7 獣の咆哮
渡されたお茶は苦味もあり、甘みもあり、ほんの僅かに渋みもある。故郷でよく飲んでいたものと似ていたが、そのつんとした香りは薬草のようでもあり、気が付けば肩の力が抜けていた。
「それじゃあまず一つ目の問いに答えますか。『護リ人とは何なのか』、だったな?セシラ、お前どこまで説明した?」
「異世界人――迷イ人を保護するってことだけ」
「なるほど。ほぼ何も話してない、と」
湯気の立つ茶を、ほぼ冷ますことなく一気飲みしたソル。朝と同様にちびちびと飲み進めるセシラの言葉を聞いて、呆れたかのように頭を掻いた。
「ま、本来の意味ならそれで合ってるよな。おれ達護リ人はアンタみたいな迷イ人を人攫いとかから保護するのが役割だから……本当はな」
「本当は……ですか。でも実際はあの神とやらに捧げているのでしょう?」
「そうだ。おれが産まれた頃は既にそういう文化になってた。もっとも、爺さん達は神の供物にすることが迷イ人にとって幸せだと思い込んでやがる」
ソルの声色こそ変わらなかったものの、彼の湯呑みを持つ手に力が入るのを朝の目は見逃さなかった。静かな声の裏側に、未練や無念、あるいは憤怒とも言える気が現れていた。
☆。.:*
――セシラが朝と会う一日前。
紫煙に満たされた風通しの悪い大広間。窓もなく、陽の光は一筋も入らない。気が滅入りそうな淀んだ空気。
風で軋む梁の音が響く空間に、ノイズが走った。遠慮も加減もない打撃音と、青年の呻き声だ。
「うぐっ――」
「このクソガキ、儂は今朝なんと言った?」
護リ人の長たる老人。嗄れて細くなった四肢と、どこぞの国に伝わる仙人のような窶れた頬。しかし、纏う魔力は間違いなくこの場で最も強大で、抵抗しようとも容易く捻り潰されるだろう。
地を這うような長の声が、ただ一言で場を支配した。
床に敷かれている毛羽立った藁が顔に刺さる。
「はっ、悪ぃがこちとら覚えが悪くてね、年寄りの戯言なんざ記憶にねぇな〜」
「黙れソル!!」
「チッ」
広間に呼び出されたソル。それぞれ村の男達に見張られながら腕を縛られ、冷たい床へ土下座のように頭を押し付けられている。
頭を掴み、怒鳴るのは実の父親。長の側近でもある彼は、村一番の実力者。真っ向から歯向かうのは自ら死にに行くようなものだろう。ソルは上からかかる物理的な圧に屈することなく、憎らしげに長を睨み上げた。
しかし、長はそんな視線を歯牙にもかけず、長く伸びた髭を撫でながらソルの父に問いかける。
「なぁ? ゼイル=ドラッドよ、儂はなんと言ったかな」
「はっ、先日の当主様は『これが最後のチャンスだ。新たに来た迷イ人をこの場に連れてこい』と申されました」
「そうだな? 儂の記憶は間違っておらぬようだ。のう? 若人」
息子の頭を押し付けたまま背筋を伸ばす父親。さながら大国の軍隊のような上下関係。ソルが最も嫌う父親の姿だった。
ソルは必死に抜け出そうと力を込めるが、一切の身動きが取れそうにない。ソルが代表として呼び出されただけで、セシラやラシュは恐らく野次馬のごとく様子を見に来ている。あの二人は、ソル一人を火中へ向かわせるほど薄情者ではない。
(予想通りなら扉の近くにセシラが来てるはずだ。あいつが魔法を使えば、他の奴らは魔法を使えない……が、勿論おれも使えない。魔力なしのタイマンで、親父に勝てるか?…………無理だな)
どうにかこの場から逃げ出そうと画策するソル。
そんな様子を、全て見透かしたような長の声がかかる。先の威圧的重低音とは打って変わった、気持ち悪いくらいの猫撫で声。ソルは気味の悪さに全身の産毛が逆立つのを感じた。
「ソルよ、儂は知っておるぞ。お前には他の者にはない実力がある。若いながらに、そこらの大人よりも余程強いだろう」
孫を可愛がる親切な祖父のように諭すような声。それは次第にリズムを変え、ユラユラと風に押される雨雲のように、不安定に色を変えていく。
「大人しく儂のいうことを聞いていれば、立派に護リ人として成長できよう? 何故歯向かう、何故逆らう、何故性懲りも無く迷イ人を逃がそうとする!」
ビリビリと空気が震える。鼓膜を揺らす怒声だけではない、長の魔力が触手のようにソルの首を撫でた気がした。「お前の命は、今自分の手の中にあるのだ」と、言わんばかりの不穏な気配。
「儂は期待しておったのだ。貴様であれば、我ら護リ人をさらに繁栄することができるであろう、と。護リ人の潤沢な魔力と天神様のご加護があれば、この世界を制することなどそう難しいことではないだろう?」
怒りと悲しみが混ざったような嗄れた声。演技のようにコロコロと色を変えるそれに反して、深い皺の入った顔は般若のような赫怒一色。その重圧は、ソルの頭を抑える父の手すらも、ほんの僅かに震えているほどだ。
――が、それに大人しく従うようであれば、こんなところに呼び出されてなどいない。ソルは鼻で笑うように言い返した。
「繁栄? 侵略の間違いだろ? 世界征服なんて時代遅れだぜ、お爺ちゃん」
本能が辞めろと引き止める。その茨道は、生きるためならば決して通るべきではない、と。
「あのさぁ? 長のお爺ちゃん、親父、この場にいる大人共よ! 護リ人護リ人って、目に見えない血筋がそんなに大事か?天神様とやらがそんなに怖いか?」
しかし理性が、否、信念が叫ぶ。ここで己が意志を貫けぬ者に、自由の空などありはしない、と。
「何度も聞くけどよ……あんたら一体、『護リ人』をなんだと思っていやがるか!真に護るべきモノをなんだと心得るか!!」
咆哮のように高々と叫び、肩で息をするソル。言ってやった、という達成感と高揚感。もう戻れない、との不安もないでは無いが、後悔は微塵もない。
一瞬の静寂が訪れる。
長は黙り込み、父親を始めとする周囲の大人は唖然としている。
一足早く正気に戻ったのはやはりと言うべきか、ソルの頭上にいる父親だった。
「ソル貴様、言ったそばから!」
「離せクソ野郎! いいからおれの問に答えろ!」
彼はよりいっそう強く頭を抑えてくる。ギリギリと床にめり込み、藁葺きと父親の爪が刺さる。頭が割れそうなほどの圧に、ソルは強く歯を食いしばる。
「ソルよ。その言葉、そっくりそのまま返そうか」
「あ?」
そんな親子の殺伐とした光景に、なんの感情も載っていないような長の声が横槍を入れた。
「貴様は、護リ人が護るべきモノをなんだと捉えている?」
「そりゃ……この世界――エインスカイだろ?」
「そうだ。わかっているではな――」
「――それと、迷イ人達の安全だ」
「…………」
見下しながらも、ソルの答えに満足気に微笑む長。しかし、その言葉を遮るように続いたソルの回答に、流石の長も言葉に詰まったようだった。
暫しの静寂を越え、長は頭を抑えながら重い溜息をついた。
「はぁ……そこだ、貴様達の愚かなところは。なぜ異世界人たる迷イ人を護る必要がある?」
窶れた顔は俯きつつも、鋭い眼光がソルに注がれる。
「奴らは世の理を脅かす災いであろう。なんの力も持たぬ哀れな愚者。罪も知らずに化け物になるのであれば、せめて天神様の糧となった方が幸せではないか」
「こっちもそのまま返させてもらうぜ。そこだよ、認識の違いってのは。迷イ人が災? おやおや、それってどこ情報? まさか口伝でしか残ってない神話とか言わないよな〜?」
ソルも負けじと言葉を紡ぐ。
異世界人の脅威というやつは、幼い頃から口煩く言われて育ってきた。しかし、今まで様々な迷イ人と接して、ソルの中でその価値観は既にひっくり返っていた。
「今までお前らのせいで消えていった奴ら、ただ一人としてそんな兆候は見られてない。放っておいても化物になんてならねぇよ」
「天神様の言葉を疑う気か」
「天神様とかいう顔も見えないパチモンの言葉を信じてるほうが馬鹿だってんだよ」
迷イ人の彼等には、それぞれ異なる特徴はあった。別世界から来ているのだから、この世界の常識が及ばないこともザラにある。
ソルは秘密裏に、関わった迷イ人達の身体検査を行っていた。大陸から得た書物などを参考に、魔力的変化、生理的現象、精神的負荷……セシラやラシュの力を借りて、何度も、何度も。
勿論来る世界事に結果は様々。データの扱いにもそれはそれは苦労した。だが、一度たりとも脅威になる予兆は見られていないのだ。
ソルはかつての消えていった友を思い浮かべた。元の世界から追い出された迷子の者達を、「家族の元へ帰りたい」という、素朴でありふれた、心からの懇願を。
「おれたちが行うべきは天神様とかいうクソ野郎に餌を与えることじゃなく……迷子になった異世界人を保護し、元の世界に帰してやる事だろうが」
真っ直ぐ見据えられたソルの視線と、長の試すような冷たい視線が交差する。
次第に長の目尻が歪み、彼は我慢ならないというように肩を震わせ、場違いに腹を抱えた。
「ふ……ふははははは! 何を言うかと思えば。ソルよ、クソガキとは言え、貴様も世間を知らぬ子供ではあるまい? いつまでそんな夢物語に浸っている気だ?」
長は涙が出るほどの大笑いで、ソルの言葉を一蹴した。そして、空気を切り替えるような深呼吸の後、嘲るようにソルの頭を一瞥する。
「能動的に外界へ繋ぐ手段があると? 馬鹿なことを。仮にあったとして、迷イ人などという弱者のために、何故我ら護リ人が手を貸さねばならぬのか」
迷イ人は護リ人に従うべき。弱肉強食を生きるソルにも、その理論は理解できる。しかし、それがどんな場合でも受け入れられるかといえば話は変わる。
ソルは頑とした否定を突きつけようと口を開くが、言葉になる前に長が動いた。
「もう良い、下がれ。ソルよ、貴様には失望した。そして覗き見ているのだろう?ラシュ、セシラよ。護リ人に生まれたにも関わらず弱き者と魔力否定の魔女め」
追い払うような仕草で、完全に興味を失ったかのように見向きもしない長。彼はしっかり、セシラとラシュの存在にも気がついていたようだ。
「貴様ら三人、もう二度と迷イ人に関わるでない。そこさえ守ればもはや儂らは何も言わぬ。それ、好きに生きろ。護リ人の面汚しどもよ」
その言葉の後、ソルは父親に無理やり立たされ部屋の出口まで引きずられた。足が藁に引っかかり、皮膚を傷つけていく。ピリピリとした痛みが走る中、せめて最後に何か言ってやろうと大きく息を吸った。
「自分の面に泥塗ってる野郎に言われたくねーな!」
なんとか吐かれた捨て台詞は、聞く価値もないと言いたげに、重い扉に遮られた。




