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1 死の向こう、あるいは別世界

Prologue

 目の前で仲間が死んだ。

 この手で敵の臓腑を切り裂いた。

 肉を割かれ、血が吹き出し、視界が霞む死の淵にいた。


 誰かの嗚咽が聞こえる。

 鉄と硝煙が混ざった世界。

 理不尽で、残酷で、非情で非常に生産性のない行い。

 武力でしか護れないが、その武力こそが味方を殺す。

 

 本当にこの戦いには意味があるのだろうか――と、迫り来る銃弾()を前に、私は静かに目を閉じた。


「死んだ……訳ではないのかな、ここは」


 潮の匂いで目が覚めた。ベタつくような湿度の高い風が髪を揺らす。

 災害の爪痕が残る悲惨な世界に、少女は一人立ち尽くしていた。


(傷がない……あれだけ霞んでた視界も良好そのもの……)


 少女――朝は、つい先程までとめどなく血を垂れ流していた腹を撫でた。焼けるような痛みも、自分の中身が段々と抜き出ていくような気持ち悪さもない。

 強いて言うのなら、気圧が変わった時と似た不快感が耳に居座っているだけ。疲労にも近い状態だった。

 

 まるで夢でも見ていたかのような違和感。数秒前の記憶と現状に齟齬が生じている。しかし血泥に汚れる服が、己の記憶もまた現実なのだと証言している。


 ――ではここは?


 自分自身の存在確認はできた。不可解なことは多々あれど、今朝は起きている。ならば次に考えることは、自身を取り巻く環境だろう。


 朝はくるりと辺りを見渡した。

 眼前に広がる荒野。草木は所々焼かれたように隙間を残し、覗く地面はひび割れている。右手には深い森。左手にはおそらく家だったものであろう大小様々な木材の破片。一番大きいものなら人が隠れられるほどはあるだろう。

 

 そんな退廃した景色の奥。薄ぼんやりと見えたのは小さな町らしき影。日向から隠れるように控えめな姿だ。


 夢でもなく、故郷でもなく、見覚えもないこの大地。何をするにも情報が足りない。

 想定外の未知に、疲弊した心が押しつぶされそうになる。


(…………とりあえずはあの町に行ってみるか)


 俯く心を叱咤激励し、彼女は最初の一歩を踏み出そうと足をあげた。


「あれ?お嬢さんこんなところで何してるの?」


 ――が、その輝かしい第一歩は何者かの声によって出番を後に回されてしまった。


「えっと…………?」


 不意打ちのように現れた男が二人。

 一人は背が高く、体格も良い活発そうな男。もう一人は朝と同じくらいの、男性にしては少し小さい眼鏡の男。

 

 つい先程まで、全く気配を感じなかった。混乱していたためか、注意が散漫になっていたのだろう。この至近距離まで足音ひとつ気が付かなかったとは、なんとも不甲斐ない。

 何かを掴むように手のひらをギュッと握る朝。若草色の瞳が不安げに揺れる。

 

 それを見た眼鏡の男が、責めるようにもう一人の脇腹を軽く小突いた。


「……おい」

 

「あ?……あぁ〜ごめんごめん。いきなり話しかけられて困っちゃうよね。しかもこんなむさ苦しい野郎二人に」


「はぁ…………」


 意図に気がついたのか、大柄な男は怪しい者ではないと言いたげに両手を挙げる。小突いた本人はその彼を半目で睨み、ため息をついていた。


 まるで近所の子供のような自然体。どこか懐かしさを覚える彼らに、朝は無駄な警戒心が解けていくのを感じる。


「……あの、貴方達は?」


 心に余裕ができたことで、漸く次の話へ進む言葉が紡がれた。

 

 右も左も分からない朝にとって、彼らは貴重な情報源。

 ラフな薄手の生地を纏う彼らは、見たところ旅のものでは無い様子。遠くに見える町の者かもしれない。

 僅かな期待をこめて、朝は恐る恐るその問いを投げかけた。


「オレたちは少し離れた村の人間だよ。あの町に用があるんだけど……道中で君を見つけたからさ。ぼーっとしてて心配だったんだ。それに……」


 にっこりと太陽のように笑う大柄な男。真っ白な歯が彼の溌剌さを象徴している。

 男の言葉が途切れたことで、首を傾げた朝。よく見れば彼の視線が自身の服に注がれていることに気がついた。


「それ、血だよね……ところどころ派手に切れてるみたいだし。怪我は酷い? 大丈夫?」


「あぁ、服は酷いですけれど私自身は……大丈夫です――」

 

 ――何故か。


 思わず自身も分からない疑問が溢れたが、口から出る寸前に飲み込んだ。こんな事を目の前の彼らに聞いても仕方がないだろう。と、誤魔化すようにへらへらと笑みを浮かべた。


「…………」


 眼鏡の男の視線が痛い。ジッとこちらを睨みつける鋭い眼光。

 隠し事をしていると見抜かれている気がして、首の裏に冷や汗が垂れる。


「んー……そっか! 怪我がないなら安心だね。それでえっと……とにかく服を変えた方が良さそうだよ。ついてきて、町まで案内してあげるから」


 そんな攻防を知ってか知らずか、大柄な男は一際明るい声で提案した。


「えっいや、悪いですって。見えてる距離だから、一人でも……」


 慌てて手を振る朝。

 見ず知らずの者にそこまで手を焼かれても、有難いが今の彼女には返す物が何も無い。言葉の謝礼はできても対価を支払えない今、その提案に乗るのは気が引けて仕方がないのだ。


「いやいや! 可憐な女の子一人、こんな殺風景な場所に残せるわけないでしょ! ねぇ?」


「……ま、そうだな。人の好意は無下にしない方がいい」


「またそういう言い方を……まぁそう言うことだから、ほら!」


「わっ……」


 しかし男も譲らない。

 彼は同意を求めるようにもう一人に声をかける。そして冷たい声で賛同した男に悪態をつきながら、無理やり朝の手を取った。


 引きずられるように進む彼についていく。

 元より町には行くつもりだったのだ。それが一人から三人になっただけ。むしろ心強いことではないか、と、大人しく自ら足を進める朝だった。


 ☆


「へぇ、じゃあアサちゃんは気がついたらあんな辺鄙(へんぴ)な場所にいたんだ。不思議なこともあるもんだね」


 鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌な大柄な男。

 朝は結局、自分の現状を話題にしていた。何せ町へ向かう道中、何も話さないというのも不自然な話なので。

 仕方がない。そう、仕方がないのだ。他の話題を見つける前に男から聞かれたのだから――と必死に言い訳の言葉を探す朝。自分の情報を晒すなど故郷の仲間に知られたら折檻物だろうが、どうか今は許して欲しい。


「そうなんです。もうなんか、右も左も分からないと言いますか…………はぁ、この先どうしましょう」


 ズーンと暗い空気を纏う朝に、男が小さく頬を掻く。そしてすぐにパッと顔を輝かせ、思い出したように手を叩いた。


「あ、そういうのあれじゃない? 巷で噂の異世界人ってやつ! ねぇ、ベス?」


「あ?…………あぁー、そうだな。そうなんじゃないか?」


 ベスと呼ばれた小柄な男。彼は興味が大して無さそうに相槌を打ち、再度朝を一瞥した。


(また睨まれた……急に手間をかけさせることになったからかな…………)

 

 品定めするような彼の視線は、どうも苦手である。思わずそそくさと逃げるように視線を逸らした。


 それよりも。大柄な男――ヨクと名乗った彼の言葉が引っかかる。

 朝はその聞きなれない言葉を、確かめるように呟いた。


「あの、異世界人って……?」

 

「ここではない他の世界から来た人間ってこと。オレたちはまだ会ったことないけど、世界には何人かいるって話!」


 空を見上げながら「他の世界かー」と、憧れるように手を伸ばすヨク。

 まるで現実味のない話だが、自身の現状を考えるとあながち夢物語でもないのかもしれない。

 

 しかし、彼の言うことが本当ならば、朝がいるこの世界はどれだけ進めど故郷にたどり着かないということになる。それ即ち、帰るべき場所を永久に失ったということに他ならない。

 朝の思考が叩き出した答えは、考えれば考えるほどに自身の首を絞めていた。


(私、もしかしていま宿無しの一文無し…………?)


 頭から血が抜けていくのを感じる。

 視界ははっきりしているが、思い描く未来は真っ暗だ。

 

 眉間に深い皺を寄せたまま言葉を失う朝に見かねたのか、ベスが小さく付け足した。


「まぁ、それを保護してくれる組織もいるって話だけどな。なんだっけ? 護リ人(まもりびと)?」


「え? オレは組織じゃなくて一族だって聞いたけど……」


「どっちでもいいんだよ、ンなことは」


 それは雲を切り裂く陽光のように、朝の心に収まった。少なくとも、今やるべき事は見つかったのだ。

 双六(すごろく)のように一歩ずつでも、進む道が見えてるか否かでは天と地ほどの差があろう。


「あの! その保護してくれる……護リ人って、どこに……?」


「うおっと……確かちょうどあの町にいるはず。アサちゃんも運がいいね!」


 急かすようにずいっと顔を近づけた朝。一瞬たじろいだヨクだが、すぐに体制を立て直した。

 そして、彼は己の目印とも言えよう直射日光のような笑顔と共に、道行く先を指さした。

 

 その向こうに見える輪郭のハッキリしてきた家々。

 道中の嵐にでもあったかのような住居の残骸とはまるで異なる立派な造り。しかしながらどこか寂れたような、随分人気の無い町だ。


「あの町……に?」

 

「そ。ちょーっと色気のない町だけどさ、だからこそじゃない?」


「だからこそ?」


 遠くからでは分からなかったが、余りに活気のない町。思わず疑の眼差しを向けた朝に、ヨクは飄々と言葉を返した。


「あのな、異世界人ってのは狙われやすいんだよ。だって他の世界の物、人なんて絶好の金の成る木だぜ」


 ベスもそれに追撃する。彼ら曰く、不特定多数の目に晒されないためではないか。秘密組織とはそういうものだろう――と。


「そんなもの、ですかね…………」


 何か腑に落ちないが、朝にはここまで案内された恩がある。


(まぁ確かに、故郷の所謂(いわゆる)秘密組織も変な場所に拠点あったしな……)

 

 と、脳裏に過ぎった不安を無理矢理押しのけ、先を行く彼らについて行く。

 

 町の中も様子は同じ。むしろ、町の住民だろう治安の悪い者たちがにやついている分さらに居心地が悪い。

 おずおずと警戒心を表に出す朝は、傍から見れば夜の街に放り込まれた小さな子供のよう。

 

 それを気にすることもせず、急かすように前を行くヨクとベス。その足取りに迷いはない。決められた道を進む列車が如く、まっすぐと町の中へ進む。


「あの……ヨクさん」


 助けを求めるように出た声は、なんとも頼りなく、呼ばれた者の加虐性を引き出すようなか弱さを孕んでいた。

 しかし当のヨクは前を見たまま視線をこちらに移さない。

 見上げた彼の顔は、逆光でよく伺えなかった。


「ヨクさん……!」


「んぇ? あーー何? どうかした?」


 聞こえなかったのかと、声量を上げた朝。

 対して、ヨクはどこかのんびりと首を傾げた。


「その……異世界人を保護するという方は……?」


 雲が太陽を覆う。

 妙な寒気が朝を襲い、ヨクとベスの立ち位置と朝の位置を分断するように影ができた。


 絞り出した声が僅かに震える。

 どうかその活力あふれる笑みで、ただの杞憂だと一蹴してくれ――と、願わずにはいられない。

 

 薄暗い日陰の中、ヨクの顔がパッと輝いた。

 

「あぁー、ごめんごめん! それただの噂話だよ。異世界人保護するとか、そんな都合の良い人なんて――いないでしょ」


 真っ白い歯が、今は不穏に浮いて見えた。


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