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25 踊る愚者の罪

「セシラ……! 朝ちゃんは…………」


「大丈夫。寝てるだけ。本当、やってくれたよ、こいつ……」


 未だ悲願を成し遂げたことに実感は無い。しかし、達成したという事実は本物で、自然と声に震えが混ざる。

 

 セシラは腕の中で糸が切れたように崩れ落ちた朝を何とか支え、上から降りてきたソルに引き渡した。いくら女の中では強いといえど、意識のない人間一人抱えるのは中々辛いものがある。


「んきゅぅ…………」


「ルフもお疲れ。まさかあんなでかい雨雲呼べるなんて思わなかったぜ」


「ふんっ」


 ソルの頭上で舌を出したままペッチャリと脱力した子狼。セシラがその小さな額を撫でると、彼女は目を瞑ったまま「やればできるんだ」と言いたげに鼻を鳴らした。


「これで、家に帰りたがる迷イ人を家に帰してやれる……んだよな?」


「多分?」


「そこは自信もってくれよ……」


 セシラの背後からかかった声に対して、背に朝を、頭にルフを乗せたソルが回答した。声の方向に振り向けば、所々切り傷をこさえたラシュが立っていた。

 ザアザアと振り続ける雨。張り付いた髪を鬱陶しそうに掻き上げるラシュの向こう側には、すっかり霧が晴れた村が見える。森に住む動物達や、護リ人達が疲労で倒れている。


 大事になっていないところを見るに、獣たちはソルの言う「死なない程度に食い殺せ」を徹底したのだろう。

 逆に魔法の使えない環境では、護リ人よりも野生本能や元の世界で会得した異能を持つ動物達の方が強かった。互いに傷はあれど、致命傷ではないらしい。


「さて、一旦オレは朝ちゃんを寝かせてくる。セシラ、家借りていい?」


「どうぞ。森抜けるよりも早いし――」


「いえ、その必要は無いわ」


「えっ……なんでここに…………」


 抱えた朝を安静にさせようと動き出したソルが、突如聞こえた言葉によって足を止めた。

 一つしっかりとした芯を持った女性の声。天神や彼の父親のような武力的威圧感とはまた違う、声を荒らげているわけでもないのに決して逆らえない貫禄を持っている。


「母さん…………」


「セシラちゃんの家よりも貴方の実家の方が近いでしょう。それに、貴方一人で運んで手当は誰がやるのかしら」


 そこに居たのはいくつか傘を持ったソルの母親。彼女は「まさか貴方が服を脱がせて処置するの?それとも放置?」と抑揚の無い声でソルを詰めていく。

 しかし一瞬見えたその横顔は、怒りや呆れと言うよりも泣きそうなのを必死に堪えているような険しいものだった。


「何かするだろうとは思っていたけれど…………あまり心配させないでちょうだい」


 彼女はそれだけ言って、セシラとラシュに傘を押し付け、早くついてこいと言わんばかりに踵を返した。

 唖然とする三人の中で、一番早く意識を取り戻したラシュが両手の塞がっているソルに傘を傾けている。


 空は未だ分厚い雲に覆われていた。


 

 ☆。.:*


 

 数年ぶりに訪れた親戚の家は、妙な緊張感に包まれていた。

 

 身を切り裂くような命の危機、冷や汗が落ちる音も許されない鋭利な空気――などという訳ではなく。

 親に叱られた子供が謝りに行く前のような、盛大に喧嘩した兄弟を同じ部屋に閉じ込めておくような、意味もなく換気したくなる息の詰まる空間だった。

 

 (ござ)に並べられた湯のみと茶菓子が、重苦しい空気の中で浮いて見える。

 

「わたくしたちはソルに家から出るなと言われていたから、何があったの詳しいことは知らないけれど……」


 ソルの母親はテキパキと慣れた様子で来客達への(もてなし)を置き、部屋に収まる人間をくるりと見渡した。


「村の今後に関わる大きな変革があったのでしょう?」

 

 その視線はやがて彼女によって半ば無理やり座らされたソルと、同じく有無を言わさず着席を強いられていたソルの父親に向けられた。

 天神を前にしても飄々と軽口を叩くソルが、母親の冷徹な視線に大袈裟なほど肩を跳ねさせている。否、ソルだけではない。この家の大黒柱もまた同様であった。


(まさか、ゼイル伯父さんと長の爺さんまでいるなんて……)


 セシラ達がドラッド家に招かれた時、ほぼ同時に護リ人の長とソルの父親(ゼイル)がソニアによって家に引き連れられていた。

 恐らく、素直で幼いソニアであればあの傲慢な長も従うだろうという魂胆。長の実孫と仲のいい彼女は大層可愛がられている話も聞いたことがある。


 村の権力ワンツートップと、それに真っ向から歯向かう反逆者。合計五人を一切の拒絶も許さず、流れるように同じ空間に押し込んだドラッド夫人。その手腕は流石と言わざるを得ない。


 あまりに行動が(てのひら)の上。

 セシラが一人(おそ)れていると、当の本人は「やることはやった」と言いたげに部屋の扉に手をかけていた。

 

「いい加減お互い言うことはっきり言って次の段階に進みなさいな。わたくしとソニアは迷イ人(あの子)の手当てをしてくるから――」


「ごめん待って、ここに居て」

 

「すまない、ここに居てくれ」


「…………」


 しかし、服の袖を両側から引っ張られ、夫人の足は止められた。情けないソルとゼイルの声が重なり、その手は縋るように服を握りしめて離さない。

 

 そんな男二人を見下ろす視線のなんと冷たいことか。副音声をつけるなら、「なんだこいつらめんどくせぇ」と言う表情。


 暫く固まった夫人は眉間に深い皺を寄せたまま、観念したように双方の間に腰を下ろした。


「はぁ…………ソニア! お向かいのお婆様呼んでその子の手当てを先にしてもらってちょうだい!!」


「わかったーー!」


 軽快な声と玄関を飛び出す音が返ってきたのを確認し、夫人は再びこちらを向く。


「さて。先も言った通り、詳しいことはわたくしには分かりませんけれど……」


 そう前置きした彼女は、険しい表情のままセシラ達の方を向いた。


「ソル、セシラちゃん、ラシュくん。貴方達が今朝の混乱の首謀者だということは分かります。そして村長やゼイルの顔を見るに、それがただの悪でないことも」


 キュッと握った手に力が籠る。

 きっと彼女はこう言いたいのだろう。


 ――そこに大義があったとて、村の者を傷つけることになった事実は変わらない。怪我をした者たちから疎まれることは覚悟しているな?――と。

 

 勿論、それはセシラ達とて理解した上での決行だった。それを分かっていても、この方法以外に思い浮かばなかったのだ。

 

 それは一重に、互いの言葉が尊重されない関係だったから。初めから対話という形を取ることができなかったから。


「今更動機を問うことはしません。分かりきっていますもの。そうでしょう、村長?」


「…………あぁ」


 夫人の視線が次に向いたのは長。普段の不遜な態度はなりを潜め、まるで萎んだんだ風船のよう。窪んだ目元が影に隠れ、意気消沈を絵に書いたようだ。


「今だから言えるが、儂達の盲目なまでの狂信……天神様の言葉に従わない者の声を聞く価値など無い。その態度がこの事態を生んだ……そうだろう?」


「…………」


 無言のまま代表して頷いたソル。しかし目をキョロキョロとさせて落ち着かない様子。こんな膝を突き合わせる場面が来るとは思ってもいなかったという顔だ。

 

 彼はもちろん、セシラもラシュも似たようなもの。何か返そうと思っても、会話が通じるとさえ思っていなかった故に、何も言葉が出てこない。


「儂達護リ人が天神様……いや、様とつけるべきでは無いのかもしれないが、彼の者の言葉に踊らされていたのは間違いない」


 そんな中で長は静かに話を続けた。そこに侮蔑は一切なく、ただ一歩一歩、足場の悪い泥土を踏みしめるようにゆっくりと言の葉が紡がれる。


「そして、魔法を打ち消す異端だと忌避して歴史を正せる者(セシラ)の声に端から耳を傾け無かったこと。それは紛れもなく儂の犯した愚である…………すまなかった」


「…………!」


 深々と頭を下げる老人。その行動には、ソルやラシュはおろか、流石のドラッド夫妻も目を丸くして見つめていた。

 セシラも例に漏れず、ただ息を呑んだだけだった。


 長はそれも予想済みだったのだろう。特に赦しを得ることはせず頭を上げ、真っ直ぐ、対等にセシラの目を見つめた。


「今更こんなことを言うのも愚かしいと思うだろうが、『歴史の証人(ヒストリア)』で得た本物の歴史――護リ人が成すべき使命を、改めて教えてはくれまいか……セシラ=ハイカロンド」


「…………」


「セシラ?」


 セシラ胸の内はぐるぐると渦を巻いていた。ラシュの心配そうな声に返す余裕もないほどに。

 

 長い旅の後、ようやく辿り着いた自身のルーツが腐りきっていた時の絶望感。魔力否定などという稀有(けう)な力を持ったせいで爪弾きにされた悲憤(ひふん)。それら負の感情と、やっと話を聞いてくれるという希望が濁った絵の具のように混ざりあっていた。


「その前に……一つ訂正して欲しい…………」


 頭でよく考えるまもなく、思ったまま言葉が零れていく。


「長の爺さん。わたしの親は弱かったか? お前にとって愚劣な死者に過ぎねぇか?」


「…………なっ、テメェ……まさか……!」


 力が入りすぎた手が段々と白くなっていく。隣で突沸したようにカッとなったソルが長を責め立てるが、夫人によって制されていた。その彼女の顔も今日いちばん険しくなっていたが。


 長は大きく息を吸った後、自身の敷物から降りて自ら頭を床に押し付けた。


「訂正、そして謝罪しよう。彼等は我々の大切な友人であり、称えるべき家族であった。その娘がもたらした真実が、何よりも雄弁に物語っている。彼等にどんな障害があったのか知ることもせず、驕りに任せて罵ったこと……改めて、申し訳なかった……!」


「…………」


 じわりと目尻が熱くなる。今すぐにでも一撃かましてやりたいのをグッと噛みしめて息を吸った。


「……顔を上げろ爺さん」


 放たれたのは、自分が思ったよりも一段と低い声だった。両サイドから友人の心配そうな視線が刺さる中、セシラの目はただ長にのみ注がれている。

 老人はゆっくりと顔を上げ、覚悟を決めた顔でこちらを見据えた。宛ら断頭台に立つ罪人のような顔でもあった。


 セシラはわざと自分を鼓舞するように、少し大きな声を出して言い切った。


「この世界の歴史、神の成り立ち、護リ人の生まれた理由。『歴史の証人(ヒストリア)』で得た知識を全部まるっと教えてやる――老体だろうがなんだろうが、わたしの授業は甘くねぇぞ」


 その声は涙と怒りを我慢しつつも、どこか歓喜を含んだ明るい色をしていた。

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