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3 朝の現状

 海を漂う小舟の上。

 (とど)海象(セイウチ)のような何かが船を引き、海を駆ける。

 塩辛い空気を吸い込みながら、朝は受け取った水を口にしていた。

 冷たい水が染み渡る。まるで砂漠に振った数日ぶりの雨のように。


 水を渡した少女がこちらをのぞき込む。

 燦然と輝く陽光に透けるような金髪、白磁のような艶やかな肌、どこまでも深く続くような青眼。要素だけあげれば、本当に人形のような淑やかさ。ただし――


「どうよ。ちったぁ落ち着いた?」


「えぇお陰様で……」


 ――言葉さえ発さなければ。


「いやぁ〜、ビビったぜ。攫われかけてるとは思いもよらなんだ。ま、わたしが居なくてもどうにかなってそうだったけど」


 と、天を仰ぎ、脱力する少女。彼女が口を開く度に鮫のようなギザギザとした歯が顔を出す。

 

 人攫い。呆然とする朝に異世界に来たなどと教えこみ、案内を買って出た二人組。そして彼らの仲間だったのだろう悪党の巣窟たる寂れた町。

 彼らの大半を軽々と叩き落とした張本人が何やらごにょごにょ呟いている。

 もっとも、少女の言うことも確かではあった。


「ま……あ、あのくらいの人数なら……そんなに苦ではなかったかと…………」


 ヨクは異世界人は戦えないはずなどと吠えていたが、朝からすれば戦いなど日常茶飯事。魔法自体、原理も理屈も知らないが、そこまで驚くものではないのである。


「で、でもですよ!  貴女がいてくれたおかげで、誰も殺さずに済んだんです。彼らを救ったのは間違いなく貴女ですって!」


「わたしはお前を護りに来たんだけどな……」


 「自信持って!」と拳を握る朝。

 励ますようなその姿を、少女は信じられないものを見る目で眺めていた。


 しかし朝がそう言うのも無理はない。

 あの状況、恩や義理を重んじる朝でも流石に自分の危機は察していた。あのまま一対多の乱闘になっていれば、恐らく他者の命を気にかける余裕は無くなっていたことだろう。

 

 殺意には殺意を持って返す。朝の身に染み付いた流儀でもある。

 つまり、少女の救援は図らずも人攫い達をの命を護る結果となっていたのだ。


「まぁいいや。それでこそわたしが探してた人材、その最適解だしな」


「その……さっきも言ってましたけど、何が最適なんですか?  と言いますか、結局ここは何処?」

 

 流れで、否、半ば無理矢理船に押し込まれたが、この少女が朝にとって安心出来る人物という保証もない。朝はただ例の如く「助けられた恩があるから指示に従った」だけなのだ。傍から見れば状況は何も変わっていない。前に立つ人間が変わっただけである。


「まぁ待て、先に自己紹介。わたしはセシラ。お前みたいな異世界人の保護を生業にしてる人間だ」


「あ……異世界人……それは嘘じゃなかったんですね…………」

 

 ヨクやベスの説明は何も全てが虚言という訳ではなかったらしい。むしろ嘘だったのは「護リ人はただの噂」という朝にとって不利益な情報のみ。目の前の少女――セシラ曰く、それ以外は殆ど事実だったそうだ。

 朝はどうしようもない事実を飲み込むように小さく呟いた。

 

 その様子をじっと見たセシラ。彼女は気まずそうに胡座を組み、「あー」っと話をそらすように唸り声をあげ、視線を彷徨わせながらも不意に尋ねた。


「あんたは?」


「え?」


「あんたの名前」


「あっ……」


 目まぐるしく回る状況に告げるべき言葉を忘れていた。

 急かす訳でもなく静かに微笑むセシラに、真っ直ぐ向き合う朝。如何に説明不足であろうと、助けられ、名乗られたのであればこちらも相応の返事をせねばなるまい。


鷹槌(たかつち)朝と申します。先程は間一髪のところ助けて頂き誠にありがとうございました」


「お……おぉ…………これまたご丁寧に」


 朝は緩く両の手を重ね、背筋良く、手本のような角度で頭を下げた。見る人が見れば賞賛の声をあげるであろう礼儀正しいそのお辞儀に、セシラからどよめきが上がる。

 朝の信念の一つ、「誰であれ払うべき礼儀は忘れない」。にわかには信じ難い異世界と言う土地でも、故郷の礼儀が通じたようで何よりである。


「よし、朝ね。覚えやすいわ、おっけーおっけー」


 彼女は持っていた水を飲み干し「はい、よろしく〜」と軽く手を挙げた。そしてその手で、水平線のある一点を指さした。


「異世界とか何とか聞きたいことは色々あるだろうけどさ、ちょうどいい感じに見えてきたから、話すべきことはそこで言う。わたし一人じゃ説明漏れがありそうだしな……」


「見えてきた…………?」


 セシラの指の先、絶景とも呼べる水平線だが、見えてきたとは何を指すのか。

 首を傾げつつ目を凝らすと、ぼんやり揺らぐ陽炎のように一つの島が見えてきた。決して大きくはないが、かと言って別荘地のような小島と呼ぶには広さがある。遠くからでも無人島と呼ぶには人の生活が伺えた。


「そ、わたし達護リ人の住む島。天神(クソ野郎)の加護ありし孤島――ガルディアルだ」


 ☆


 常夏のような島へと上陸し、見たこともない植物の森を進んだ先、ポツポツと遠くに家が立ち並ぶ集落の端の端。村八分にでもあったのかと言うほど、近所付き合いの悪そうな場所にセシラの家は建っていた。もっとも、セシラ本人はそれを毛ほども気にしていないようだったが。

 

 島についてすぐ、朝はセシラに彼女の家へと招かれた。兎にも角にもまずは着替えろ、との事だ。

 

 突然この世界に放り出されて忘れていたが、小豆色の袴は色こそ目立たないもののところどころ引き裂かれ、薄桃色の着物は血に染まり既に赤黒く固まっている。全体的になかなか悲惨な衣装になっていた。

 

「はいよっと、サイズ合うかは知らないけどそれしかねぇから我慢してな」


「何から何までありがとうセシラさん」


「あー、セシラでいいよ。さん付けとかこの村じゃまず無いし、慣れねぇから」


「あ……うん。わかった、ありがとうセシラ」


 慣れた手つきで服をあしらうセシラに感謝を述べる。

 彼女の家は当人の性格によく似たさっぱりとした雰囲気。どこか故郷を思い出させる、床に直接座る造りの家である。


 服も変え、濡れた布を借りて土埃も落としたところで、朝はずっと気になっていたことを口にした。

 

「えっと、セシラ? 単刀直入に聞くけれどここは何処? 私がいた町と随分雰囲気、空気が違うみたい。それに私……死にかけてたのに」

 

 そう、死にかけていたのだ。元いたはずの場所は戦争真っ只中。故郷を守る為に先陣を切って相手軍と撃ち合いをしていたはず。

 だと言うのに、気づけば敵将はおろか共に戦う仲間もおらず、見渡す限り知らぬ土地。疑問を抱くなと言うほうが無理である。

 

「あー、一度に質問されると困るな。まず、傷に関しては怪我というよりも呪いに近かったんだよ。心当たりある?」


 と、朝の腹を指すセシラ。言われてみればかの戦場、物理的な斬撃と言うよりも呪術的な攻撃を食らっていた気がする。


「で、運がいいことにこっち来てそれが緩和されたって感じだな」


「でも他の怪我は? 普通の裂傷だって受けていたはずだよ」


「それはほら、魔力濃度が上がったからじゃね? 細胞の活性化が進んだっつーかそんな感じ」


「は、はぁ…………」


 細胞など生物学的な話をされても朝には全くわからない。勉学は得意ではない故に。セシラも「傷に関してはわたしもよくわからーん」と匙を投げていた。


「ま、それはそれでそんな感じだってことにして……ここがどこかって話だよな。ちょっと待ってろ……おい、もういいぞ!」


 セシラはそう言い、外へと繋がる扉に向かって声をかけた。


「ん、もういいのか」


「おうよ、いいから入れ」


 家主に促されて入ってきたのは雪のような白髪と菖蒲のような瞳の青年。眉間にシワが寄り、睨みつけるような視線に思わず身がすくむ。


「どうも、異界の旅人。はじめまして、そしてようこそ。オレはラシュ、こいつと同じ護リ人だ。来て早々人攫いに会うなんて災難だったな、無事で何よりだ」


「は、はじめまして、私は……」


「朝だろ? 悪いな、外で聞いてたんだ」


 口を開いた彼は、見た目の鋭さに反して柔らかな印象を覚えた。しかしよく見れば、程よく着いた筋肉に部屋全体を見渡せる場所に自然と座る位置取り。一般人と呼ぶには戦いに備えた人間であるとすぐにわかった。

 

 勝手知ったるようにラシュはセシラの隣に座り、じっと朝を見つめた。ヨクの視線に似た、腹の底を除くような視線。妙に気恥しいというか、端的に言って居心地が悪い。

 外側から黙って二人を見つめるセシラに助けを求めるも、ニンマリ笑って何も言わない。

 

 いっそこちらから何か言葉を発してやろう、と意気込んだ瞬間。ラシュが静かに先手を打った。

 

「お前さん……戦場上がりか?」


 息が止まるようだった。

 何も朝とて隠していたつもりは全くない。現に、セシラの前では既に薙刀を振るっている。しかし、ただ座っていただけで自身の境遇を測られるとは思いもしなかったのだ。


「…………お見それしました」


「え、そんな畏まられると困る……」


 深々と頭を下げる朝にラシュが慌てふためく。単に聞いてみただけで何も深い意図はないと弁明しているが、見抜かれた事実は変わらない。


「ほら、こういうことだよ。言っただろ? 戦える異世界人だっているんだって」

 

「あぁ。正直驚いたけど……」


 どうやらセシラはここに来るまでの間に、彼に朝のことを伝えていたらしい。そんな素振りは一切見せていなかったが、恐らく朝が気が付かなかっただけで魔法か何かを使用したのだろう。

 

 ラシュは僅かに目を見開き、そしてすぐに納得したような、何かを期待するような顔に変わった。彼はそのまま朝に向き直り、ようやく朝が求めていた話題に踏み込んだ。


「端的に言おう。ここはお前さんにとっての異世界――エインスカイ。お前さんは世界が歩みを進む上での乱流に巻き込まれたんだ」


 エインスカイ――世界の名前を知ったことで多少は解像度が上がった。が、しかし。かと言って朝の現状が何か変わったかといえば、決してそんなことはない。

 

「じゃあ、どれだけ歩けど家には帰れない……ってことですね……」


 ガックリと肩を落とした朝。元の世界(あの惨状)に未練があるかと言われれば話は別だが、自分がこの世界にとっての異物である事がはっきりしたことに落胆したのだ。

 一回り小さくなったような朝に申し訳なさそうな顔をしたラシュだが、決意したように次の言葉を投げかけた。

 

「残念ながらそうなるな――――今までなら」

 

「えっ……?」


 菖蒲色の瞳はまっすぐ朝を向いている。

 その隣にいたセシラが胡座を組んでいた膝に手を付き、さながら極道の頭のような体勢で不敵に口角を上げた。

 自然と背筋が伸びる緊張感が漂う。

 

「わたしたちはずっと研究してたんだ。異世界転移なんて災害に家を追い出されたお前らみたいな迷イ人を、如何に家に返してやれるかをな――――そのために、戦える異世界人(あんた)の力が必要なんだ」

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