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27 恩返しの恩返し

 どこか懐かしい夢を見ていた気がした。

 小さな町は活気に溢れ、幼子達の軽やかな笑い声が響いている。せせらぐ川は春光(しゅんこう)を反射し、キラキラと輝く。光とともに流れてくるのは薄桃色の可憐な花弁。

 この和気藹々とした景色は過去の記憶か、それとも願望が生み出す虚構の記憶か。


 己にとってどんな優美な桃源郷よりも恋焦がれる景色に、鼻の奥がツンとした。

 じわりと目元が熱くなるのは、この景色はもう見ることも触れることも叶わぬと、心のどこかで理解しているからだろう。


 不吉な現実を思い出すよりも前に、はしゃぐ子供がぶつかった。満面の笑みでこちらを見上げる子供は、二度と会えないお隣さん。こちらにしがみつく小さな腕は弱々しくも暖かい。思わず抱き締め返すと、その何よりも幸せそうな顔がさらに心臓を締め付ける。

 流れる川の水面に、いつの間にか流れていた涙が映っていた。


 

 ☆。.:*


 

「あう〜〜〜」


 暖かい何かが腹の上でモゾモゾと蠢いている。やがてそれは朝の顔までよじ登り、起きろというように鼻の頭をぺろりと舐めた。

 薄らと目を開けると、視界いっぱいに広がる黒い毛玉。


「…………あれ……ルフ?」


「がうっ」


 ぼんやりしたまま名前を呼ぶと、目の前にいた子狼は元気よく鳴き、ちぎれんばかりに尻尾を振った。

 全身で喜びを表す彼女を撫でながら視線だけで辺りを見渡せば、見覚えのない造り。セシラの家やソルの古屋とは似ているが異なる、もう少し権威のあるしっかりした部屋。脇に置かれた小物が、複数人の生活感を表している。

 

 朝は現状を把握しようと寝起きの頭を必死に回す。しかし、自身の上に乗ったままのルフが体制を変えた瞬間、ズキリと全身がひび割れるような痛みに襲われ思考が途切れた。


「うっ! ……か、肩に足を置くのはやめて……痛い……」


「きゅぅ」


「ほぉら、ルフ。いつまでも怪我人の上に乗ってるんじゃねぇよ。こっちおいで」


 罪悪感でさらに小さくなってしまった毛玉は、ぶっきらぼうな女の声とともに抱え上げられた。数日のうちに聞きなれた戦友の声だ。


「はよさん、朝。とりあえず、水飲みな」


「お、はよう?」


 疑問符を浮かべ返事をする朝。まずは起き上がろうと踏ん張るが、力の入らない腕では上手く起き上がれず布団に逆戻り。

 見兼ねた女に支えられ、冷たい水を受け取った。一口飲むだけで乾いた喉が潤い、幾分か頭がスッキリする。


 感謝を述べるため顔を上げると、窓から差し込む陽光が彼女の長い金糸を照らしていた。


「水、ありがとう…………あの、セシラ? 私どれくらい寝てた?」


「全く……起きて早々聞くのがそれか?安心しろよ、もう全部終わったさ。丸一日寝てた誰かさんのお陰でな」

 

「まる……一日…………処置までしてくれて……? その間診ていてくれたのは……」


「処置をしたのは別の人だけど、その後の世話してたのはわたしですねぇ」


 サラッと言ってのけたセシラの言葉に、一瞬朝の動きが停止した。

 丁寧に巻かれた包帯。雨土の汚れが消えた肌と衣服。そしてこの布団。朝の頭の中で、高速に貸し借りの算盤が弾かれていく。それも恩人はセシラだけではないときた。

 わなわなと震える朝の姿を見て、セシラは労うようにその頭に手を置いた。


「どうせお前のことだ。『また恩ができた』とか言うんだろうけど、返しきれない恩を受けたのはこっちの方だぜ」


「まだ何も言ってない……」


「あはは! (つら)見ればわかる。ここ数日でお前の生態はよ〜く理解したからな」


 そんなに自分は分かりやすかっただろうかと、(しか)めっ面をする朝。それを笑い飛ばすセシラの顔は、憑き物が取れたように清々しく見えた。


「軽く食えるもん持ってくるから、辛いだろうけどちょっと起きてて。そんでその後ちょっと外の空気吸いに行こう。話があるんだ」


 一瞬真面目な顔をしたセシラ。

 すぐに部屋を出ようとするその背をぼーっと眺めていると、彼女の足元をちょろちょろと走り回っていたルフが、再び朝の元へ駆け寄ってくる。彼女は「起きる手助けをするぞ」と言うように、小さな体でぐいぐい背を押してきた。


(話……あぁ、元の世界に帰るって話かな…………どうしよう、結局誤解されたままなんだった)


 ずっと言い出せなかったことを思い出し、気まずさを感じる朝。憂うような僅かな陰りに気がついたのは、背後にいた小さな毛玉ただ一匹。彼女は耳を畳み不思議そうに首を傾げていた。


 

 ☆


 

 たった一日出ていないだけで、太陽は随分と久しく感じる。

 腕を広げ、全身で日光を浴びたい気分だが、少し動かすだけで痛む肩を思いやることにした。

 家主に会うことは叶わなかったが、どうやら世話になっていたのはソルの実家らしい。村の中心部に位置するこの家の前を、戦士たちが忙しなく横切っていく。恐らくは、丸焦げになった広場や居なくなった天神について混乱しているせいだろう。


「ソル達のとこまで少し距離あるけど、歩けそう?」


「大丈夫。このくらいの怪我、初めてじゃないしね」


「……聞けば聞くほど修羅の国だよな、お前の故郷」


「しゅら?」


「どっかの世界の神様の名前だってさ。戦場のど真ん中だよなってこと」


「そりゃあ実際戦争中だったから……」


 一歩一歩、転ばぬように進む朝。その隣を歩幅を合わせて付き添うセシラ。会話の中身は華も癒しも微塵もないが、彼女達にとってはそれが一番自然で身近な話題だった。

 盛り上がることもなく、かと言って湿った空気になる訳でもなく、淡々と低い温度で話が弾む。転がるようにその足元を駆け回っていたルフが、ふと立ち止まって一声鳴いた。


「ん……? あっ、セシラ! 朝ちゃん!!」


 声に反応し、こちらに手を振る青年。弾丸のように飛び出したルフを軽々受け止め、慣れた様子で自身の頭に乗せた彼の隣には白髪の戦友もいた。


「ソル、ラシュ。えっと、おはよう……でいいのかな」


「おう! もう昼だけどな」


「無事目が覚めて何よりだ」


「ご心配おかけしました」


 深々と頭を下げようとする朝を男二人が同時に制した。


「あ〜やめやめ。巻き込んだのはこっちだし……」


「むしろ、頭を下げるべきはこっちの方だ。ほぼ無理やり助力を頼んだ上、その助っ人が一番の大怪我なんだから…………違う。お前さんが不甲斐ないとか言ってるわけじゃない。だから頭を下げないで」


「ラシュくん酷いんだ〜…………まって、ごめん、無言で頭掴むのやめて」


 ラシュの言葉に「うっ」と戦士としての矜恃が痛む。眉間に皺を寄せた朝が膝をつこうとした瞬間、ソルの馬鹿にした声がラシュに飛び、物理的に制裁されていた。


 森の中でも見た彼等の何気ないやり取り。それが何故かとても心地が良くて、いつまでも見ていたい気分になる。


「はいはい野郎共、コントはそこまでにして」


「っと……そーだった」


 そんな光景を拍手が遮り、セシラ、ソル、ラシュの三人が朝の目の前にスっと並んだ。代表してセシラが静かに口を開く。


「朝、改めて感謝を伝えさせてほしい――末端だったとはいえ、神殺しなんて大層な計画に手を貸してくれて。そして、それを成し遂げてくれて……本当にありがとう」


 泣きそうに目を細めたセシラの顔。立ち振る舞いはガサツだが、こういう場面は本当に人形のような淑やかさだ。

 そんな彼女の顔を見て、その次に言われるであろう言葉を予想し、無意識に朝の息が止まっていた。


「お前風に言うなら、わたし達にはお前に返しきれないほどの恩ができた。だからな、できる範囲でお前の願いを叶えたいんだよ」


「願い……ね」


 直接言葉にすることはなかったが、きっとセシラの中で答えの予想はあるのだろう。そして、それが朝の求めていることと違うであろうことに、朝本人は気がついていた。

 

 ソルも、ラシュも、きっと彼等の出会ってきた迷イ人の中にこの答えを持つものはいなかったのだと思う。否、いたとしてもそれを許す環境ではなかったというのが正解か。


「もし……もし、それが許されるのであれば私は……」


 朝にはこの世界で、自身の置かれた現状と異世界という概念を聞いた時点で決めていたことがある。神殺しなどという壮大な計画の前に、なかなか言い出す空気がなかった故に胸の内にしまっていたことが。


 数秒の間、朝とセシラ達の(さかい)を沈黙が通り抜け、漸く前者が口を開いた。


「――――私はこの世界に残りたい。この世界で生きて、戦って、未来に来る別の迷イ人達を導きたい」


「…………!」


 ハッと息を飲んだのは、三人のうち誰だったのか。きっと目を丸く見開いたセシラだろう。彼女は豆鉄砲を打たれた鳩のように呆然と固まっている。


「あ〜〜やっぱり?」


「まあ、そんな気はしていたよな」


 一方、一瞬驚いた顔をしたものの、そこまで引きずるほどでは無いと言いたげな男性陣。二重の意味でセシラが驚愕の色を見せていた。


「なん……お前ら…………え?気がついてた?」


「「気がついてた」」


「うっそだろ……言えよ…………ずっと『元の世界に帰してやれる』なんて言ってたわたしが馬鹿みたいじゃねぇか……」


「昨日爺さん達との会話に口出ししないからわかってるものかと……」


「朝のことだとは思わねぇだろ。てっきりルフたちのことだとばかり……」


 戸惑うセシラに、あっけらかんと言い返した彼等。その答えに終ぞセシラは頭を抱えて(うずくま)ってしまった。何やら昨日、あの戦いのすぐ後にも政治的な話を権力者たちとしたそうだが、それは朝には関係のないことだ。

 それよりも今は足元で耳を真っ赤に染めている友人だ。


「あの……なんかごめん…………もっと早く言えばよかったよね……」


「いや謝るのはこっちの方だ……そういえば朝本人の口から一回も『帰りたい』なんて聞いてねぇじゃんか…………」


「本当に申し訳ないとは思ってるんだよ……帰還用の魔法式なんてものもあるのに使わないどころか、この世界に住まわせろなんて……」


 そう言って眉を下げる朝だが、彼女には全くもってその願いを取り下げる気はない。それを理解しているのだろう、ソルがセシラの頭にルフを載せながらこう言った。


「別にそんなこと気にする必要はねーよ。アンタが使わなくとも森の奴らの中には帰りたがるやつもいるし、そいつらの為に使えばいい。逆に言えば、ルフを含め何匹かは帰りたくないって元から言ってたしな」


「がうっ」


 ソルの言葉に頷くようなルフの一声。

 彼女含め、朝と同じ異世界からきた迷イ森の動物達。今回の反逆の大切な仲間の為にも、どちらにせよ転移魔法式は使うのだと言う。

 そんなソルの言葉を補足するようにラシュが付け加えた。


「野生動物にとって群れは一度離れてしまえば、二度と戻れない……お前さんも似たようなものだろう?」


「お、お察しの通り……」


 初見で朝を戦場上がりと見抜いた観察眼はまぐれではなかったらしい。朝の考え通りのことがラシュの口から述べられた。


「どういうこと……」

 

 直ぐには理解出来なかったセシラが蹲ったまま僅かに赤い顔を上げた。


「セシラには故郷のこと話したよね。貴女は『未来はまだ分からない』って励ましてくれたけど、やっぱりあの場所は私がここにいる時点で戦争に負けたと思うの。そうすると、私が帰った先に待つ立場は敗戦国の残り火……恐らく敵側に処刑されるのが落ちかな…………って」


 仮にそうでなく、朝がこの世界に来た時刻ぴったりに元に戻ったとしても、心臓の目の前に銃弾が迫っていたあの状況ではどちらにせよ死んでいるだろう。


 なんとも現実的で悲観的な想像だが、少しでも自身の命が長く続く方へ足を向けるのが朝という女。故郷に未練がないといえば嘘になるが、既に焦土と化した可能性が高い以上、無邪気に手を伸ばす気にはなれなかったのだ。


「そっか…………いや、確かにそうか……『故郷は好きか』の質問に『好きだった』って即答した時点で気がつくべきだったのかもしれねぇ……」


「それは結果論……」


「ソル、今は黙っておく時だ」


 艶やかな金髪を無造作に掻き分けるセシラ。その後ろでボソッと余計な言葉が聞こえたが、朝は聞こえないふりをした。

 やがて立ち上がったセシラは気持ちの整理が着いたのか、スっとこちらに手をさし伸ばした。


「お前にとって『故郷に帰る』は『死にに行く』のと同義なら、それを強要する訳には行かねぇ――それでも聞くが、本当に後悔はないんだな?」


「ないよ。セシラの方こそ、迷イ人をこの世界に置くなんて結果になって後悔してない?」


 余計な人間が増えるということは、その分資源が減るということ。

 元々護リ人達の間で広まっていた迷イ人への偏見も兼ねて、朝の永住がセシラの負担になるのではないかと気になった。


「しない」


 が、セシラは直ぐに、強く、その言葉を否定する。


「お前がここにいてくれるなら、わたしはとても嬉しく思う。どう生きるかは……朝、お前が決めていいことなんだ。お前がそれを望むなら、わたしはそれを歓迎する!」


 光芒(こうぼう)が降り注ぐように視界が明るくなった気がした。

 朝は少し泣きそうな顔をした友人の手を握る。グッと握り返された手は、昨日と同じ。固く、逞しく、そして信頼に満ちていた。


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