2 少女の刃
「えっ……と…………?」
頭を鈍器で殴られたかのような――否、脳髄を直接鷲掴みにされたような衝撃が走った。
ぐらりとふらつく足元を、何とか耐えて前を向く。影の向こうで笑う男の頭が、酷く歪んだものに見えて仕方がない。
固まる朝を前に、ヨクは不思議なものを見たかのように傾いた。
「あれ、聞こえなかった? 護リ人なんてただの噂。異世界人がいるらしいってのは本当だけど、それをわざわざ保護してくれるなんて……それなんて慈善団体?」
カラカラと声をあげるヨク。その隣ではベスが眼鏡を持ち上げ、嘲笑うように朝を一瞥した。
「だから言っただろ、異世界人は金の成る木だって。警戒心が強いかと思ったら、意外と抜けててこっちとしては大助かりだな」
ここで漸く理解した。最初から、ベスは朝を金の元としか見ていない。睨みつけるようなあの視線は、言葉の通り見定められていたのだ。言い換えれば値踏みであろう。
前に進めばヨクとベス。後ろに戻れば町の者。彼らは朝を取り囲むように、点々と位置を取っていた。恐らく町そのものが結託している。まるでこの町一つで、大きな化け物を作り上げているかのように。
うっすら霧が立ち込め始めた。町全体を外と断絶する帳のように、白い靄が人々の足元を覆う。
ギリッと奥歯が鳴った。完全に油断していたことへの後悔。そして何より、唯一照らされていた道が途切れたことへの絶望感。振り出しに戻るどころか、一回休みを突きつけられたような追い討ち。
握り締めた掌が白くなって、わなわなと震えている。
鼓動が高まり、呼吸が短くなる。
「そんなに気になるなら大声で呼んでみれば? アサちゃんが可愛く泣けば、噂の彼らもやってくるかもしれないね」
その様子を現状に対する恐怖だと受け取ったのか、ヨクが朝に近づき、宥めるように目尻を下げた。
今しがた朝を騙した人間とは思えないほどに純粋な瞳。しかし、飛び出す言葉は無常に冷たい。追い詰められた朝にとどめを刺すような嘲りが混ざっていた。
ヨクは朝の目の前に立ち、目線を合わせるように腰を屈めた。それは朝を安心させるための行動ではなく、弱者を見下す狩人の眼光。
彼はこの状況で尚も心からの笑顔を貼り付ける。そして、震える朝を弄ぶように、子供の遊戯会のような掛け声を強要した。
「ほら、せーのっ! 『助けて護リ人〜』って――」
誰に届くこともない呼び声。馬鹿にすることだけが目的の救援の真似事。虚しく木霊するはずの声が響き――
「はいはーい!!」
――何かがそれに呼応した。
「は――?」
突然、目の前にいたはずのヨクの姿が消えた。一拍遅れて、何かがぶつかる音と派手に崩れる音がする。ヨクが吹き飛ばされたのだと理解するのに、僅かに時間がかかった。
そして気が付けば、朝の目の前に立つ者は、大柄な男から長い金髪の少女に変わっていた。
陽の光に照らされる髪が金糸のように輝き、瞼の裏から深海のような濃い青眼がゆっくりと現れる。見た目だけであれば、人形のように慎ましく淑やかな少女。
少女はスっと立ち上がり、堂々と、胸を張ってこう言った。
「んだよ、テメェが呼んだんだろが。だからほら、お望み通り来てやったぜ? 護リ人のわたしがよぉ!!」
――と。
朝を含めたその場の人間は時間が止まったように呆けていた。その間も冷ややかな空気と共に濃くなっていく白い霧が少女を隠す。
「お前いきなり何を!!」
その姿が完全に消える前に、家に突っ込んだヨクの仇を取るかの如くベスが小刀を少女に向けた。
「いきなり? 阿呆、テメェが気づいてないだけで、わたしは最初からいたっつーの。だからほら――」
鋭い金属音が鳴り、短い刃は少女に届くことなく弾かれる。彼女の手には人の腕ほどの長さの剣。
長くもなく、短くもなく。少女の手足のように霧中を舞う。
「テメェらみたいな野郎から、異世界人を護れるんだ」
流れるような回し蹴り。男女の差ありと言えど、回転の勢いが着いたその威力は、ベスの小柄な体を地に叩き落とすには十分だった。
「ざまぁないぜ。ほら、野次馬クソ野郎もかかってきな。この際だから全員性根ごと叩き治してやる」
瞬きの間に倒された男二人。
馬鹿にするように舌を出す少女。
野次馬のように囲っていた町民が怒声とともに駆け出した。
「なんだ女ァ! 舐めてんのかテメェ!!」
さらに霧が深くなっていく。町を閉ざすように、互いの姿を隠すように。まるで、「誰一人として逃がさない」と言いたげに。
「くそっ、鬱陶しい霧だ……誰か風魔法使えるやついねぇのか!」
「駄目だ、魔法が使えない!! どうなってやがる!?」
霧の向こうは阿鼻叫喚。男達の戸惑いの叫びと打撃音が交互に響く。断片的に聞こえる言葉を繋ぎ合わせると、視界を阻むこの霧は彼らの持つ「魔法」とやらを封じているらしい。
「あーあー、うるせぇうるせぇ。どこにいるかが丸わかりだぜ? もしかして、戦闘経験お持ちでない?」
金糸がふわりと流れるのが見えた。音から把握できる状況だけでもよくわかる。多勢に無勢。そんな言葉はいとも容易く覆されている、と。
「あっは――」
ふと、薄くなった霧の中、少女に向かう鈍い銀色が輝いた。
死角を狙った一撃。狂気的な笑いが零れるヨクが霧を割って飛び出した。
「――――チッ」
少女もそれに気がつき体制を変える。きっと、あの腕前ならば防ぐのは不可能では無い。
――しかし、朝の方が早かった。
(距離は目算一間弱、この距離なら踏み込みも一歩でいい)
その目はただ一点、男を捉える。
気を流すように、或いは何か長いものを回すように腕を動かす。
やがて大気が弾け、朝の手に一つの武具が握られた。雷を凝縮させたような刃。
バチバチと周囲の空気を鳴らす長柄。何よりも朝が信用し、共に戦場をかけた相棒――雷術・薙刀。
その切っ先は、少女よりも早くヨクの首元へ駆け抜ける。
「……恩を仇で返す形となってしまい、心から申し訳なく思っています。しかしながら、この謝罪を持って今ある借りを精算したものとさせて頂きます」
衝撃で一瞬のうちに霧が晴れる。ぼんやりとしか見えていなかった男の表情がよく見える。
刃は未だ、ヨクの命の目の前に居座っていた。追い詰めるような冷たい声が男に届くが、そこに先程までのか弱い少女は影もない。ただ粛々と戦場に生きる武人がいるだけ。
「えっと……どういうことかな。アサちゃん」
「分かりませんか?ヨクさん。私は貴方に恩がある故、命までは奪いません。どうかこの場でお下がりください、と申しているのです」
「はっ……異世界人は戦えないんじゃなかったのかよ」
「言っている意味が分かりませんが」
ここで初めて、ヨクから仮面が剥がれ落ちた。苦々しく口を引き攣らせ悪態をつく彼は、好青年とはとても呼べない。
対して、朝の表情はピクリとも動かない。
(忠告はした。次に余計なことをすれば恩人であろうと切る)
口では情を語るも、その思考は機械のように冷徹で理論的に回っていた。
しかし、それで白旗をあげる程度なら誰も人攫いなど行わないだろう。ヨクが首に当たる刃から距離を取るように体幹をずらそうと僅かに重心を下げた。
「大人しく引き下がれるかっ――――あぐっ…………」
「……あれ?」
――が、横から来た何かによって側頭部を殴打。否、何かによる飛び膝蹴りが炸裂。ぐるりと上を向いてどさりと土に倒れ伏してしまい、今度こそ、男は完璧に気絶した。
「よっしゃあ! 来たぜ最適解っ!!」
毒気を抜かれた朝の耳に、嬉々とした声が届く。
地面に倒れ付す男の頭蓋を一切の配慮も遠慮もなく片足で踏みつけた金髪の少女は、天高く拳を上げている。さながら闘技場の優勝者のように、その姿は輝かしく照らされていた。
気がつけば町中白目を向いた悪人の抜け殻だらけ。気を失っていない者も、もはや悪事に手を出す気は失せたように座り込んでいる。
「なぁそこの人!!」
そして、少女が鮮やかな金糸を揺らしこちらへ向かってきた。ヨクとはまた異なる、花が咲いたような可憐で華やかな笑顔。
朝が返事を返す間もなく、彼女は勢いよく朝の手を取った。そして、顔に合わない乱雑な口調でこう言った。
「わたしはお前みたいな異世界人を待ってたんだ!!」
「…………………………え?」




