕の中で丸まってしまった。
(君たちも私と同じはぐれ者だったんだね……)
暖かな命の波打つ音が、直に伝わってくる。群れで過ごす動物達は、人よりもさらに孤立感があったことだろう。それでもこの幸せそうな顔を見るに、ソルやセシラ、ラシュ達との関係性が伺える。
顔を寄せ合う朝とルフ。それを眺めるセシラは集まっていた他の動物たちの方を向き、言葉を続けた。
慈愛のこもった微笑を浮かべる彼女には、きっとこの動物たちも護るべき迷イ人――否、迷イ獣なのだろう。
「動物は本能的に天神を嫌うから贄に捧げる前に逃げ出すんだよ。それがこの森に集まるもんだから、こんな魔境が生まれた訳」
「それは……ある意味、最初の抵抗軍だね」
「あはは! 確かに!!」
朝がふと浮かんだ言葉を零すと、セシラは一瞬キョトンとした後、声を上げて笑った。混沌とした喧騒を忘れるほどに、華やかで活力のある声だった。
「――っとぉ……いつまでも外に出てないで、とりあえず中に入ろうか。明日のためにゆっくり休まないとだし」
と、空を見上げたセシラ。燦燦と降り注ぐ日光を疎ましそうに手で遮っていた。
☆
家主によって好きに使えと言われたものの、知り合って数時間の人間の家で満足に休養できるかと言われればそうもいかない。
散らかった紙を適当に壁に貼り付けたセシラを見ながら、朝は居心地の悪さに頭を悩ませていた。
「あぁ〜あ、家の風呂に入りてぇな…………この小屋必要最低限しかないんだもんなぁ……見ろよこの箱! 布団の一つも入ってねぇ。あ、そうか……あいつ動物とまとまって寝るから布団いらねぇんだ……」
対して、無遠慮に勝手知ったる顔で小屋を物色し始めたセシラ。しかし、彼女の甲斐も虚しく、人が生活するための道具はほぼ無いに等しかった。
強いて言うなら食器が少し。布の類は薄い手拭いが数枚あるだけ。これで生活しているというのだから、ソルは本当に野性的に生きているのだろう。
「……あぁ〜あ、家の風呂に入りてぇな…………この小屋必要最低限しかないんだもんなぁ」
セシラはある程度人が寛げる空間を確保した後、徐に床に布を広げた。靴を脱いで座れるように、との事だ。
朝は早速寝転ぶ彼女の隣に、おずおずと座り込んだ。
「セシラってやっぱりお風呂好きなの?」
「勿論、好きだぜ。全身の力が抜けるし、考え事するのにも最適だからな」
昨日世話になったセシラの家にも、二人で入れるほど立派な浴槽があった。
心安らぐ檜に似た香り。緊張を解す暖かな湯船。鼓膜を揺らす水の音は、微睡みを誘うようでどこか趣がある。
思い出される記憶の数々。遠い昔に好んだ景色が会話を呼び水にして鮮明に浮かび上がった。
「確かに。私も好きだったな……ゆったりした入浴なんて久しくしてないけど…………明日は晴れるかなーとか、くだらないこと考えてた」
「そうそう! 明日の飯どうしようかな、とか……たまには旅行でも行こうかな、とか。あとは――」
近所付き合いの世間話のような軽やかさから、徐々に空気が重くなる。天井を見上げたセシラの目は、屋根を超えた更に上を見ているかのようだ。
「助けられなかった迷イ人達と、両親のこととか……考えたところでどうしようもないことも…………」
「あ……ご両親、もしかして…………」
「おう、ずっと昔に死んでる。でも別に気にしなくていいぜ。マジで昔の事だから」
「…………」
話の方向を間違えた、と朝は気まずそうに目を泳がせた。当の本人は気にするなと緩く手を振っている。
話題をそらすべきか逡巡する朝に、セシラが寝物語のような落ち着いた声で語り出した。
「わたしさ、この村で産まれた訳じゃ無いんだよ」
「でもセシラは護リ人……だよね?」
「うん。護リ人の両親が旅先で産んだんだってさ。『歴史の証人』っつー遠い国のド田舎」
「『歴史の証人』…………」
「ま、所謂『真の神話を語り継ぐ者』的な?なんて言うんだろ、村全体が考古学者集団……みたいな」
それは彼女の原点。
朝はここで初めて、セシラという人間の立ち位置を理解した。
特異的な人種として絶海の孤島にまとまって生きる護リ人。閉塞感のあるその中でセシラだけはただ一人、外側から混入した異物なのだと。
窓から入る風がセシラの髪を僅かに揺らす。彼女は疎ましげに目を細めながら話を続ける。
「まぁそんなんだから護リ人って親の話と、理想論でしか知らなくて、もっとこう……正義のヒーローみたいなものだと思ってた」
「正義のヒーロー…………親御さんは、神に捧げることに反対してたってこと?」
そう問いかけた朝の声はほんの僅かに低く震えていた。憤怒か失望か、あるいはそれらが混ざりあったような声音。
朝の知る護リ人はセシラ達三人を除いて、とても正義のヒーローなどには相応しくない行いをしている――否、正義かどうかは重要では無い。ただし少なくとも英雄などと賞賛を浴びる者ではないだろう。
そして朝にとって、強者に胡麻を擂り、他者の命を捧げる者は、誰であろうと悪である。例え彼らには彼らなりの正義があったとしても。
自然と強くなる朝の語気に、セシラは変わらず淡々と告げた。
「いや? あの人たちも、最初はそれが当たり前だと思ってた……けどわたしが産まれたその村ってのが、この世界で一番正確に歴史を記録してる場所だったんだよ。だから、ここに戻ってきてスゲぇ違和感あったわけ」
「それで……正しい歴史に戻すために立ち上がった」
「あはは! そんな高尚な理念じゃねぇよ。ただ、自分の中の護リ人っていう存在が、天神なんてものに汚されるのが嫌だっただけ」
懐かしそうに微笑むセシラ。表情こそ柔らかいものの、深海のような目は力強く輝いている。
彼女の中で『護リ人』という存在がどれだけ誇り高いものなのかが察せられた。
「……天神…………あれは、本当に神なの?」
朝の手に自然と力がこもる。セシラの発した『天神』という単語に、今朝目にした惨劇を思い出したのだ。
「さぁ? ある人は神と呼ぶし、ある人は神を騙るだけの異物とも言う。詳しくは知らないけど……だからと言って言いなりになる必要性は全くないはずだ。護リ人の誕生に天神は関わってないし、なんなら護リ人の起源の方が古いまであるぜ!」
そう言い切ったセシラ。複雑に捻れ、誰かに都合よく騙られた歴史の流れも、彼女にとっては戯言に過ぎないのだろう。そう思わせるほどの自信が、全身から溢れている。
窓から差し込む光も、セシラの言葉を肯定するように照らしていた。




